さて、故・金正日の稀代の美食家ぶりのエピソードですが、やたら高級なものやブランドものばかり食べているのかというと、そうでもない。
そういう「世間の評価」にこだわるのは、むしろ成金に多く、彼のようにいつでもそれが手に入るクラスとなると、かえってブランドに対するこだわりがない。
あくまで自分の舌を信じる。だから自分が旨いと思えば、安かろうが、庶民のものであろうが、一向に構わない。かの北大路魯山人(きたおおじろさんじん)もそう。
果たして、金正日が好んだ庶民の味とは何か(又は逆に好まなかった味とは)?
一部はすでに上の画像でバレちゃってますが(笑)。
それでは「金正日の料理人」藤本健二氏の興味深いエピソードをどうぞ。
金正日の私生活―知られざる招待所の全貌
(以下、同書P62~71から引用)
北朝鮮でいちばんうまい食べ物はコメ
あるとき、金正日の命令で、日本に一泊二日で買い出し出張し、大福餅百個、草餅百個を銀座三越で買ってきたことがあった。
そのときかかった交通費、宿泊費にその他雑費を加えて割り算してみると、なんと一個百十円の大福餅が一個千五百円相当に値するのだった。(略)
「日本の草餅はなぜこうも美味いのだ」
金正日は居合わせた料理士たちに食べさせ、
「どうして我が国ではこれができないのだ。同じヨモギなのに、なぜ、お前たちにこの香りが出せないのか」
と食の香りにこだわる金正日は口惜しがっていた。
ところで、まえがきでも述べたが、北朝鮮での食材でもっとも美味いものは、まちがいなく「おコメ」である。おそらく日本のどのブランド米も降参する極上米である。
だが、当然ながら、それはほんの一部の特権階級の口にしかはいらない。(略)
粘りがあって甘みがあって、ササニシキの新米よりもっと上等なのである。食糧難で土地が痩せているという北朝鮮のイメージとは正反対の資沢で豊穣な味だ。
だから、拉致被害者の蓮池薫氏が「コメは北朝鮮のほうがうまい」と語っていたのは本当なのである。(略)
金正日はおにぎりも好物である。北朝鮮の米は寿司シャリには不向きだが、これでつくったおにぎりは堪えられない。
金正日はおにぎりに添えるタクワンにもうるさい。あるとき、「タクワンを食べさせろ」と言うので、寿司用のタクワンを切って出したら、「これではない。これは寿司のときのタクワンだろう。黄色いタクワンを持って来い!」と駄目出しされた。(略)
クサヤと納豆は苦手
金正日が初めてドリアンを口にしたときのことだった。(略)
ドリアンに関しては、「すごい高カロリーなので、タイ人は一年に一度か二度ドリアンを食べ れば、その年は健康に過ごせる」と聞かされていた。
笑いながら食べていた金正日が尋ねた。
「藤本、日本にもドリアンのような臭い食べ物があるのか?」
「はい、ございます。魚で、クサヤという食べ物です」
「よし、今度日本で買ってこい」
次の日本への買い出し出張のとき、私はクサヤを五十枚ほど買い込んで、平壌に戻った。
まもなく金正日の日の前でクサヤを焼くことになった。私はクサヤには「ユカス」を使う。ユズとカボスとスダチのことである。焼いたクサヤをほぐしてユカスをまぶして食べるのが最高だと思っている。
だが、金正日将軍はちがった。一口食べたとたん、その顔が歪んだ。
「うえっ、これは駄目だ。食えない!」
五十枚のクサヤがすべて私のものとなったのは言うまでもない。
また、無類の寿司好きな金正日だが、どうしても駄目なネタもあった。
それは納豆巻だった。(略)
私が日本からもってきた納豆は、クサヤ同様、金正日の口にはどうにも合わなかった日本食の一つであった。
金正日が健康のためにいいからと食べるものはそうなかったが、しいていえば、魚の干物だろうか。同じ干物でもクサヤにはまったくお手上げだったが、こちらのほうは気に入ってくれた。(略)
「今回は何か美味いものをもってきたか?」
「はい、今回は寿司の材料のほかに、ご飯と一緒に召し上がると美味しい魚の干物を揃えて参りましたので、楽しみにしていてください」
アジ、サンマ、サバ、カレイ、カマスの開き。それとシシャモを日本から仕入れてきたが、金正日が特に気に入ったのは、アジ、サンマ、シシャモの三つだった。
焼いた魚に大根おろしを添えると、金正日は不思議そうな顔で、
「なぜ、こうするのだ?」
と尋ねてきた。私が、
「大根おろしに少し醤油を垂らしまして、ほぐした身と一緒に召し上がってください。大根おろしにあるジアスターゼがとても体に良いですし、消化を助けてくれます。それに魚の臭みも消してくれますから」
と説明すると、金正日は感心したように喰った。
「うーん、日本は繊細なのだな」
それから、金正日はよく魚の開きをオーダーするようになった。
別に北朝鮮の地元でもサンマやサバは捕れるので、金正日の料理士たちは私の指導で、魚を開いて干して、風に当てていた。意外に思われるかもしれないが、北朝鮮にはそれまで「干物文化」がなかったのである。ただし、スケソーダラの干物は、タラコを輸出していたりするので、昔からあったが。
金正日の食生活をウォッチしていて意外だったのは、あまり辛い食べ物を好まないことであった。金正日は、激辛キムチをばりばり食べるような日本人が想像するようないわゆる朝鮮民族ではなかった。キムチは食べるには食べるのだが、さっぱりした水キムチを好んで食べていた。日本で大流行りの激辛キムチ鍋の類を金正日が食べるのを、私は十三年間見たことがなかった。
ちなみに辛いものといえば、よく東洋人の富豪が寿司を食べる際にこれでもかとワサビをこねるが、金正日は逆に、ワサビの辛さも苦手である。(略)
まだ金正日の前で寿司を握るのに慣れなかった頃、ヤリイカの握りのワサビを利かせすぎて叱られたことがある。目にいっぱい涙をためた金正日が私に言った。
「おい、どうしたんだこれは!」
「ワサビがきつすぎましたか?」
「そこのところを調整しろ!」
私はひたすら謝るしかなかった。
寿司で変わったところでは、マツタケを炙ったものをのせて食べるのが好きだった。金正日が日本食でいちばん好んだのは寿司以外でいうとスキヤキだった。
スキヤキは肉自体も好物だったが、なにより砂糖と醤油の味つけが好きだった。肉にからめる卵も好きだったが、北朝鮮の鶏卵は黄身があまり黄色くなくて、むしろ白っぽい。これは餌が悪いからだろう。
夏のソウメンについては、老舗の三輪ソウメンとか揖保(いぼ)の糸をカタログから選んで、私が日本ら箱詰めで取り寄せていた。ソウメンのつけ汁は日本の市販のものはあまり美味しくなかったで、私が平壌でダシを工夫してこしらえた。
満足いくつけ汁ができたと報告すると、金正日から電話があり、
「すぐもってこい。味見をする」
と言うので、私はソウメンとつけ汁をもって、パソコンのある金正日の執務室に入った。金正日は器用にソウメンを四、五本すくいとって、つけ汁に入れ、つるつる吸い上げた。
「うまい、オーケーだ」(略)
最少人数での食事風景
私は金正日が一人で何かを食べている姿を見たことがない。
食事はみんなが集まって騒いで食べ、その雰囲気を重んじるのが朝鮮文化。
それも顔見知りの内輪の者たちと食べるのが通常といわれる。
そうであるならば、金正日が決して一人で食事をしないのも領けるのである。(略)
忘れもしない、一九八九年二月二十六日、私が結婚式を挙げた場所だ。
このときのメンバーは将軍様、秘書、通訳の金ヨンナム、私の四人だった。なぜかこの日、天婦羅論議になって、「天婦羅油のベストは何か」をあれこれ話し合っていた。
「日本では白姫油と胡麻油の比率が七対三くらいがうまく場がると言われています」
と私が主張すると、目の前の料理人が二種類の油を用意してきた。
確認すると、一つは白姫油百%で、もう一つが私が主張した白姫七割、胡麻三割だった。料理士が手際よく揚げたものを一品ずつ四人で食べた。
金正日の天婦羅の好物は車海老でも白身魚でもない。野菜やキノコの天婦羅を好んで食べ、大きく開いたマイタケをよく注文していた。
しばらくして、金正日が料理士に尋ねた。
「これはどっちの油なのか?」
「はい、将軍様。七対三のほうです」
「これはどっちだ?」
「はい、将軍様。白姫油百%です」
「うーん、こっちのほうが美味いな。藤本説より白姫油百%のほう美味いぞ」
これにはカチンときた。
だが、世界でも稀に見るずば抜けた味覚の持ち主が出した結論は無視できない。(略)
私は眠っているところを突然、電話で起こされたことがあった。
「おい、藤本。一人で夜食を食べても面白くないだろう。(平壌の)七号鉄板焼コーナーにこい」
時計を見ると、午前二時半だった。
「かしこまりました」
食堂に顔を出してみると、テープルに五個、日清食品の「ラ王」が置かれてあった。
将軍様、高英姫夫人、金昌成(チャンソン)ともう一人の秘書、それと私の計五名が一緒に「ラ王」をすすった。
高英姫夫人がいるのだから二人で食べてくれればいいのにと思うのだが、要するに金正日は寂しがりやなのだろう。
ちなみに金正日は日清の「ラ王」をはじめ、インスタントラーメンが大好きだ。
ただし、それは日本製に限られている。
以前、中国や東南アジア各国のインスタントラーメンを買ってきたものの、すべて顕微鏡検査で不合格になってしまい、安全なのは日本製だけという評価が定まっているからである。例えば、中国製のものからは大腸菌が検出された。
金正日は常々、「食品衛生面で信頼できるのは日本とスイスぐらいなものだ」と発言しているし、前述したように、冷蔵庫以外の電化製品は日本製に限ると断言しているように、モノを見る目は非常に確かなものがある。(後略)
(以上、引用終わり)
草餅、おにぎり、タクワン、アジやサンマの干物、水キムチ、スキヤキ、ソウメン、野菜やキノコの天婦羅、日清の「ラ王」・・。
見事に庶民の味です。ただし、ヨモギの香りやソウメンのダシにはうるさいように「本物」の味にはこだわっている。素材自体はこだわりの一品でなければならない。
もっとも、インスタントラーメンまでがラインナップされると、その考えも疑わしくなってきますが・・。本物のラーメン自体に馴染みがなかったのかもしれない。
ところで、藤本氏が夜中に叩き起こされて「ラ王」の夜食を付き合わされた話は傑作ですね。「独裁者」と言われていた人物の素顔は本当に興味深い。