さる10月5日、参院予算委員会で第2次補正予算案が審議入りしたが、その際、蓮舫代表はここぞとばかり稲田朋美防衛大臣を吊るし上げていた。
彼女は、稲田氏が2011年の月刊誌の対談で「日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきだ」と発言したことに対して、「当時は核保有を検討、今は非核三原則を守る。なぜ変わったのか」などと追求したのだ。
目を三角に釣り上げる蓮舫代表を見て、この人は、日本の一政党の党首として、追及する相手を間違えているんじゃないかと、心底疑問に思った。
要するに、「猫を被っているが、本当はあなたは核武装を目論む極右のナショナリストだろう!」と言いたいのではないか。私がその仮面を引っぺがしてやる、というわけだ。
まず、「日本独自の核保有を国家戦略として検討すべき」という主張は、当たり前すぎて話にもならないくらいである。中堅国以上なら、大半の国が検討くらいするだろう。
要は、それが国の安保戦略として正しいのか、間違っているのか、ということである。その是非は公の議題に載せて、みんなで知恵を出し、議論し合うことによって、初めて明らかになってくる。そういう意味で、原発の問題と何ら変わりない。
仮に「原発の問題を議論するな! これまでの国策を盲目的に踏襲するのが正しい!」などと主張する政治家(だけでなく、誰でもだが)いれば、そいつは人格面で破綻しており、政治家としてふさわしくないと誰もが判断するのではないだろうか。
だが、福島瑞穂が「核武装の議論すら駄目」と言い、かつて保有議論すべきとした麻生太郎に対して「不信任案を出すべき」などと指弾したことは、そういうことではないのか。
何かをタブー視して議論すら駄目、というのでは、「前近代人のまつりごと」である。そして福島瑞穂と同じ様に絶対タブー視し、それを正当と盲目的に信じているからこそ、蓮舫氏もまた無意識のうちにああいうキツイ口調になったのではないか。
だが、よく考えてほしい。政治家の仕事は、まさに何かを検討することにある。当然”核保有を国家戦略として検討”することもそのうちの一つに入る。情報を収集し、最善の答を探求する。それを、根拠を示しつつ、かつロジカルに国民有権者に訴えるのが、国民の代表としての責務である。検討しなければ、その是非すら判然としない。有権者も判断できない。
あと一つ、仮に稲田氏の政治姿勢が5年前と違うからといって、それが何だというのか。蓮舫氏としては相手の「矛盾」を舌鋒鋭く突いているつもりなのだろうが、本質的には不毛な揚げ足取りとしか思えない。それに、詰問する相手を間違えているのではないか。
中国と北朝鮮は、現に日本に向けて核ミサイルを開発し、設置している。しかも、将軍クラスの者が「日本を攻撃できる」というような失言―ー中朝では誰も問題にしないので”失言”にはならないがーーをしばしばしている。反対の立場だったら、社民党や民進党は発狂するのではないか。「近隣諸国との友好関係」を謳ったところで、その当の近隣諸国の皆さんが日本に向けて核ミサイルの照準をあわせ、子供たちの命を奪う準備をしているのが現実だ。
蓮舫代表は、詰問するなら、そんな中国・北朝鮮と、彼らの核開発を長年放置してきた国際社会に対してやるべきではないのか。
私は蓮舫氏の国籍問題については一言も発したことはないが、上の姿勢に関しては改めてもらいたいと思う。これは政治家としての資質に関わることなのだ。