今回の内容は中々納得していただけないかもしれません。
前回と前々回で、この世界が誕生した根本原因について説明しました。神様もまた遊びたいし、何か暇潰しをしたいわけです。ただ、神様がそれをやると、何とも壮大なスケールのものになってしまうわけですね。
それが宇宙万物を創造し、その仮想のユニヴァースの中で、生命という「多」となって戯れるという、超絶な疑似体験ゲームです。
おそらく、その戯れの中でももっともエキサイティングなのが、人間として化身している間だろうと思います。まさに私たちが「人生」と呼んでいるものです。
と言うと、私たちの人生は遊びではなく、人格の完成こそが目的であると反論する人もいると思います。
たしかに、私たちが日々そのために経験を積み、精進しているのは事実です。
しかし、それが宇宙創造の究極の動機ならば、はじめから完全なる存在である神がわざわざ「多」となり、未熟な人間になどなる必要はなかったに違いありません。
もっとも、それは決して間違いではないし、矛盾しているわけでもありません。なぜなら、そうやって至高の神を目指して己を高めていくという“ゲーム”であり“楽しい遊び”だからです。
それは本質的には遊びですが、ただ、とても難易度の高いゲームと言わざるをえません。だからこそ、プレイしていて楽しいし、充実感を得ることができるのだと思います。
と言うと、「プレイしていてもちっとも楽しくなんかないよ!」と怒る人も世の中には少なくないと思います。
世の中に存在する「苦」の本当の意味
たしかに、ある種の人にとって、人生は苦痛以外の何者でもありません。
たとえば、重度の病気や障害を抱える人々の中には、恋愛や結婚といった普通の人が望む幸せを諦めざるえない人も少なくありません。容姿に損傷のある人や、平均からかけ離れているというだけで、心ない者たちから差別と嘲りを受けている人たちもいます。極端に遺伝的な問題を抱えている人の中には“怪物”などと中傷され忌避されている人もいます。
ある意味、生まれてから死ぬまで、理不尽に苦しみ続ける日々が続くわけです。
また、世界には、飢えや拷問、戦災などの極端な苦痛にさらされている人がまだまだたくさんいます。途上国の中には、経済的・社会的理由から一生奴隷の身という人もいます。
そういう人たちは常に神様に問いかけていることでしょう。
なぜこんな理不尽な目に合わねばならないのか、なぜ私の一生はこんなに苦しいのか、なぜ私はこの世に生まれてきたのか・・・と。
しかし、神はただ沈黙しています。あるいは、戦争や残酷な拷問で虐殺される人の中には、問いかける暇すらないケースもあるに違いありません。
しかし、私たちは二つのことに留意しなければなりません。
一つは、転生を繰り返している間に、しばしば立場が入れ替わるということです。たとえば、安楽な側と悲惨な側、殺す側と殺される側、人種差別する側とされる側、という具合に。
もう一つは、人間の本質的部分が感じる楽しさや充実感と、私たちの表層の自我が感じるそれとには、大きな隔たりがあるということです。
私たちの表面的な意識が「苦楽」と考えているのは「相対的苦楽」のことです。ところが、人間の本質的部分は、その苦楽の双方を退屈しのぎの対象と見なしています。
分かり易く言うと、私たちの自我が感じる苦しみでさえも、私たちの中にいる神様にとっては「生の充実」であり、究極的には「遊び」と映っているわけです。
ブッダは生老病死を「苦」と説きました。
ところがその苦もまた神にとってゲーム的要素なのです!
そもそも、どんな残酷な運命であっても、神がそれを望まない限り、実現することはありません。
つまり・・・驚くべきことですが、私たち人間の身にしばしばそれが生じるということは、実は私たちの中にいる神様の部分が、楽しみだけでなく、苦しみさえも体験したいと願っている証拠ではないか、というわけです。
もちろん、この場合の楽しみ・苦しみとは、相対的苦楽のことです。
しかも、その“苦しい”経験がまた、人間性を向上させるゲームを進める上で欠かせないという、にくい仕掛けになっています。
これは私たちの今の人生観からすれば、とうてい信じられないストーリーに違いありません。
しかし、前にも言いましたが、どれほど苦しくても、真のあなたは、実は何の害も受けていません。そもそも、五感を通じて脳内に伝達される情報は、単なる電気信号でしかなく、実体はありません。
それは眼前のスクリーンで展開されている映画――今ならバーチャル・リアリティ・ゲームに例えるのが妥当でしょうか――であり、私たちの本質はその前に座っている、ただの観客なのです。
その「苦しみ」はどこまで行っても真実のものではなく、疑似体験に過ぎないのです。
サイババさんも言うように、どんなに辛くても、死んだあとに、すべては夢の中の束の間の出来事であったことが分かるのです。