仮に「最悪のケース」でも国民の暮らしと引き換えにする価値はあるのか

オピニオン・提言系
Takaaki Yamada 急速に暗雲が垂れ込めてきた日本経済




安倍政権は1か月程度となる5月末までの緊急事態宣言の延長を決定した。

政府の専門家会議と、マスコミ・大衆世論を受けての判断である。

謙虚に腰を低くして、いろんな人々の意見を聞いて、物事を慎重に判断するのは、安倍さんの良い点ではあるが、今回はそれが悪い結果へと繋がっている。

ここ数日、私はほとんど家にいて、昼間のワイドショーとNHKニュースを見ていたが、まさに日本社会は集団ヒステリーの渦中としか言いようがない。

まだ30代なのに新型コロナで急激に体調が悪化して死に掛けた人や、自宅療養していて一日で容態が急変して亡くなった人などが、大きく取り上げられているが、こういった人たちは「まったくの例外」であり「特殊例」であることを再認識すべきである。

マスコミは、こういう一般人にとっては0・000何%という超例外的事例を取り上げて、「あなたもこうなる可能性がある」と視聴者に恐怖心を植え付けている。

かくてウイルスではなく「恐怖」が感染拡大した。人々を引き離し、集合しないようにして、自ら管理社会の檻の中へ入るよう仕向けているとすれば、うまい手だ。

しかも、恐怖一辺倒ではなく、著名人が率先して呼びかけて「みんなで踏ん張ってこの難局を乗り切りろう」みたいな一体感・共闘意識の醸成も平行して行われている。

たとえば、著名人による「上を向いて歩こう」のリレー歌唱とか・・。もちろん、私としても、善意でやっている人たちを批判するつもりは毛頭ないし、それどころか実際に勇気付けられる人も大勢いるだろうし、我ながらケチをつけることが憚られる。

しかし、たとえば侵略戦争中の国家において「みんなで頑張って困難な戦いに打ち勝とう」と人々を鼓舞し勇気付けたとしても、根っこの間違いは強化されこそすれ、正されることはない。自覚ある無しに関わらず、間違った国家方針の“共犯”なのだ。

いったい、電通のイベントプロでも関わっているのだろうかと思う。

しかも、策源地が安倍政権とも思えない。これから失業が急増することと相まって、大衆心理を戦時下へと誘導する巧妙な世界的社会操作の臭いがする・・。



大のために小を切り捨てる決断ができるのが真のリーダーである

さて、今現在のピンチに際して、安倍さんが悪い見本ならば、真のリーダーシップと真の政治はかくあるべきだろうか。

ピンチの時にこそ、落ち着いて冷静に判断できる資質は言うまでもない。だが、もっと必要なのは「大のために小を見殺しにする」ことも厭わない「冷酷さ」である。

別に大袈裟ではない。現状を「戦争」に例える向きが多いが、戦時はその種の決断の連続である。そして、それこそが「将=最高司令官」の器なのである。

4月15日、北海道大学大学院の西浦博教授らが「何の対策も取らなかった場合、42万人が死亡する」とのシミュレーションを発表した。

これが西浦氏はじめ専門家のいう「最悪のケース」である。

その翌日、緊急事態宣言が全国に発令された(東京など7都道府県は7日に先行発令)。

それは5月6日期限だったが、言ったように月末まで伸びるらしい。

これが安倍政権の政治決断である。

しかし、この“最悪のケース”の本質を抽出するなら、次のようなことが言える。

「42万人というと、国民の300人に一人である」

「その一人も8割以上が70歳以上である」

出典東洋経済

「80歳以上ならば、コロナウイルスが来ようが来まいが、もうじき死ぬ世代である」

「今現在、日本人の人口比死亡率は世界最低水準で、30歳未満は誰も死んでない」

「50代でさえ0・6%の死亡率であるが、これはそもそも発熱などの症状化した患者が検査を所望した結果の割合が大きく、実際の感染数からいえば比率はさらに低いはず」

「つまり、現状、生産年齢世代と子供たちはほとんど打撃を受けない」

「アビガンその他がコロナウイルス症に効くことも分かり、出口も見えつつある」

つまり、極端に単純化してしまえば、100家族あったら、そのうちの1家族で、「お爺ちゃん・お婆ちゃんが“風邪”を引いたと思ったら急に死んじゃった」みたいな悲劇が起きるということ。これが専門家のいう「最悪のケース」である。

たしかに、その家族の目線では大変な悲劇に違いない。

そして、マスコミも大衆もその目線・その次元で物事を語り、喧伝する。

しかし、そういった「空気」に引きずられることなく、なおかつ「国民の最大多数の最大幸福」という大きなモノサシを使って冷静に判断できる人こそ真のリーダーである。

果たして、そのお爺ちゃん・お婆ちゃんを何年か延命させるために、緊急事態宣言を発令して国民全体の暮らしや経済の何割かを犠牲することは妥当だろうか――。

不況を招き、大量の失業者を生んでまで、引き合うような取引だろうか――。

(エゲツナイ話ではあるが)高齢世代は、ずるずると長生きしたところで、医療費と年金を食い潰していくだけの存在と言えなくもない。コロナでポックリ逝ってくれたほうが社会保障支出が抑えられ、現役の生産年齢世代と子供たちは助かるのではないか――。

断っておくが、これは「私の思考」というより、リーダーならばこういう「大のために小を見殺しにする悪の思考」もあって然るべきだ、という例えの話をしている。

結論は、「最悪でこのレベルの災害ならば、対策がどうしても大に犠牲を強いる格好になってしまうならば、いっそ捨ておけ」的な判断が指導者として妥当かと思われる。

冷酷なようだが、これが真のリーダーの思考であり決断ではないだろうか。

人間が100人いたら、100人全員が幸せになり、受益者になれる政治などない。

「最大多数の最大幸福」を採るということは、逆にいえば、常に少数者に不便・不利益を強いることでもある。時には「犠牲」さえも・・。これはやむを得ないのだ。だから政治をして「利害調節」と断言した故・竹下登は、言われているほど無能ではない。

戦後「人命至上主義」は結果的に子供たちにツケを回す

しかし、声を小にしても、世間ではこういう話は公言できない。

政治家ならば政治生命に関わる。

大きな理由は、何が何でも人命が大事なのだ、という戦後の悪しき盲目的人命至上主義である。それを象徴するのが「人命は地球より重い」という福田赳夫の言葉だ。

長嶋茂雄の「わが巨人軍は永遠に不滅です」は、まだ言語明瞭・意味不明ですむが、「人命は地球より重い」は政治イデオロギー的で、ナンセンスな世迷言に過ぎない。

たしかに、戦前の人命軽視は酷かった。結果として何百万人もの国民・将兵に不必要な死を強いてしまった。その反省の上に立つ気持ちは、痛いほど分かる。

しかし、針が反対に触れすぎて今度は「行き過ぎた人命尊重」になってしまった。

欧米の大半では(と言いたくはないが)、犯罪者が警察官を襲ってきたら問答無用で射殺する。しかし、日本ではいちいち警告射撃をしたり、発砲後が正当か否かを説明したりしなければならない。凶悪現行犯の人権だの人命だのを尊重しなければならないのだ。

病院では、自力では呼吸も食事もできない、生物としてはとっくに死んでいるような老人を、投薬してチューブだらけにして生かす真似をしている。

老人ホームでは、入居者のちょっとした診療でも「お車」で送り迎えし、熱が出たとか、ぶつけてアザができたという程度のことで、救急車を呼びまくっている。

「人命至上主義→自然の摂理すら無視した過剰医療→国民健康保険料の高騰」と連鎖し、結果として現役世代とその子供たちが命を削る悪循環に、日本は陥っている。

ただ呼吸しているだけの死にかけの老人であっても、彼を生かすために、入居・世話・医療費として、保険料や税金から月に50万円以上も平気で支出する。すべては「人命」のためだ。対して、子供たちには金を掛けない。やっていることが逆さまなのだ。

これからは、人命尊重は尊重でも、「平均寿命から見た残り年数」という基準で、さらに人命を冷酷に点数化したらいいと思う。そうすれば子供たちの人命がもっとも価値が高いということになる。「一律尊重」よりも、こちらのほうが、まだマシである。

言うまでもないが、私が老人になってもこの主義主張に変わりはない。

(*なお、他記事で述べてきたように、そもそも「最悪のケース」でも「42万人死亡」という事態にはならないと私は考えている。つまり、益々もって“過剰対策”ということ)

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