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原爆投下を正当化する古谷有希子

撮影:Takaaki Yamada

さて、古谷有希子暴言シリーズ第2弾。

正直いって前回の「日本の男が死ねばいい」発言は、小物の失言程度のことであり、あまりムキになるほどのものではない。ま、どうせ瞬間風速で終わる人だろう。

実は、私が本当に怒ったのは、以下の発言(下)なのだ。

「原爆投下には人類に対する暴力を振るった日本を一刻も早く止めるかつという正当性がありました」である。

原爆投下に正当性があっただと!?

さすがにこの発言は看過できない。軽率とか無知では済まされない。

私はこの8月に、改装された原爆資料館の見学を勧める記事を書いた。

広島――平和の尊さを実感し、それを守り抜く誓いを新たにする人類の聖地
当サイトにおける初のオリジナルが以下でした。 この記事以前のものは、他のネットサイトで発表したものの再掲です。 当サイトを開設するにあたり、なぜ私がこの記事を初のオリジナル記事としたのか? それにはちゃんと意味があ...

原爆投下は「人道に対する犯罪」なのである。

民間人を主たる対象としたジェノサイドである。

しかも、戦術上も、まったく不要な行為であり、その意味では「戦闘」というより、人種的憎悪に根ざした快楽殺戮とか、生体実験とか、そういう類いの犯罪である。

その意味で、これこそナチスのホロコーストと並べられるべき狂気なのだ。



日本の侵略行為は過去に繰り返されてきた無数の侵略行為と本質的に違わない

ここまで全文不見識だと、いったいどこから突っ込んでいいやら・・。

まず「人類に対する暴力を振るった日本」という表現が異常だ。実はこの点を深く掘り下げていくと、彼女だけでなく多くの者が犯している過ちが浮かび上がってくる。

そう気づいたからこそ、ここで取り上げる意味があると考えた次第である。

私は日本帝国が暴力を振るわなかったと言っているのではない。

それどころか、以前から「日本が中国を侵略したのは事実だし、民間人の虐殺等の戦争犯罪を行ったのも事実だし、戦後は賠償すべきだった」と一貫して主張している。

この意見は一度もブレていない。今も同じ考えだ。

しかし、一方で、それは太古から繰り返されてきた「通常の侵略行為」であって、日本軍の戦争犯罪は決して“特殊犯罪”ではないし、計画的ジェノサイドでもない。

個々の戦場レベルでそういう事実があったとしても、国家戦略や国家方針の次元でそうだった事実はない。そういう意味で、過去に欧米諸国や中国・イスラムの王朝、その他古今東西の無数の国家がやってきた過去の侵略行為と、本質的には何ら違いはない。

にも関わらず、なぜ「人類に対する暴力」などと、まるで特殊な犯罪を行ったかのように描写されねばならないのか? 仮に第二次大戦中の日本軍の行為が「人類に対する暴力」だというなら、過去すべての侵略行為は同じように表現されなければならない。

また、古谷有希子ロジックだと、外国に対して侵略行為をした国には、都市部に原爆を落として民間人を皆殺しにしても構わない、正当だ、ということになる。

自分がそういう馬鹿なことを言っているという自覚があるのだろか。

古谷有希子の思い込みの背景にある歴史に無知な人間に共通した過ち

たぶん、日本が特殊な犯罪国家だと彼女が思い込んでいる原因の一つは、近代史に無知な人間にありがちな「日本帝国とナチスドイツの混同」であろう。

ナチスドイツは過去通常の侵略や戦争犯罪を大きく逸脱し、「ホロコースト」や対東方「絶滅戦争」のように、特殊にして異常な「人道に対する罪」を行った。

とくにホロコーストの異常性は百万言費やしても語り尽くせぬ。なにしろ、「ただ住んでいた」だけのユダヤ市民を駆り集めて、計画的に絶滅しようとしたのだ。当時の欧州に「300万の軍隊を持つユダヤ帝国」が存在し、ドイツがその帝国と戦争して、ユダヤ市民を虐殺した、という話ではないのである。だから“戦争犯罪”ですらない。

当然、日中戦争とホロコーストを同列に置く者は、アホ以外の何者でもない。

ゆえに「人類に対する暴力」は、ドイツに対しては妥当な表現かもしれない。

しかし、日本はそのナチスドイツとは異なる。

これは日本人だけの勝手な主張ではなく、たとえば、多摩大学の学長だったオーストラリア元外交官のグレゴリー・クラーク(Gregory Clark)は、「日本が似ているのは第一次大戦時のドイツだ」と言っているし、またピューリッツァー賞作家のジョン・トーランド(John Toland)は、日本とナチスは全然違うとした上で、「アメリカはまったく異なる二つの戦争を戦っていた」と主張していた。

こういった見方は、戦前に実際に日独と戦った連合国では当たり前であった。

ところが、80年代、オランダ人のイアン・ブルマ(*Ian Buruma)の『戦争の記憶―日本人とドイツ人』――日本とドイツを同列の前提とした極めて愚劣で無知な本――が話題になった辺りから、まず欧米で両者の混同が目立ち始めた。

(*イアン・ブレマー Ian Bremmerのことではない)

そして、90年代に入り、アイリス・チャン(Iris Shun-Ru Chang)の『レイプ・オブ・南京』が話題になると、メディアや歴史界において、完全に両者を同一視し、「ドイツは過去を清算したのに、日本はしていない」式の誤解が急激に定着していった。

こういうのは歴史の真実とはほど遠い「偏見の類い」でしかない。

原因のもう一つは、まさに彼女が例として引き合いに出している「慰安婦」と「南京虐殺」についてであろう。この二つを、原爆による大量虐殺と同列に論じている点で、もはや救い様がないと言わざるをえないし、しかも彼女が「慰安婦」と「南京虐殺」をどんなふうに認識しているかまで想像ついてしまうのだから、もう苦笑いする他ない。

おそらく、前者に関しては、「日本軍が20万人の朝鮮の少女を誘拐して性奴隷にした挙句、殺害した」という異常な認識(これは北朝鮮の公式見解でもある)であろう。

後者に関しては、「南京市に入城した日本軍が無抵抗な30万以上の市民や捕虜を虐殺した」という中国共産党の公式見解に沿うものか、又それに近いものだろう。

この二つの事例に関しては、私は、欧米のメディアやその辺の歴史家よりもはるかに詳しいと自負しているが、ここでは細かな事実関係の披瀝は控える。

興味深いことに、これはアジアの近代史に無知な欧米メディアが、中韓朝のプロパガンダを鵜呑みにして作り上げたステレオタイプな偏見そのままである。

こういう事実関係の誤ったイメージを抱いた上で、「日本人は過去の歴史を直視しない」などと二重の偏見を抱き、安物の正義感から憤っているのが一般の欧米人だ。

奇妙なことだが(あるいは彼女の経歴からすると奇妙でも何でもないのかもしれないが)、このような歴史に無知な欧米人と同じ目線に立って、「日本人は歴史を記憶していない」とか「過去を清算していない」などと見下しているのが古谷有希子なのである。

私に言わせれば、彼女のように、欧米に行って、わざわざ欧米の偏見に染まって、同じ日本人を偏見と優越感の眼で見下すようになる“同胞”こそが一番厄介である。

原爆投下の「正当性」など一切ない!

さて、彼女は原爆投下が「日本を止めた」と信じているようだが、これもまた無知なアメリカ人にありがちな偏見である。

終戦時、日本は二つのルートで講和を打診していた。

一つはスイスでOSSのアレン・ダレスらを相手にした和平交渉である。

もう一つは、まだ中立国だったソ連・スターリンを通した交渉。

スターリンなどはルーズベルト相手に直接「日本がこんな馬鹿な話を持ちかけて来ているぞ」と言って、嘲笑っていた。

つまり、日本が戦争をやめたがっている事実はちゃんとFDRに伝わっていたのだ。

では、「日本上陸作戦に伴って発生すると考えられる100万人のアメリカ兵の犠牲を無くすためにも原爆投下はやむをえなかった」という「例のアレ」は何なのか?

実は戦後、新聞記者から原爆投下について問い詰められたトルーマンが苦し紛れに「25万人のアメリカ兵を救うためだった」と弁明したのが発端だった。

もちろん、ただの言い訳で、実際のトルーマンは何ら苦悩なく決断した。

その見苦しいいいわけが、さらに4倍に誇張されて広まったのが、上のヨタ話である。

むしろ、日本が降伏しようとしているのを知って、その前に慌てて落とそうとした意図すら感じられる。しかも、元の計画では大量殺戮はさらに大規模であった。

こんなものは「戦闘」とか「戦争」ですらない。

第一に、新兵器の純粋なテストである。都市部に使用したらどれだけの人間を殺戮できるか、どのような被害を与えることができるか、という実験だ。

しかも、明らかに人種主義に基づく。

第二に、ソ連を威嚇して戦後の主導権争いを優位に導くための。

第三に、マンハッタン計画に投じた莫大な資金が無駄ではなかったと証明するためになされた。第二と第三は軍事的必要性というより「政治的理由」であろう。

そうした理由のために、もはや降伏しようと模索している全身傷ついた瀕死の国と人々に対して、アメリカは原爆を投下し、大量虐殺を行った。

戦争とはいえ、やっていいことと、悪いことがある。いくら戦争であっても、一般市民に対する計画的な大量虐殺など、やっていいわけはないのである。

まさに「人類に対する暴力をふるった」のはアメリカである。

そしてそれを正当化するためにも、又自身の犯罪性を相対的に減じるためにも、アメリカにとって戦前の日本はナチスドイツと同様の「悪魔」でなければならないのである。

だから彼らが戦前の日本を論じる時、常に無意識のバイアスがかかる。

海外(欧米)に出て、その現地人の偏った歴史知識や歴史観がさも高等なものであるかのように錯覚して、同胞に対して異常な優越感に捕られ、思わず説教を始めてしまうというのは、古谷有希子に限らず、まあ、よくあるパターンではある(笑)。

だが、「原爆投下に正当性があった」などと平然と口にするまで堕落した者、つまり最後の一線まで越えてしまった者は、極めてレアであると言わざるをえない。

左派やリベラル派でも、正当化するような人間はいない。