人生で本当に価値のある努力はたった三つだけらしい

宗教・精神世界・スピリチュアル
谷中の猫 撮影:Takaaki Yamada




いつの頃からか、「勝ち組・負け組」というおかしな基準が世の中で吹聴されるようになりました。日本には元々そのような価値観は一般的ではありませんでした。

それに伴い、「成功の法則」といった類いの人生訓やノウハウが巷間に溢れるようになりました。しかし、それらの教えの中には、本当は霊的な観点から言えば、成功どころか、逆に真の成長を妨げ、停滞させる可能性すらある有害な内容も含まれています。

それに気づく上で、福島大学教授の飯田史彦氏の体験が参考になるかもしれません。飯田教授といえば「生きがい論」シリーズでも知られている方です。



本当は、世俗の成功だけでなく、そのための「努力」にも価値がなかった!?

ある時、飯田氏は脳出血で倒れ、緊急手術を受けました。その際、いわゆる高次元の世界において、光の存在と対面するというスピリチュアル体験をなさいます。

こういった「あの世のマスター」の存在は、退行催眠の専門家でもあるブライアン・ワイス博士も施術中に遭遇していて、啓蒙的な教えを数多く記録されています。

http://aquariusbible.com/archives/715

飯田氏もまた臨死体験の際、そのような光のマスターと出会い、貴重なメッセージの数々を託されて、この世へと戻って来られました。大手術にも関わらず、障害も残らず、その後は職場復帰して以前と同じように働いておられることから、もしかすると飯田氏は、まさに「教え」を伝達する使命のために「上」から選ばれた方かもしれません。

その貴重な教えの数々が以下の本にまとめられています。

この本の中に、人生において成すべきたった三つのことが説かれていました。

私たちの世俗の価値観とは異なっていて、大変興味深い「教え」だったので、少し紹介させていただきたいと思います(*赤字強調は筆者による)。

私「ということは…充分に学んだか、充分に愛したか、充分に使命を果たしたか…たった、この三つなのですか?」

光「その通りだ」

私「人生を終えてから問われるのは、それだけなのですね?」

光「その三つの問いに、すべてが含まれているからだ」

私「すべてが?」

光「ほかに、何を問えば良い?」

私「……たとえば、人間社会で、どれだけ成功したかということも、少しは、価値があるのではありませんか?」

「人間社会での成功には、価値はない」

私「そこまで言い切ってしまって、良いのでしょうか?……表現が、極端すぎるのではありませんか?」

「かまわない」

私「しかし、すべてのことには価値があると……あらゆることには価値があると、私はそう信じながら、人間社会で生きてきたのですが……」

光「人間社会では価値があるかもしれないが、人間社会での成功が、こちらで問われることはない

私「もちろん、人間社会での地位や名誉や、お金や財産が、こちらで大きな評価に結びつくとは思いませんが……それでも、人間社会での成功を目指してがんばった、その努力にさえも、価値がないとおっしゃるのですか?」

「無い」

私「しかし、あらゆる努力には、それぞれ価値があるのではありませんか?」

「価値があるのは、ただ、学ぶ努力、愛する努力、使命を果たす努力……この三つの努力だけだ。それ以外は、人として生きる、本来の目的ではない」

私「つまり、ただ純粋に、学ぼうと努力し、愛そうと努力し、使命を果たそうと努力した、その結果として、人間社会での成功がついてくるならば、その成功には価値がある、という理屈なのですね?……成功そのものを目的にした努力には、価値はないということなのですね?」

光「そのような、理屈の問題ではない。人間社会での成功は、こちらに戻ってきた際に、すべて取り払われているということだ」

私「たとえ、学ぼうと努力し、愛そうと努力し、使命を果たそうと努力した結果としての成功であっても、こちらの世界では、まったく評価の対象にしていただけないのですか?」

光「こちらの世界で問われるのは、学ぼうと努力したか、愛そうと努力したか、使命を果たそうと努力したか……ただ、それだけだ」

私「ということは、人間社会で成功してもしなくても、人生を終えたあとの評価は、まったく同じなのですね?」

光「同じではない。学び、愛し、使命を果たそうと努力したならば、その結果として社会的に成功したかどうかにかかわらず、それは望ましい人生である。しかし、たとえ人間社会で成功しても、学び、愛し、使命を果たそうと努力したのでなければ、それは望ましくない人生なのだ」

私「……」

光「したがって、人間社会での成功そのものは、あらゆる意味において、こちらの世界では、評価対象にならない。これらの世界で問われるのは、充分に学んだか、充分に愛したか、充分に使命を果たしたか……ただ、それだけだ」

私「しかし、そのような評価システムだと知ってしまうと、人間たちは、社会的成功を目指して努力する気がしなくなり、懸命に働く意欲を失ってしまいます」

光「社会的成功を目指す努力など、必要ない。働く目的も、また、学び、愛し、使命を果たすためだからだ」

私「それならば、人間たちは、何を目標にして、努力すればよいのでしょうか?」

光「学び、愛し、使命を果たすことだ」

私「たった、それだけなのですか?」

「それだけだ」

いかがでしょうか。

飯田教授は、なかなか腑に落ちなかったのか、相当しつこく光の存在に質問を浴びせかけていますが、そのおかげで議論が尽くされ、結論が鮮明になった感があります。

「人間社会での成功そのものは、あらゆる意味において、こちらの世界では、評価対象にならない」ということです。それを目的とした努力も必要ないということです。

このほかにも、この本には貴重な教えや教訓がたくさん詰まっています。

ツインソウル―死にゆく私が体験した奇跡

この記事の続きが以下です。

http://aquariusbible.com/archives/729

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