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天国言葉と地獄言葉

みなさん、こんにちわ。

まずは先日の福井市での講演に参加された皆様方、ありがとうございました。

地元福井の方も多数ご参加いただき、なんと、満員御礼でした。

ま、玉蔵さん目当ての人が大半だと思いますが・・。

遠くは福岡、香港、ロサンジェルス(!)から来た方もいました。

わざわざ翌日に有給をとったという方も何人もいらっしゃいました。

やっぱり成功する人は情報にお金を惜しまない。

惜しむ人は制約しているようでいて、大きな視点でいえばそれ以上の機会損失になっていることに気づいていないだけ・・とか何とか。

あと、共演の玉蔵さんとA星人さんもありがとうございました。



現在猛省中のワケ

ところで、講演のほうは比較的うまくいったと思うのですが、終わったあとの飲み会で私は大きな間違いをしでかしてしまい、現在、反省してします。

ついグチってしまったんですね。

場所はビールなどの飲み放題の地元の居酒屋でした。

それはいいのですが、惣菜のほうがなかなかテキパキこない。

ちょこちょこ来るのですが、ガツンとインパクトのあるおかずが来ない。

待った挙句、着たのがかっぱ巻きだった。

肉や魚の焼き物やフライものとか、そういう食べごたえのあるものを期待していた私はその瞬間(あ、ありえねえ・・)と思わず額を押さえてしまいました。

そうすると、心配した周りの人がどうしたんですかと訊くので、つい、

「かっぱ巻きとはなんだ、かっぱ巻きでビールが飲めるか、おれはカッパじゃねえぞ、こんな居酒屋があるか、今までこんな居酒屋はじめてだ」

とか何とか、店と料理の悪口をグチグチと言ってしまった。

でも若い店員さんは、われわれの集合写真を撮ってくれたりして、とてもよくしてくれていたんですね。

ふと、布団に入る頃になって、突然、後悔が襲ってきました。

もしかして、私の言葉を聴いた人に、ものすごく不快な思いをさせてしまったのではないか。渋谷じゃあるまいし、福井市だと、日曜日の夜遅くにフル営業中の店は少ないはず。空いているお店を探して必死で予約を取ってくれた人は、その人なりに一所懸命だったに違いない。私はその人の労をねぎらうどころか、不必要な責めを負わせた。

(というわけで、この場を借りて、ごめんなさい)

ビールや惣菜を運んでくる店員さんたちも、一所懸命だったはず。惣菜の出来が褒められなかったとしても、それは店の問題で、アルバイトのせいじゃない。

(同じく、この場を借りて、ごめんなさい)

私はさぞかし嫌な人間だったでしょう。

たかだか、肉や魚の料理でなしにかっぱ巻きが運ばれてきたくらいで、驚天動地のごとく騒ぐ。まさに小物。小魚。ミジンコ。エドワード・エルリック。

つくづく自分の小ささが嫌になりました。

というわけで、私はその後しばらく自己嫌悪に陥りました。

しかも、講演で「これからは身魂磨きが大事」とか得意げに話した直後にこの有様。

自分がまず率先して磨け、って話ですよね。恥を知れと。

それで、ふと気づいた。

これが「地獄言葉」かと。

地獄言葉を口にすると、聴かされた人も嫌だし、自分もあとから嫌になる。

何か楽しいつもりで人の悪口を言ったとしても、自分が全然幸せでないことに気づく。

自分も、周囲の人々も、みんなを不幸にする・・それが地獄言葉。

その反対が8つの天国言葉

「愛してます」

「ついてる」

「うれしい」

「楽しい」

「感謝してます」

「幸せ」

「ありがとう」

「ゆるします」

これは斉藤一人さんの話で知りました。

(言葉で人生が変わる「天国言葉」【斎藤一人】)

もしかすると、私心から行った批判は、たいてい地獄言葉になるのかもしれません。

だから、批判というのは公共的な観点から以外はやるもんじゃないと、思いました。

というわけで、反省中。

Takaaki Yamada:

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