72年前の今日、広島に原爆が投下されました。
直後の市内は、地獄といってもいい惨状でした。生き残った人たちも、生涯にわたり、ひどい苦しみを背負いました。このような惨劇は二度と繰り返してはならない。
ところで、前回の大戦では、広島・長崎の悲劇が「終わり」に来ました。だが、今また大きな戦争に巻き込まれたら、今度はそれが「始まり」に来るかもしれません。当時の方々も、それが起きるまでは、自分がそんな被害にあうとは夢にも思っていませんでした。同じことが今の私たちにも当てはまらないとは限りません。
さて、そういう日に、こんな政治的な話をするのも何ですが・・・。
以下は、まだ可能性とか仮定の話です。
自称愛国者が詐欺容疑で逮捕
先日、大阪地検特捜部が「森友学園」の籠池夫妻を詐欺容疑で逮捕した。
実際の小学校建設費が15億5500万円だったのに、工事契約書を24億円弱に書き換える等、国の補助金や交付金を騙し取った疑い。
一応まだ「容疑」の段階だが、こんな人間が教育者をやっていて、しかも子供たちに愛国だの何だと説いていたわけだから、二重にどうかしている。
「愛国者」と自称することは、国家社会に対して普段から自分がいかに振舞い、貢献しているかという、一種の“道徳的資格”を問われることでもある。
他方で、左派・リベラル派がモラルを掲げて他者を裁く場合、やはり同様に、自身も同じ価値基準で測られることになる。こちらも“道徳的資格”を問われよう。
だから、道徳的落第者の私はどっちも名乗らないようにしている(笑)。
この両者の中には「自分はどうなのか?」を失念している者が少なくない。その点で、思想的に正反対なようでいて、人間的には似ている気がするのだが。
加計孝太郎氏は表に出て疑惑を晴らすべきだ
話を戻すと、同様の疑惑は、加計孝太郎氏と一族にもかかっている。
この人は表に出て来て、堂々と自身に降りかかっている疑惑を晴らせばいいものを、何をコソコソと逃げ隠れてしているのだろうか。
もちろん、籠池みたいに、とにかく堂々と出て来ればいい、というものではない(あれは開き直りであり、半ばヤケだろう)。だが、当事者として説明責任がある。
何か隠しているのではないか、何かやましいところがあるからそうやって逃げているのではないか・・と世間が疑うのは当然だし、私もその一人である。
門外漢ながらも、私なりに情報を集めた結果、以下の二点については納得している。
第一に、四国に獣医学部を新設することは正しいと思う。
第二に、それが加計学園でよかったのかというと、微妙な点はあるものの、四国において一貫して挙手してきた唯一の存在だから、これは仕方がない。
こういった新設機運も、元はといえば、地域の供給不足の実感から起こっている。
「新設は四国の公務獣医師不足の解消には繋がらない」とする意見は間違いで、必ず一定の効果はあるし、地域にとって不可欠な存在になると思う(*記事にしたい)。
つまり、根本的な状況は、決して加計氏に不利というわけではない。
にもかかわらず、なぜコソコソする必要があるのか・・。
・・という記事を書いていたら、まさしく8月4日、日本テレビの番組に出演した安倍総理の口から、国家戦略特区を利用した獣医学部新設に関して、加計学園理事長の加計孝太郎氏が国会招致に応じるとの見通しが示された。安倍総理は「彼の性格からいって誠意を持って対応していくだろう」と述べている。
もしかして私も加計氏の人柄に関して誤解している面もあるかもしれないので、ここはとりあえず先入観を捨てて、彼の国会での発言を見守りたいと思う。
“私物国家構造”という戦後日本の業病
というわけで、以下はあくまで「一般論」である。
補助金の詐取は、以上とは別個の問題になる。
四国新設が正しい、加計学園が今治市に建設するというのなら応援しよう、というのと、その流れを悪用して業者が私腹を肥やすのは、まったく別の次元の問題だ。
当然、事実ならば逮捕である。籠池夫妻のように。
実はこの種の話は、昔から公共事業・補助金事業につきものの腐敗だ。
戦後、とくに田中角栄政権以降、関係者が公益事業を利用して税金を食い物にする裏のシステムがすっかり出来上がってしまった。
上は永田町の大臣から下は町村役場の議員まで、様々な名目で公益事業を企画しては、そこに予算をつけ、地元に利益誘導するということを繰り返してきた。
地元に金を落とし、仕事を持ってくると言えば聞こえはいいが、要は政治家もキックバックにありつけるわけだ。それで富豪に成りおおせた典型が小沢一郎。
自民党のもっとも腐敗した部分にいた男であり、なぜこういう人間をしきりと持ち上げる者がいるのか、ミステリーという他ない。この男は政治家というより、選挙屋とか政局屋の類いで、それを政治そのものであるかのように錯覚している人が多い。
キックバックの相場は建設費の5%程度と言われている。だから、政治家は関西国際空港や東京湾横断道路といったビックプロジェクトをやりたがる。2020年東京オリンピックと新国立競技場建設も同じ。長年、暴力団が大物政治家を影で支えてきたのも、この種の利権の一員だからだ。学校建設程度は、まだゴミレベルの話と言える。
時には「過去の清算」までが利権に化ける。たとえば、旧日本軍の遺棄化学兵器問題。これは日中の大物政治家の「つかみ金」とも言われる。こういう“戦後賠償”とそれに基づく事業を派閥の資金源にしたのは、瀬島龍三の案だという話もある。
加計一族を排除した上で事業そのものは継続する「第三の選択」もあるのでは
この「制度化された腐敗」が、戦後日本には今も脈々と息づいている。
だから勘のいい人は、モリ・カケの話を聞いて、政治家と事業者がまた一緒になって裏で税金事業に群がっているのではないかと、疑うのである。
もっとも、加計学園のケースでは、政治家が系列校の客員教授のポストを得ていたとか、利益供与にしては妙に小さな話が多いのも確かだ。
こんなセコい事で糾弾されるなら、小沢一郎などは百回、絞首刑になる必要がある。
いずれにしても、今回の補助金事業の不透明さとノーチェックぶりには、疑いを持たれても仕方がない面がある。繰り返すが、四国新設自体の正しさと、コレとは別。
「仮に」の話だが、籠池と同じように経費を過大に見積もるなどして補助金を掠めていたとしたら、教育者の資格なしとして加計一族は排除されねばならない。
しかし、学校の新設は公のための事業だから、別にプロジェクトまで理事長一家と心中する必要はない。だから「新生加計学園」・・というより、名前くらい刷新して、予定の職員もそのままにして、市や県もより深く関与して、再出発すればいいと思う。
一方の政治家側は、贈収賄に該当しないなら、責任を取る必要はないでしょう。
安倍総理によると、加計氏とは長年の友人だから「おごったり、おごられたり」という関係だったそうだ。ただし、今回の選考にあたってその関係を持ち込んだ直接の証拠がない以上、それはどこまでいっても「ただのプライベートの話」でしかない。
だいたい、民進党・共産党・社民党らの議員は鬼の首でもとったようにこの点を追求しているが、許宗萬(ホ・ジョンマン)ら朝鮮総連の幹部と友人知人でたびたびパーティーに呼ばれたり接待を受けたりしている自分たちが朝鮮学校無償化などの政策を訴えることがまさに「それ」に当たるという自覚がないようだ。
しかし、上の流れになると、総理としての安倍氏は、「公」をとるか、私情をとるか、選択を突きつけられる格好になる。不謹慎だが、これは見ものかもしれない。
泣いて馬謖を斬るではないが、私はかえって支持率が上がると思うのだが。
逆に、加計氏の個人的な不正が発覚したのに上の措置を取らなかったら、そっちのほうが安倍政権終了に繋がっていくのではないだろうか。