フランスの「フィガロ」紙が、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督を即座に賞賛しなかった安倍総理を批判しました。しかし、私はそのフランス人記者の記事を読んで、論理的にもおかしいただの偏見記事だと指摘しました。
また、それを何ら疑問に思うどころか、フランスの「権威」を借りて、己のステレオタイプな政治的偏見の流布に利用した及川健二ライターのやり方にも疑問を呈しました。
いわばその続報です。
<林文科相>カンヌ最高賞で祝意を 是枝監督は辞退表明 6/8(金)
(前略)最高賞「パルムドール」を受賞した是枝裕和監督に対し、林芳正文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したところ、是枝監督が自身のホームページ(HP)に「公権力とは潔く距離を保つ」と記して辞退を表明した。
林氏は7日(略)「パルムドールを受賞したことは誠に喜ばしく誇らしい。(文科省に)来てもらえるか分からないが、是枝監督への呼びかけを私からしたい」と述べた。今回の受賞を巡っては、仏紙「フィガロ」が安倍晋三首相から祝意が伝えられないことを「是枝監督が政治を批判してきたからだ」と報じていた。
答弁を受け、是枝監督は同日、HPに(略)受賞を顕彰したいという自治体などからの申し出を全て断っていると明かした上で「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、公権力とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないか」とつづった。【伊澤拓也】
私は是枝監督の今回の受賞自体は、作品の質と監督や俳優たちの努力の結晶によるものだと信じているし、純粋に評価しなければならないと思っています。
ただ、それとは違う次元で、どうも奇妙な印象を拭えなくなってきた。
是枝監督の発言と姿勢に対して多くの異議が沸き起こっている
このニュースに対して、たくさんの人が私と同じような違和感を持ったようだ。
ネットの掲示板の反応を見ると、少なからぬ人が同様の指摘をしていた。
第一に、「公権力とは潔く距離を保つ」と言うが、カンヌ映画祭はフランス政府という公権力が主催するイベントではないのか。
第二に、『万引き家族』の制作に際して、文化庁の助成金を貰っているではないか。文化庁は文部科学省の外局であり、日本政府という公権力の一部ではないか。
第三に、それでいながら、ニュースにあるように、林芳正文科大臣の正式な祝意と招待を拒否するのは、もっと矛盾していないか。
・・・と、人々の指摘はこんなところです。私も同感です。
要は、是枝監督は、公権力の日本政府から支援を受けて、公権力の外国政府の主催する賞を貰っているわけです。
よって、是枝監督は口では「潔く距離を保つ」と言うが、公権力とその政治的意図から独立や中立を保っていることを「行動」で示しているとは、とても言えない。
だいたい、助成は数千万円とも言われている(正確な額を監督自身の口から公表してほしい)。政府からそんな「掛け捨て金」を貰った人が言うセリフだろうか。
しかも、フランスの公権力の祝意は受けて、なんで日本政府の祝意は拒否するのか。
さらに、文科省から映画制作の資金を貰っておきながら、当の文科大臣からの正式な祝意と招待を拒否するとは、どういうことなのか。公権力に対する政治姿勢云々以前に、それが金をくれた――「借りた」ではない――相手に対してとる態度なのだろうか?
それだったら、最初から文化庁から金を貰うべきじゃない。そういう言動と態度は、文化庁から金を貰っていない人間のみがやれることだと、普通の人なら思うだろう。
もはや“精神的万引き行為”と言われても仕方がないのかもしれない。
とまあ、疑問や矛盾点がたくさん沸いてきます。
是枝監督の主張からするとフランス公権力と距離を取らなかったことはまずい
そもそも、「公権力」というが、民主社会において選挙で選ばれた人たちが法に基づいて権力を行使している限り、それは国民主権と表裏一体ではないだろうか?
私がもっともうんざりしたことの一つは、その「公権力とは潔く距離を保つ」のが映画人として正しい姿勢であることの根拠として、「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省」を挙げている点です。
これは当然、戦前戦中における日本の行為や政策を念頭に置いてのことだろう。
もしかすると、これが日本政府に対する態度とフランス政府に対する態度の違いを正当化できる理由なのだと、是枝監督と左派筋は考えているかもしれない。
ただし、私からは詭弁であると釘を刺しておきますが。
いや、それどころか、フランス政府筋の賞を貰うことにより、是枝監督は自身の論理の自縄自縛に陥った現実に気づいているだろうか。つまり、「過去の反省」とは、まったく逆の姿勢を取り、反対のメッセージを送ってしまった、ということ。
つまり、上の論理から日本政府の祝意を拒み、フランス政府の祝意を受け取った場合、フランスの国策には賛成しているという意志表示になってしまうわけです。
フランスはイギリスと並んでもっともアジア・アフリカを侵略した列強の一つです。
それどこか、フランスの最悪な点は、戦後もずっと侵略をやり続けたことです。そして、何の謝罪も賠償も反省もしていない点です。
フランスは、ナチスドイツから解放された翌日、アルジェリアを弾圧して市民の大量虐殺をやりました。また、日本に奪われたインドシナの再植民地化のために大軍を派遣し、大量虐殺をやり、第一次インドシナ戦争を引き起こしている。
むしろ、フランスとは逆に、日本帝国は、敗戦の5ヶ月前に、それを予感して、第38軍が仏軍を制圧し、ベトナム・ラオス・カンボジアに独立を許可しているほど。
そうやってフランスはアジア・アフリカ諸国の独立を妨害し、各地で虐殺を行った。
このように、アルジェリア弾圧、第一次インドシナ戦争、スエズ戦争、21世紀に入ってからはリビア侵攻、シリア空爆、等など、性懲りもなく侵略を繰り返している。
アメリカと並んで、フランスほど戦後も侵略と虐殺を繰り返してきた国も珍しい。謝罪も賠償もしていない。フランス人は“過去の直視・清算”なんか何もしていない。
是枝監督は、この種の過去の負債を理由に日本の公権力から距離を保っていると自認する以上、今回フランスの公権力と距離を取らなかったことで、フランスのケースは無問題だと世間に表明したに等しい。カンヌ国際映画祭は1946年に同政府が作ったそうだから、インドシナの再侵略は“大きな不幸”には当たらないと是認するということか。
ま、意地悪な言い方(笑)だが、おそらく、単純に知らないのでしょう。
左派・リベラル派には、いかにも自分は過去の歴史を知っていると自負しながら、実際には極めて中途半端か、たいして知りもしない者が多い。なにしろ、「ドイツの過去の清算を見習え」なという、無知蒙昧な欧米ジャーナリズムと同じ戯言を繰り返すくらいだ。
私は、どんな主義や思想も、それが反社会的でない限り、個人の自由だと考えます。
しかし、自己矛盾しているものは最初から論外です。
是枝監督の今度の作品は、未見ですが、非常にハートフルでいい作品だと予感しているだけに、監督の矛盾した姿勢と珍騒動には残念な気持ちです。