仏教をたった一言で説明する【たぶん世界初】

宗教・精神世界・スピリチュアル
出典よく分からないけど、お借りします(笑)。




みなさん、こんにちは。

今回はまたキチGUYと誤解されかねない話をします。

マーケット・コンサルタントの大西さんが亡くなられました。

つい先日まで記事をお見かけしていたのだが・・。

人間、いつ死ぬかも分かりませんね。

ところで、これはアゴラさんの速報ですが、一見して違和感が・・。

えーっと、この場面で、親指立てて「いいね!」というのは・・。

まるで人の死を喜んでいるかのよう。

しかも、笑顔の大西さんの写真がいっしょに掲載されていると、なんか大西さんが笑いを取りに掛かっているようですらある。

これは編集の問題というより、フェイスブックのシステムの問題なんですね。訃報記事になると、「いいね!」や「like」などの共感ボタンが雰囲気とそぐわなくなる。

言うまでもないですが、「いいね!」した人は、逝去に対して「いいね!」と言っているわけではなく、「私もお悔やみ申し上げます」と吐露している。

つまり、訃報「記事」のほうに対して、「よい記事だな、いいね!」と共感表明している。

そう頭では分かっていても、やはりパッと見で、なんだコレはと、思ってしまいます。

たぶん、「いいね!」した人も、もっと他に表現がないのかと迷いながらした人も多かったのでは。「同意」とか「肯定」とか「共感」とか、他に種類があったらいいですね。

私もなかなかいいのが思い浮かびませんが・・。



誕生はログイン、死はログアウト、この世は難易度の高いゲーム

もっとも、小沢一郎や鳩山由紀夫の場合は、「いいね!」が本当に「いいね!」という意味で使う人も多いのかもしれませんが・・・。

(↑これ・笑)

ところで、ここからが本題なのですが、私は「お悔やみします」と安易に表明するのもどうかと思っています。人の死に対して一様にその態度表明で本当によいのかと。

なぜなら、死とは別の世界に行くだけで、存在が消滅するわけではないので、平均寿命まで達せられて、生前に十分活躍された方の死を、過度に悲しむ必要はありません。

「よく頑張りましたね。ゆっくりしてくださいね」のほうが私的にはしっくりする。

「死んだら終わり」という唯物論的思想は、現代人の重大な錯覚の一つです。この思い込みが様々な混乱を引き起こし、不要な幽霊を増やす原因にもなっている。

人が“死んだ”後に真っ先に生じる場面は、生命の火が消えた自分の肉体をそばから眺めて、自分が依然として存在している事実を自覚することです。

だから、原爆で一瞬にして蒸発死した唯物論者などは、相当混乱したことが想像されます。私からすると、そっちのほうがよほど気の毒だったりする。

また、死後、遺体を冷凍保存して後世に甦ることを夢想している金持ちがいますが、そういう人に至っては、愚か過ぎて言葉も出ません。

私は早くからそういう価値観だったので、正直に言って、人の死を心の底から悲しいと想ったことはありません。自分が死ぬことすら何とも想っていない。

ただ、私にはやるべきことがあるので、それを果たすまではこの世にいさせてほしいと神様にお願いしてある。仕事を中途半端にしたまま死ぬことに対する恐れならある。

人間は本質的には不死の存在です。

本当はVRの世界にログインして、ログアウトするだけの話なのです。

ただし、問題点は、大半の人はそれを強制されている、ということです。

強制的に「この世ゲーム」をやらされるというのが宇宙のルールなのです。それは究極的には神様(唯一の意識)が自分で作って自分自身に適用しているルールですが。

ゲームですから、いつかはクリアしなければならない。

クリアしないと、またログイン(輪廻転生)することになる。それはまだカルマが残っていたり、欲望や執着を持っていたりすると、自動的にそうなります。

このゲームはたいへん難易度が高いんですね。

そりゃそうです。神様がわざと難しく作ったわけですから。

たとえるなら、任天堂の宮本茂さんが、自分で楽しみたくて、最高のゲームを作ったようなものです。その後に頭を打ってわざと記憶喪失になった・・こんな感じです。

あまりに難しいから、神様はこの世にブッダを使わしたんですよ。

ブッダは、本当は何を説いていたと思いますか?

仏教を一言で説明すると、

「どうすれば輪廻のサイクルを脱する(解脱する)ことができるか?」

という教えです。

すべての焦点をそこに合わせて、ブッダは教えを説いています。

これが仏教の真実中の真実です。

つまり、ブッダさんは「元祖ゲーム攻略名人」で、仏教はその攻略マニュアルなのです。

(こりゃまたなんか言われそうだな・・・苦笑)

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