藤本健二氏の『金正日の料理人』の話の続きです。
では、さっそくエピソードを幾つか紹介させていただきたいと思う。
北朝鮮には「招待所」と呼ばれる金ファミリーの豪華な別邸があります。そこでは様々な娯楽施設や宴会場などがあり、幹部たちが楽しめるようになっている。
射撃場もありました。藤本氏はそこではじめて本物のピストルを手にします。ある日、金正日も含めた十五名くらいのメンバーが射撃大会をやりました。
(前略)まず最初に金正日が撃った。二五メートル先の的を狙うのだが、撃つたびに耳をつんざく音が響きわたり、火薬の臭いが立ちこめ、初めて体験する私はドキドキしていた。
ややあって、的がレールに乗って一メートルくらいの距離までやってきた。真ん中の黒い点が十点である。金正日は、そこに三発も命中させた。腕前はかなりのものだ。撃ち終わると全員で拍手をして迎えた。
次に幹部たちに替わったが、彼らは金正日ほどうまくはなかった。
最後に私の番が来た。(略)震える手で引き金を引くと、一発も的に当たらなかった。それを見ていた金正日から、
「藤本、どうした。射撃をしたことはなかったのか」
と、聞かれて、日本はピストルの所持は違法だからと答えると、
「もっと練習しなければな」と、言った。
なんと、将軍様と呼ばれるだけあって、一応は射撃の名手だったんですね。
それにしても藤本氏は次の射撃大会の時には本当に練習をしたようです。
私はSPから「引き金の引き方が強すぎる」と、アドバイスを受け、ゆっくり引くことを意識しながら的を狙った。すると、弾が的を貫いた。金正日からも、もっとゆっくり引くように言われ、神経を集中させると、今度は八点を仕留めた。そして、だんだん引き方がわかってきて、的から外れることはほとんどなくなった。
次にセンターの舞台の上に的を置き、十八メートルの場所から撃つと、なんと三発中、十点に二発、九点に一発という好成績を挙げた。金正日は喜んで、
「藤本、中野ヤー(陸軍中野学校の意)!」と言った。
こうして藤本氏は射撃場で撃ちまくって、射撃の名人になりました。
で、面白いことに、彼が幹部だけの射撃競技で高得点を挙げるたびに、金正日はなぜか「中野ヤー!」と叫んだんですね。
陸軍中野学校がどんな存在だったのかは、ここではあえて説明しませんが、現代の日本人なら、名前を知っている人すら一割以下でしょう。
そして、私がもっと奇妙に感じたことがある。
九四年頃からは、七人の軍の大将たちも宴会に同席するようになった。呉振宇(オジヌ)元帥、朴在京(パクチェギョン)大将、金明国(キムミョングツ)大将、趙明録(チョミョンロク)次師、金大植(キムデシク)上将などである。数ヵ月後には、彼らの奥さんたちも呼ばれるようになった。
それまでは、私が軍の幹部に会うことは避けられていたのだが、宴会で同席するようになってからは、海外旅行のお土産などをプレゼントされるようになった。彼女たちは、日本の四国や北海道、ディズニーランドなどにも旅行していた。
ある時、そのうちの一人金明国が、宴会の席で酔ってしまい、軍の秘密を喋ってしまったことがあった。彼は、
「将軍様、戦争が始まったら、私たちが絶対に将軍様をお守りいたします。地下室も完成いたしました。温度は二二度に設定されてあります」
などということをベラベラ喋っていた。私は、そんな機密を漏らしてしまってよいのかと、他人事ながら心配したことを覚えている。
宴会では、驚くことに日本の軍歌がよく歌われた。中には私の知らないものまであった。ポチョンボ(普天堡)電子楽団のエレクトーン奏者がメロディを演奏していた。『ラバウル小唄』は金正日のお気に入りで、いつも一緒に歌っていた。最初にこの『ラバウル小唄』を聞いた時、私は思わず祖国が懐かしくなり目頭が熱くなった。
『ラバウル小唄』? これです。
まさかまさか、朝鮮人民軍の最高幹部たちが、宴会で日本の軍歌を歌っているとは・・。しかも、金正日将軍サマのお気に入りの曲まであるとは・・。
冒頭、アイキャッチ画像で、金正日氏のすぐ左にいるのが趙明録氏ですね。
日本の左派も、右派も、びっくり。事実は小説より奇なり、を地でいく話です。
で、ユーチューブで『ラバウル小唄』を調べていると、ついでにこれも貼りたくなりました。下は「宣伝映画」で、実際の加藤隊長ではありませんので、あしからず。
加藤隼戦闘隊 -Kato Hayabusa Fighter Wing
で、こっちのほうは前々から私のお気に入りです。軍艦マーチほか。「海ゆかば」は、メロディはいいが、歌詞がねえ・・。今の感覚からすると、異様な気がします。
The Glorious Imperial Japanese Navy 栄光の大日本帝國海軍
北朝鮮を建国したのは旧日本軍の畑中理だった!?
ところで、以上の藤本氏の貴重な情報もおおいに参考にして、空将で退官した元自衛隊幹部の軍事評論家の佐藤守氏が09年に上梓したのが以下の本です。
金正日は日本人だった
なんと、北朝鮮の建国に大きな役割を果たした金日成の側近・金策(キム・チャク)という人物は、本当は陸軍中野学校卒の残置諜者・畑中理(はたなかおさむ)だった、というのです。そして、金正日はその畑中理の息子だとか・・。真の目的は、大東亜戦争の継続です。
実は、私も個人的に引っ掛かっていたことがある。戦後のベトナム独立やインドネシア独立戦争に残留日本将兵が大きな役割を果たしたことはよく知られている。他にも、マレーシアやビルマにもいました。中国共産党軍にもいました(下の記事でも触れていますが、敵の蒋介石と国民党のバックにいたのはアヘン屋のサッスーン財閥です)。
彼らはみな、自主的に現地に残ってアジアの独立戦争に馳せ参じたボランティアだった、ということになっている。たしかに、大半はそうだと思います。
しかし、果たして全員がそうだったのか、疑問がある。実は、それらの「個々の現象」の背後には、「大東亜戦争の継続」という明確な意志を共有した「つながり」があったのではないか。はっきり言えば、滅亡直前の陸軍参謀本部が、陸軍中野学校などに対して「極秘ミッション」を遂行する「最後の命令」を下していたのではないか・・。
真相は分かりません。ただ、日本帝国が滅ぶ寸前の「最後の意志」が発揮された可能性はある。だから、「北朝鮮は旧日本軍関係者が設立した」という説も、可能性としては捨てきれないと思っています。ただ、この件には、慎重である必要がある。
将軍サマと人民軍幹部が日本の軍歌を歌うからとか、金日成と金正日の名に「日」が入っているからとか、そういうのは証拠にはならないんですね。「金正恩の母親は横田めぐみさん」という説に至っては、ただの妄想の可能性も少なくない。
それどころか、畑中理云々の話は、藤本氏の本を元ネタにして、佐藤守氏ではない、別の「誰か」がでっち上げた可能性も、私は一応視野に入れている。つまり、佐藤氏も誰かに吹き込まれた側ではないかと。というのも、こういう非常に巧妙なストーリーは、情報機関のディスインフォメーション工作の特徴を踏まえているんですね。
はっきり言えば、私は発信源がCIAの可能性も疑っている。なぜアメリカがこのような「神話」を捏造する必要があるのか。端的に言えば「北朝鮮独裁体制崩壊後を見据えた謀略」の一環です。またの機会に説明しますけど。
情報機関の手口に詳しい人ならご存知でしょうが、精巧なエイリアンの死体人形とか、フルフォード情報にある「次のドル紙幣柄」とか、ああいう何百万円も金をかけないとできないような非常に手の込んだでっち上げは、情報機関の犯行の特徴です。
ある種の大衆操作の目的があって、彼らは懇意のジャーナリストやメディアを使って嘘の情報をばら撒きます。使われている典型の人が、陰謀系に何人かいる。
まあ、素人が騙されるのも無理はありません。私の経験からいえば、畑中理云々の話もその類いの可能性がある。だから慎重な姿勢を崩さないほうがいいでしょう。
話が反れた感がありますが、まだ藤本さんのエピソードを続けます。
金正日の料理人―間近で見た権力者の素顔
文庫版 金正日の料理人 (扶桑社文庫)
金正日の私生活―知られざる招待所の全貌