麻原彰晃はなぜ死刑判決を受けたのか?

事件・時事
1990年の総選挙における麻原彰晃(東京4区・真理党)の政見放送のひとコマ。落選後、麻原は世の中の「救済方法」を変えていく。




麻原彰晃(あさはらしょうこう)こと本名・松本智津夫(まつもとちづお)は、2018年7月6日、東京拘置所において死刑執行されましたが、刑が確定したのは2006年です。

最近、東京地方裁判所で言い渡された判決文に少々目を通しました。

全文は本一冊分くらいの分量であり、しかも化学や医学に関係する専門用語が多く、とてもではありませんが、容易に読破できる内容ではありません。

ただし、被告人・麻原彰晃が、どんな事件を起こして、どうやってサリンを製造したか等をチェイスするのにもってこいというか、欠かせない資料ではあります。

その全文は「裁判所」のサイトから、判例ファイルの一つとして見ることができます。

興味ある方はご覧下さい。

ただし、主文の最後にある、死刑の理由については、引用させていただこうと思います。というのも、事件のほぼ全容を可能な限り要約した内容だと思うからです(*赤字筆者)。



麻原彰晃への死刑判決文

平成7年合(わ)第141号,同第187号,同第254号,同第282号,同第329号,同第380号,同第417号,同第443号,平成8年合(わ)第31号,同第75号 殺人,殺人未遂,死体損壊,逮捕監禁致死,武器等製造法違反,殺人予備被告事件

主文

被告人を死刑に処する。

理由

【認定事実】

(中略)

【量刑の理由】

 1(1) 被告人は,自分が解脱したとして多数の弟子を得てオウム真理教(教団)を設立し,その勢力の拡大を図ろうとして国政選挙に打って出たものの惨敗したことから,今度は教団の武装化により教団の勢力の拡大を図ろうとし,ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを空想し,多数の出家信者を獲得するとともに布施の名目でその資産を根こそぎ吸い上げて資金を確保する一方で,多額の資金を投下して教団の武装化を進め,無差別大量殺りくを目的とする化学兵器サリンを大量に製造してこれを首都東京に散布するとともに自動小銃等の火器で武装した多数の出家信者により首都を制圧することを考え,サリンの大掛かりな製造プラントをほぼ完成し作動させて殺人の予備をし(サリンプラント事件),約1000丁の自動小銃を製造しようとしてその部品を製作するなどしたがその目的を遂げず,また,小銃1丁を製造した(小銃製造等事件)。

 

(2) そして,被告人は,このような自分の思い描いた空想の妨げになるとみなした者は教団の内外を問わずこれを敵対視し,その悪業をこれ以上積ませないようにポアするすなわち殺害するという身勝手な教義の解釈の下に,その命を奪ってまでも排斥しようと考え,しかも,その一部の者に対しては,教団で製造した無差別大量殺りく目的の化学兵器であるサリンあるいは暗殺目的の最強の化学兵器であるVXを用いることとしてその殺傷力の効果を測るための実験台とみなし,弟子たちに指示し,以下のとおり,一連の殺人,殺人未遂等の犯行を敢行した。

すなわち,被告人は,教団からの脱会を表明しこれを阻止しようとする被告人を殺すとまで言うようになった信者や教団から脱走した上教団信者を連れ出すために教団施設に侵入した信者を,被告人に離反したり背いたりしたとの理由で殺害し(B1事件,B18事件。B18事件では更に死体をマイクロ波焼却装置で焼却損壊した。),自己に敵対する者であるとの理由で,オウム真理教被害者の会を支援する弁護士業務に従事していた弁護士をその妻及び幼子ともども殺害し(B2事件),オウム真理教被害対策弁護団の一員として教団信者の出家阻止,脱会活動に精力的に取り組んでいた弁護士をサリンを吸入させて殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げず(B6サリン事件),同弁護士らと協力して教団信者に対する出家阻止,脱会に向けたカウンセリングをしていた,オウム真理教被害者の会の代表者に対し,あるいは,教団から脱会しようとした信者を支援していた男性に対し,それぞれVXを掛けて殺害しようとしたがいずれもVX中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げなかった(B5VX事件,B20VX事件)。

のみならず,被告人は,ある男性が警察のスパイではないのに一方的にそのように疑った上,VXを掛けてその男性を殺害し(B21VX事件),さらには,ある信者がスパイでないことを知りながら教団が敵対組織から毒ガス攻撃を受けているという話を真実味のあるものとし教団の武装化に向けて信者らの危機意識や国家権力等に対する敵がい心をあおるためにその信者をスパイに仕立て上げようと拷問を加えた上,その信者を殺害した(B19事件。更に死体をマイクロ波焼却装置で焼却損壊した。)。

また,被告人は,多額の布施を引き出す目的で資産家である信者の所在を聞き出そうとしてその兄をらち監禁し自白を強要するため全身麻酔薬を注射するなどして死亡するに至らせた(B22事件。更に死体をマイクロ波焼却装置で焼却損壊した。)。

 

(3) 被告人の犯罪は,以上のような特定の者に対する殺害等にとどまらず,化学兵器であるサリンを使用した不特定多数の者に対する無差別テロにまで及ぶ。すなわち,被告人は,弟子たちに指示し,教団で新たに造った加熱式噴霧装置の性能ないしこれにより噴霧するサリンの殺傷力を実験的に確かめておこうと考え,その実験台として仮処分事件で教団松本支部の建物を当初の予定より縮小させる原因を作ったなどとして敵対視してきた長野地裁松本支部の裁判官を選び,裁判所宿舎を標的として同宿舎及びその周辺にサリンを発散させ,住民ら不特定多数の人々を殺害し,かつ,殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げず(7人を殺害し,4人に重傷を負わせた。松本サリン事件),また,阪神大震災に匹敵する大惨事を引き起こせば,間近に迫った教団に対する強制捜査を阻止できると考え,東京都心部を大混乱に陥れようと企て,地下鉄3路線5方面の電車内等にサリンを発散させて乗客,駅員ら不特定多数の人々を殺害し,かつ,殺害しようとしたがサリン中毒症を負わせたにとどまりその目的を遂げなかった(12人を殺害し,14人に重傷を負わせた。地下鉄サリン事件)。

 

(4) 松本サリン事件及び地下鉄サリン事件で多数の訴因が撤回された後においても死亡被害者27人,負傷被害者21人に上るこの13件の誠に凶悪かつ重大な一連の犯罪は,自分が解脱したものと空想してその旨周囲にも虚言を弄し,被告人に傾倒する多数の取り巻きの者らを得ると,更に自分が神仏にも等しい絶対的な存在である旨その空想を膨らませていき,自ら率いる宗教団体を名乗る集団の勢力の拡大を図り,ついには救済の名の下に日本国を支配しようと考えた,被告人の悪質極まりない空想虚言のもたらしたもの,換言すれば,被告人の自己を顕示し人を支配しようとする欲望の極度の発現の結果であり,多数の生命を奪い,奪おうとした犯行の動機・目的はあまりにもあさましく愚かしい限りというほかなく,極限ともいうべき非難に値する。

 

2 そして,本件は,これまでみてきたとおり,その被害が誠に膨大で悲惨極まりないこと,犯行の態様が人命の重さや人間の尊厳を一顧だにしない無慈悲かつ冷酷非情で残酷極まりないこと,長期間にわたって多数の犯罪を繰り返しついには無差別大量殺人に至るまで止めどなく暴走を続けたこと,多数の配下の者を統制して組織的・計画的に敢行し更に一層大掛かりなものへとその規模を拡大させたこと,宗教団体の装いを隠れ蓑として被告人に都合のいいようにねじ曲げあるいは短絡化させた宗教の解釈によって犯行を正当化しつつ更に凶悪化させていったこと,犯行により被害者,その家族近親者ら及び被害を生じさせた地域の人々はもとより広く我が国や諸外国の人々を極度の恐怖に陥れたもので人間社会に与えた影響が甚大かつ深刻で広範に及ぶことにおいて,これまで我々が知ることのなかった誠に凶悪かつ重大な一連の犯罪である。

 

3 被告人の犯行によって命を奪われ,また,奪われようとした多数の人々は,誰一人してそのような被害に遭わなければならないような落ち度等は一切なかった。そうであるのに,3人の信者は,いずれも教団の密室内等に身体を拘束され取り囲まれて助けを求めることが不可能な状況に追い込まれた上,あるいは首をロープで絞められた挙げ句両手でひねられて殺害され,あるいは爪の間に待ち針を差し込まれるなど手ひどい拷問を受けた挙げ句ロープで首を絞められて殺害され,証拠隠滅の意図でその身体を跡形もなく焼却損壊され,また頭からビニール袋をかぶせられ催涙ガスを吹き込まれた挙げ句ロープで首を絞められて殺害され,証拠隠滅の意図でその身体を跡形もなく焼却損壊された。オウム真理教被害者の会を支援していた弁護士の一家は,深夜自宅で休息の床にあるところを突如襲われ,必死の抵抗も適わず,「子供だけはお願い。」との妻の悲痛な叫びもむなしく,幼子もろとも首を絞められるなどして殺害され,証拠隠滅の意図で一家はばらばらに遠く人里離れた山中に埋められた。オウム真理教被害対策弁護団の一員である弁護士は,裁判所構内に駐車した乗用車にサリンを仕掛けられ,帰途車を運転中にサリン中毒症に襲われ,交通事故死等の危険に見舞われた。VXに襲われた3人は,あるいは朝の通勤途上,路上で突然後方から注射器でVXを身体に掛けられ,犯人を追跡しようとしたもののごく短時間のうちに路上に転倒,絶命させられ,あるいは朝自宅近くに家庭ゴミを出しに行った際,また,あるいは朝食を済ませた後自宅近くのポストに年賀状を投函しに行った帰り途,いずれも自宅と目と鼻の先の路上で突然後方から注射器でVXを身体に掛けられ,帰宅後重度のVX中毒症に襲われて生死の淵をさまよい,かろうじて一命を取り留めた。松本サリン事件では,一日の終わりにそれぞれの自宅で憩いや休息などの時を迎えていた多数の人々が,加熱式噴霧装置で気化発散させられたサリンの突然の侵襲を受け,まさに悶絶のうちに命を奪われ,また奪われようとし,地下鉄サリン事件では,朝の通勤時間帯に密閉空間ともいえる地下鉄内で,多数の人々が,発散させられたサリンの急襲を受け,同様悶絶のうちに命を奪われ,また奪われようとした

一時に多数の人々がサリンに襲われ極度の苦しみにあえぐその被害の有様は想像を絶するすさまじさであり目を覆うばかりである。資産家の信者の兄は,夕刻路上で手荒くらちされ麻酔薬を注射されながら教団の密室内に連れ込まれ自白強要のため更に麻酔薬を注射されるなどして命を奪われるに至り,証拠隠滅の意図でその身体を跡形もなく焼却損壊された。残虐非道極まる犯行の数々というほかはない。

 

4 被告人の犯行によって命を奪われた多数の人々は,あるいは死の恐怖を味あわされつつ絶命させられ,あるいは死への途にあることすら知ることもできずに絶命させられ,またサリン中毒症との長期にわたる闘いの果てに絶命させられたのである。将来においてさまざまな出来事や人々と巡り会いさまざまな感動に出会いながら家族,近親者,友人,仲間らとともに精一杯に充実させて生きていくはずであったその人生をことごとく無惨にも奪われたその無念さは,余りにも大きく言葉では表現できようはずもない。そして,命を奪われた被害者の遺族らの悲嘆は誠に深くその衝撃は甚大である。その心奥からの精神的苦痛はこれをわずかでも和らげようとすることすらできようもない。

かろうじて一命を取り留めた多数の人々も,今なお死にも等しい状態に置かれ苦しみ続ける人があり,重い後遺症によりその人生の実質をほとんど奪われて苦しみ続ける人があり,また心身の重い不調に苦しむ人も少なくない。その精神的肉体的苦痛は癒されようもなく大きい。そして,その家族及び近親者らの精神的苦痛やのしかかるさまざまな負担も誠に大きく耐え難いものである。

命を奪われた被害者の遺族ら,命を奪われようとした被害者及びその家族,近親者らはこれまで長期間にわたって日夜苦しみ続け,今後もその苦しみは果てることがなく,まさにその心身を切りさいなまれる日々である。これらの人々の被告人に対する怒りはこのような苦しみや悲しみから発するもので,その処罰感情がこれ以上はないほど厳しいのは誠に当然である。

 

5 そうであるのに,被告人は,かつて弟子として自分に傾倒していた配下の者らにことごとくその責任を転嫁し,自分の刑事責任を免れようとする態度に終始しているのであり,今ではその現実からも目を背け,閉じこもって隠れているのである。被告人からは,被害者及び遺族らに対する一片の謝罪の言葉も聞くことができない。しかも,被告人は,自分を信じて付き従ったかつての弟子たちを犯罪に巻き込みながら,その責任を語ることもなく,今なおその悪しき影響を残している。

 

6 他方,被告人は幼いころから視力に障害があり恵まれない生い立ちであった。将来の希望と目的を持ち,妻子と共にその人生を生き抜こうとしてきた時期もあったであろう。被告人の身を案じる者もいることであろう。

しかし,これまで述べてきた本件罪質,犯行の回数・規模,その動機・目的,経緯,態様,結果の重大性,社会に与えた影響,被害感情等からすると,本件一連の犯行の淵源であり主謀者である被告人の刑事責任は極めて重大であり,被告人のために酌むべき上記の事情その他一切の事情をできる限り考慮し,かつ,極刑の選択に当たっては最大限慎重な態度で臨むべきであることを考慮しても,被告人に対しては死刑をもって臨む以外に途はない

(求刑 死刑)

東京地方裁判所刑事第7部

裁判長裁判官 小川正持

裁判官 伊名波宏仁

裁判官 浅香竜太

社会に生きる私たちの責任と正義の暴走

いかがだったでしょうか。

私には、この判決文は、事務上のものでありながら同時に大変な名文にも思える。

判決文に次のようにあります。

被告人の犯行によって命を奪われ,また,奪われようとした多数の人々は,誰一人してそのような被害に遭わなければならないような落ち度等は一切なかった。

あらためて、カルト教団による狂気の犯罪によって不当に命を断たれた29名の方々にお悔やみを申し上げ、安らかな眠りにつかれますよう、お祈りいたします。

私たちはオウム真理教とその後継団体を許しません。

事件の教訓を学び、二度と類似の団体および事件を生じさせないようにすることが私たちひとりひとりに課せられた責任ではないでしょうか。

ところで、なんとなく見えてきたのは、オウムが自分たちを「絶対的な善」と位置づけており、それゆえ人に対して何をしても許されると信じていたらしいことです。

つまり、自分たちは人類と世界を救済しようとしている絶対的な正義であるから、それを邪魔する者たちはすべて悪であり罪人だ、だから排除して当然だ、というわけです。

オウムはその思想を純化させた結果、殺人まで正当化するようになった。

私的には、中世ヨーロッパの異端者虐殺や、共産主義政府による反革命分子の粛清に、かなり近いものを感じる。違うのは、オウムがまだ社会の小数派であり、それゆえに権力から逆に摘発されたという点。麻原が妄想したように、仮に教義がもっと普及して多数派になるか、革命で政権でも取ろうものなら、同じ行動を取ったのではないだろうか。

自分たちを絶対正義の側と信じる者こそが、実はもっとも他者に対して悪虐に振舞い、残虐性を発揮できる・・・歴史の教訓です。

少し気がかりなのは、オウムは霊的な意味でそう信じ込んでいたわけですが、今日、道徳的な意味で同様の傾向を示し、あまつさえ過激化・先鋭化している者たちが社会に現れ、SNSなどを使って集団化してきたことです。彼らに特徴的なのは、自分たちの道徳的優越性を確認し合う場として常時ツイッターを活用していることです。すでに己の基準で人に道徳的な優劣をつけ、“劣った者”に対して迫害を正当化し始めている。いや、すでに可能な範囲で迫害を始めている。殺害の正当化に至るのは時間の問題でしょう。

自分たちを「善・正義」の側に置き、それに反する者たちに対して、極端ともいえる道徳的優越意識と憎悪、侮蔑感情を日々募らせ又は内輪で競い合っている・・かなり危険な兆候です。すでに狂気の一歩手前であることを自覚してほしい。

誰しも己の正義は客観的にも正義であると信じています。オウム真理教の者たちですらそうでした。だが、正義ほど過激化し、暴走しやすいものはないのです。

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