日本は72回目の終戦日を迎えました。
私の祖父は旧日本軍の軍医将校でした。京都帝国大学医学部を次席卒業した秀才で、天皇陛下から恩賜の銀時計も頂戴していました。戦争末期に外地で戦死しました。
だから私も一応は遺族なんですね。祖父は戦場にあっても命を救う側にいた人で、赴任先の現地フィリピン人とも仲良くやっていたそうです。生きていれば優秀な医者として長く活躍したであろうに、多くの人々同様、戦争によって生きる望みを断たれました。
たぶん、靖国神社に祀られているはずですが、確認したことはありません。
人間集団を支配する72年の周期
さて、この72年目というのは、私にとってとくに感慨深い。下の記事でも詳述していますが、人間集団というのはどうやら72年の周期を持つらしい。
ただし、さすがにきっかりということはなくて、前後に適当な「あそび」がある。だから私は、「戦後日本はもって今年いっぱいで終わりだろう」と述べてきました。
しかし、2018年から直ちに「新しいシステム」が樹立されるわけではなく、それに向けた「過渡期」へといったん突入していくと考えられる。
過渡期というのは、試行錯誤の、混乱した、安定しない時期のことですね。しばしば戦争という形で強制的に社会矛盾の解消を図ろうとする時代ですらある。
前回のサイクルでいえば、明治維新後の新体制は1940年で終焉し、そこから5年間も過渡期が続きました。あるいは、戦後の真の出発点を1947年5月の新憲法発布と定義するなら、戦後日本はまだ2年弱の命脈があることになります。
ま、どちらにせよ、戦後体制がもう限界に来たことは誰の目にも明らかです。
政治の崩壊が本格的に始まった
戦後の新体制と共に立ち上がったのが、今の政・官・財・メディアです。
こういった戦後の権威やシステムは、今や完全に崩壊しかかっています。それが真っ先に現れるのが、やはり政治です。
今年の初め頃には、安倍政権が長期安定化するという観測が一般的でした。私もその磐石さを見て、「72年周期説は間違いかもしれない」と思い始めていました。
ところが、72年目となる数ヶ月前から、突如として動揺し始めたのは周知の通りです。どうやら宇宙のサイクルの前にはどんな権力者であれ逆らえないらしい。
古代中国人が天帝を畏れ敬い、人間の権力者はあくまで天帝の是認を受けた代理人に過ぎないという独特の哲学を築き上げたのも分かるような気がします。
政治の崩壊といえば、今や与党以上に野党がひどい。
私は民進党の蓮舫氏の国籍問題に関して何か言ったり書いたりしたことは一度もありませんが、政治指導者として「無能」であることははっきりしている。
たとえば、彼女はエネルギー問題に関して何か言っていましたが、思いつき程度のめちゃくちゃな内容で、突っ込む気も起きませんでした(笑)。
ところで、蓮舫氏の国籍問題が再びクローズアップされた先月から、「民進党は『原口党首』以外に復活の芽はない」という記事のアクセスが急増しました。
これは蓮舫体制発足間もない昨年の10月に書いたものです。発表当時はクズ記事扱いを受けて、書いたやつはアホだろ馬鹿だろと散々でしたが(笑)、今では最初にそれを公言した私の慧眼であると思う民進党支持者や反自民の人もいるようです。
この考えは今も変わりありません。彼なら党支持率が倍化でもおかしくはない。今回の党首選は原口氏にとって「機」だと思うのですが、彼は立つ気はないようだ。
地方といってよいのか、東京都議会選挙でも自民が歴史的大敗を喫しました。民進党はそれ以上の敗北です。都知事である小池百合子氏の「都民ファーストの会」は、即席といえる政党にもかかわらず圧勝して、都議会の第一会派にのし上がりました。
こういった政治を取り巻く側も劣化している印象です。
かつての右翼・左翼といえば、少なくとも己の主義思想を真面目に勉強する姿勢くらいはあった。最近は劣化というより、一部は発狂している印象さえ受けます。ネットやツイッターという武器を得て、糾弾大会・集団リンチが横行している感じ。かつての「重さ」を失ったとして、今では「ウヨク・サヨク」と、片仮名で呼ばれることも多い。
これも大きな視点でいえば、社会の崩壊現象の一つなんですね。
戦後システムが一斉に崩壊過程に入っている
社会制度も矛盾が拡大する一方です。財政赤字は一千兆円をこえ、社会保障給付金は年々膨張の一途を辿っている。今現在で117、8兆円くらいのはず。税金、年金積立金、医療保険費などが、どんどん重荷になりつつある。共済というより“共倒れ”。
ま、どうせ向かう先はこれ。
官僚組織もどんどん駄目になっているようです。
経済産業省は、再生可能エネ政策やクールジャパン政策に続いて、今、水素エネルギー社会構想などで大失敗をやらかそうとしています。
ところで、安倍政権を追い込む上で大きな役割を果たしたのが文科省の元事務次官の前川喜平氏ですが、彼もまた社会の崩壊を象徴する人物です。
文科省事務次官といえば、日本の教育システムのトップに位置する人物です。そんな人が暴力団の経営する「出会い系バー」なる実質管理売春店に頻繁に出入りしていて、追及されると「貧困調査」などと嘘をついた。前代未聞といっていい。
しかも、いわゆるサヨクやリベラルを自称する者たちが、「前川さんは立派な人だ」「違法性はないから個人の自由だ」などと一斉に擁護した。つまり、自分の子供が将来、そういう店で性を売ったり買ったりしても無問題だと言っているに等しい。
これも前代未聞。そもそも暴力団側は警察の摘発を免れるためにこういう形態の営業を捻り出したわけです。彼らは法律が反社会性をすべてカバーできるとでも思っているのだろうか。要は、差別も許されると言いたいのだろう、法律に違反しないならば。
マスコミ(人)の劣化も著しい。加計学園問題の報道があまりに偏っていて、おかしいと思った人々の間で「報道問題」が意識されるようになった。
とくにテレビ局は独占だから放送法によって政治的に中立が定められているが、今回はなりふり構わずだった。閉会中審査では、平井卓也議員、青山繁晴議員、原英史氏、加戸守行元愛媛県知事などが非常に重要な発言をしましたが、テレビは前川氏の発言にばかり時間を割いた。分秒単位で報道時間を具体的に検証したところも現れた。
明らかに報道が歪められた。これこそ本物の民主主義の危機ではないのか。ところが、普段から「民主主義の危機ガー」と喚いている者たちが沈黙ときている。
こういうマスコミとも関連しますが、新入の女性社員の過労自殺をきっかけに、広告業界の頂点に立つ電通に対する非難が沸き起こり、捜査のメスも入りました。
この問題は電通だけでなく、多くの日本企業に共通します。企業・産業界は長年、こういう悪しき労働慣行を放置してきて、一方で内部留保を増やしてきた。
日本の重電業界の雄であった東芝の凋落も象徴的です。韓国や中国メーカーの躍進とは反対ですね。家電は日本のお家芸という神話も終わってしまった。
慶応大学のレイプ事件というのもありました。一流と言われる大学がこの有様。
相模原障害者施設殺傷事件では、19人が殺されました。
先日は、警察官が家族を殺すという事件もありました。
いずれも前代未聞の事件ばかり。本当に嫌な出来事ばかり記述して、読者の皆さんには申し訳ない。書いている私も気分が良くない。
要は、従来の常識が通用しなくなってきた。一見個別の事例のようでいて、実際には戦後秩序全体のほころび現象であると考えられるのではないでしょうか。