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安田純平自己責任論に対して噴出した「欧米デハー」論への疑問

日本記者クラブでカメラのフラッシュを浴びる安田純平氏

11月2日、安田純平さんが初めての記者会見を開きました。

事前に「自己責任論争」などが盛り上がったせいか、この話題で持ちきりですね。

フタを明けてみれば、安田氏本人がやはり自己責任論者でした。

しかも、過去のツイッターなどから想像される彼の人柄とは違い、謙虚で、潔いところがって、かなり好感度がアップしたという人も多いようです。

彼は素直に謝罪しました。

「私自身の行動によって日本政府並びに皆さまにご迷惑をおかけしたので、私自身に批判があるのは当然のことだと考えている。批判、検証いただくことは当然だと思っているので、そのことについて私から疑問というものはない」

そして自己責任論についてはこう述べた。

「当事者である私には言いづらいものがあるが、紛争地のような場所に行く以上、自己責任であると考えている。紛争地において日本政府が救出するということは厳しい環境にあり、だからこそ退避勧告を出していて、そういった場所に入っていく以上は、何かあった時には自分で引き受ける体制、心の準備をするものだと思っている。それによって自分の身に起こることは、はっきり言って自業自得だと考えている」

日本政府が解放にむけて努力した点も理解し、評価した。

「人質になった日本人の救出、情報収集が非常に難しい中で、可能な限りの努力を3年4カ月続いていただいたと解釈している。解放の理由やきっかけはわからないが、日本の個人保護を必ずする、身代金は絶対に払わないという大原則の範囲で、できることを探っていただいた。それを理解しているので、私自身何か不満に思うことはないし、その間家族のケアもしていただき本当にありがたいと思っている」

もともと安田氏自身が、過去に自己責任という批判を否定しないどころか、だから日本政府は干渉するなと徹底批判しなければ、という意味の主張していた。

もっとも、彼がこう述べたからといって、私個人は「自己責任だから政府は一切助けるな」的意見はどうかと思う。やはり国家が国民を見捨てるわけにはいかないんですね。

当たり前の話だが、彼の行動には、是もあれば、否もある。

今回の論争では、自分がヒスな大衆とは違う良識派なのだと世間にアピールしようとした識者・著名人系の擁護派が、掃いて捨てるほど現れました。

彼らの問題は、安田氏の功罪を総括することなく、功ばかり述べたことです。

もしかすると、安田氏にとって単なる「贔屓の引き倒し」だったのではないか。

「危険な現場に身体を張って潜入して、命がけで真実を報道するのが真のジャーナリストだ」的な擁護は、安田氏本人からしても気恥ずかしいものでしょう。

たしかに、ロバート・キャパは私も尊敬します。彼はそういう評価に値する。

しかし、安田氏を同列に置くなと言う意味ではなく、普通の人なら、「そこまで美化しないでくれ」とか「おれはそこまで偉くねえ」と、かえって迷惑に感じるでしょう。

そういう擁護派よりも、彼ははるかにバランスの取れた人間でした。

いずれにしても、今後、安田氏のケースに関して、自己責任論が間違いだと主張するのなら、まず安田氏本人に言わなければならないでしょう。



なぜ安田氏のケースで欧米を持ち出して日本を批判するのが間違いか

ところで、今回、この自己責任論に対する批判として、私が「またか」と呆れたのが、「欧米では国家が助けるのは当たり前だ、自己責任論は考えられない」とする意見です。

今回も「欧米人様のご意見」をアップするメディアや識者の多かったこと。

だから何なのか? 欧米だから正しいのか? と私あたりは疑問に思うわけです。

海外メディアの日本批判・安倍政権批判を見つけると、無批判に取り上げるのは、内田たつる教授あたりの十八番です。いわゆるリベラル派にとって「ご神託」のようだ。

おそらく、日本人一般に対して「葵の印籠」を突きつける気分なんですね。

「どうだ、NY様がこうおっしゃっているぞ、ひかえ、ひかえ!」というわけ。

この行動の背景には、自分は愚かな日本の一般大衆とは違って、欧米の知的道徳的水準に達している先進的な人間なのだという無意識的な知的選民思想が潜んでいます。

しかし、そういった「欧米人様のご意見」は正しいのだろうか。

私はそうは思いません。

そもそも欧米諸国と日本を同列に置くこと自体がフェアではない。

第一に、彼らには国外活動が可能な諜報機関と軍隊、そして特殊部隊がある。自国民を救出する軍事作戦に対するメディアと国民の理解も大きい。それ以前に相手との関係悪化を厭わない強硬な外交が国民の間で許容され、かつ欧米諸国間の強力な集団的自衛権もある。つまり、欧米のジャーナリストは、いざという時は頼りになる強力なバックがある。

対して、日本はどうか。

「強硬な外交」どころか、韓国のように反日ハラスメントを繰り返す相手に対してちょっと距離を置いただけで、「近隣諸国と関係を悪化させた」などという、言いがかりに等しい政権批判が沸き起こる始末です。しかも、野党やメディアが率先してやる。

彼らはなぜかこういう時には、誰よりも「自己責任論」(自国責任論?)を唱える。

中には、北朝鮮が核実験をしてミサイルを撃つのも安倍のせい、と真顔で言う輩がいるのだから、「日本“絶対悪”論者」の奇矯な思考たるや相当重傷です。

このように、日本は強硬外交どころか、離間外交・反論外交でさえも容易にはできない。ましてや、欧米みたいに軍隊を用いた力づくの対策ができるはずもない。

第二に、そもそも中東やアフリカにおける無法地帯的な混乱には、欧米諸国に大きな責任があるのではないか、ということです。公然たる軍事介入は控えていても、影でコソコソと武器セールして火に油を注いでいるドイツも半ば同罪。つまり、そこで起こっている真実を伝えることに関して、欧米のジャーナリズムには一定の責任がある。これは難民・移民の問題でもそう。彼らには一定の受け入れ義務がある。

だから、欧米のジャーナリストが危険を冒して報道するのは、当たり前といえば、当たり前なわけです。ついでに自分たちの責任も少しは自覚してもらいたい。

日本を彼らと同列に置くのがおかしいのです。