みなさん、こんにちわ。
私たちは何か行動を始める時、ついあれこれと事前に成果を想像して、それを期待し、欲してしまいます。
たとえば、何か新商品を開発する時は、当然それがヒットすることを期待するし、FXや株なら楽してお金が儲かることをつい期待してしまいます。
本を書く人はそれがベストセラーになって富を名声を獲得することを期待するし、小説やマンガの新人賞に応募する人は、受賞とその後の栄光の人生を期待する。
異性のために何かしてあげることや、尽くす行為にも、ただ純粋に相手のためというより、どこかに将来の計算が入っていたりします。
善行やボランティアですら、人から見られて褒められることや、後々の恩返しを期待したりします。
しかし、「バガヴァッド・ギーター」は、そのように結果に期待したり、執着したりする心を、次のように明確に戒めています。
(*以下、クリシュナ意識国際協会版より引用)。
幸と不幸 損と得
勝ち負けのことを少しも考えずに
ただ義務なるがゆえに戦うならば
君は罪を負うことはない
(2:38)
これまで分析的知識(サーンキヤ)を述べたが
プリターの子よ、さらにブッディ・ヨーガの知識をきけ
結果を期待せずに働くことにより
君は仕事(カルマ)から解放されるのだ
(2:39)
この努力には少しの無駄も退歩もなく
この道をわずかに進むだけでも
もっとも危険な種類の恐怖から
心身を守ることができるのだ
(2:40)
この道を行くものは断固たる意志を持ち
一なる目的に向かってまっすぐ進む
だが愛すべきクルの王子よ、優柔不断の者たちは
多くの枝葉に虚しく知力を反らしている
(2:41)
これは「ギーター」の紹介の時にも触れましたが、パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍の両者が戦場に対峙している状況にあって、王子として先頭に立って戦うべき時に戦わずに、ぐずぐずと嘆いているアルジュナに対して、神の化身クリシュナが諭している言葉です。
もちろん、「結果を期待せずに働くことにより君は仕事(カルマ)から解放される」というのは、アルジュナのみならず、後世のすべての人々に対しても投げかけられている言葉でもあります。
君に定められた義務を行う権利はあるが
行為の結果についてはどうする資格もない
自分が行為の起因で自分が行為するのだと決して考えるな
だがまた怠惰に陥ってはいけない
(2:47)
アルジュナよ、義務を忠実に行え
そして成功と失敗に関する
あらゆる執着を捨てよ
このような心の平静をヨーガというのだ
(2:48)
おおダナンジャヤ(*)よ、奉仕の精神をもち
すべての悪い活動を献身奉仕で避けよ
その様な意識で主に委ねよ
果報を求めて働くのはけちな人間なのだ
(2:49)
献身奉仕をする人は
すでにこの世において善悪の行為を離れる
ゆえにアルジュナよ、ヨーガに励め
これこそあらゆる仕事の秘訣なのだ
(2:50)
いかがでしょうか?
「果報を求めて働くのはけちな人間」なのですよ。
クリシュナが言うように、そもそも事前に結果を期待したところで、最終的には「天」が決めることですから、人にはどうにもなりません。
むしろ、最初から成果について期待することで、それが「欲望」となり、私たちは架空の成果に執着してしまいます。それゆえ、もともと勝手な期待にも関わらず、その通りに行かないと、「裏切られた」「失望した」などと嘆くわけです。
だいたい、そのような欲と執着にまみれた気持ちで行った仕事は、ただやりたいから・やるべきだからという純粋な気持ちで行った仕事と比べて、優れたものになるでしょうか。
日本にも「人事を尽くして天命を待つ」という素晴らしい言葉があります。
要するに、やるだけやって、後は神様にゆだねろ、最善を尽くすことだけを考えろ、というような意味ですね。
そうして執着を捨てた無心の平静状態がヨーガだという。
だから、この「バガヴァッド・ギーター」の教えは、処世術としても十分使えると思います。結果については考えずに、ただ無心に、全力を尽くすことだけを考えて行動していれば、仕事の質も高まり、かえってよい結果に繋がるに違いありません。
私たちは、ただ「ベストを尽くす」ことだけを考えればよいのです。
(*ダナンジャヤ:Dhananjaya 大いなる富を勝ち取りし者)