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2020年東京五輪からの戦略的撤退を

【平成関東南海トラフ大震災】(へいせいかんとうなんかいとらふだいしんさい)

201X年X月、関東から九州南部までの広範囲にわたる地域が激しく揺さぶられ、被災した出来事。当初の震源は千葉東方沖だが、南海トラフへと連動し、四国沖までのプレートの矛盾が一挙に解消される形となった。1605年の慶長地震の再来とも言われる。地震・津波・火災等によって三大都市圏が被災、死者行方不明者XX万人、被害総額300兆円以上と、史上最悪の被害を出すに至った。また、その影響は国内だけにとどまらず、世界各国の株の暴落など、後世「世界経済の心臓発作」と呼ばれる事態を引き起こした。

『よげんの書』脚注より

・・・以上はむろん空想の話だが、「できるだけ政治家の皆さんに青ざめてほしい」という思いから、あえて脅かすふうな書き方をした旨をご理解いただきたい。

周知の通り、新国立競技場の建設計画が問題化し、安倍総理がそれを白紙に戻したわけだが、私個人にとっても望み通りであるにもかかわらず、どういう訳がそのニュースを聞いても「嬉しい」という気持ちが全然沸いてこなかった。よくよく己の心理を分析してみれば、やはり私は東京五輪の開催自体に反対しているのだと気づいた。そういえば、2013年9月、ブエノスアイレスのIOC(国際オリンピック委員会)総会で東京が開催地に選ばれたとのニュースに接した時、何とも形容しがたい複雑な感情が沸き起こったことを思い出す。テレビ画面の向こうでは関係者の皆さんが抱き合って喝采し、滝クリ女史のプレゼンがリプレイされていたが、一応は都民の私ですら、覚めていたというか、全然共感が沸いてこなかった。やはり自分の正直な気持ちを騙すことはできない。

過去の地震の記録を調べてみると、慶長、延宝、明治、昭和などでは、三陸沖と関東の大地震は見事に連動している。どちらか片方が起きれば、しばらくしてもう片方も起きる、という関係にあり、そのズレの期間は、最短で約7か月、最長で約10年である。

そうすると、東日本大震災から4年半が経過した現在、東京五輪前に次の関東大震災が起こる可能性はかなり高いとは考えられないだろうか。その場合、当然、復興を優先させねばならないから、焼け出された何十万もの人々を尻目に、競技施設をガンガン建てることはできない。仮に建設がほとんど終わっていたとしても、震災の爪跡がまだ残り、大勢の人が亡くなった後で行われるイベントは、決して心から楽しめるものではない。

では、仮にそれが五輪「後」に来たとしよう。天のご加護によってぎりぎりセーフとなったことは喜ばしいが、それでも復興には悪影響を及ぼすはずだ。なぜなら、貴重な財源を湯水のごとくスポーツ祭典につぎ込んでしまった後となるからである(文字通り“後の祭り”だ)。長所といえば、競技場が都民の避難場所として二次活躍するくらいだ。

三番目は、もっとも可能性として低いが、最悪なのは五輪の直前又は開催中に大震災が訪れるケースである。各国の選手団は曲りなりにも海外から来た「お客様」だ。危険にさらすわけにはいかない。また、大きな余震も頻発しよう。選手団が不安を覚える中での開催には疑問が持たれる。選手たちが「いつ地震が起きるかも分からない環境で競技をするのは嫌だ」と不安を訴えてボイコットする可能性も、ないとは言えない。しかも、競技場のほとんどは、液状化が懸念される湾岸地域に集中しているのだ。

このように、2020年に東京で五輪を開催することは、いくらなんでもタイミングが悪すぎる。おそらく、為政者としては、少しでも景気の牽引としたい、又、国際的なイベントで国内を盛り上げたい、という考えなのだろう。それは分からないでもないが、問題は果たして開催の時期が適切か否かである。来たる大震災は、日本経済全体に悪影響を及ぼしかねない、いわば国の浮沈がかかった諸問題を生む。一時的な景気効果と、復旧の遅滞からくる社会的経済的損失を秤にかけるなら、答えは自ずと明らかではないだろうか。

やはり、今は少しでも防災に力を入れ、できる限り想定される被害の最小化に努めるべき時期だと思う。そして、インフラ・人心ともに災害に備え、少しでも復興のための力を蓄えておく――これが戦略的に正しい道筋ではないだろうか。それにオリンピックは「今手放したら二度と開催のチャンスはない」というものでもない。仮に開催権をIOCに返上したとしても、この先、何度でも東京開催のチャンスはめぐってくる。あえて言えば、「開催を2030年代にズラすだけの話」ともいえる。むろん、返上することによって建設関係などで多くの契約解消と損失補償が生じるが、それでも震災勃発によって復興と五輪の二兎を追わされる事態に比べれば相対的に小さな問題にすぎない。

我ながら危機を煽っている風で嫌だが、福島第一原発事故のことを思えば、むしろ事が起こる以前なら、煽り気味くらいでちょうどよいのかもしれない。たしかに将来の震災を理由に開催を返上することは五輪史上、前代未聞の政治決断かもしれないが、2020年になれば、きっと誰もが次のように安堵しているに違いないと思うのである。

「あのとき返上を決断しておいてよかった」と。

2015年10月03日「アゴラ」掲載

Takaaki Yamada: