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深田K子3号の登場も? AIロボット社会到来の衝撃

昨年7月、長崎県にあるハウステンボスで「変なホテル」が開業した。接客・案内から荷物運びまでロボットが行うということで、ちょっとした話題になった。運営会社としては、単に奇をてらったわけではなく、ホテルの将来像も見据えてのことだという。

たしかに、ロボットだけで案内や接客の大部分が務まることや、人件費が数分の一以下に収まることを考えると、単に「変」ではすまないものがある。

おそらく、この種のロボットによる自動化・効率化は、年を追うごとに加速していくと思われる。そして、ある時期を境にして急激に人間の労働者に取って代わっていく可能性もありえる。なぜならコンピュータならではの「長所」というものがあり、それゆえに、それぞれの分野のスペシャリストを、ごく短期間に養成することができるからだ。

たとえば、具体例として、マクドナルドの「接客専用機」というものを挙げてみよう。当然ながら、開発にあたっては、まずプロトタイプを製作し、実際の現場で“修行”させる必要がある。仮にメーカーが十台ほど試作し、各店舗で実際に顧客と会話させてみるとしよう。もっとも、当初は自立できるはずもなく、プロの接客係が付きっ切りで忍耐強く教え込む必要がある。なにしろ相手は“幼児”も同然だ。おそらく、珍問答が相次いで、お客を苛立たせたり、呆れさせたりの連続だろう。だが、こうして、仮に日に30人前後の接客を担えば、一年後には、のべ1万人分の接客をした計算になる。

このように個々が学習を行い、経験を蓄積することができるという点では、人間も、AI(人工知能)を備えたロボットも、同じである。しかし、両者には、ある決定的な違いがある。それはAIが個々の経験をデータとしてリアルタイムで共有し、かつ統合することが可能であるという点だ。つまり、上の例で言うと、十台のプロトタイプの経験を統合して、「十万人分の接客経験を積んだ初号機」として売り出すことが可能なのだ。

もちろん、この初号機とて、当初は人の接客係には及ばないかもしれない。想定外の事態や欠点は、初期の製品につきものである。しかし、あらゆる問題は、その日のうちにホストサーバーを通して全機に共有される。たとえば、方言のせいで注文の聞き取りをミスした事例は、すぐさま全機に伝達される。また、彼らに罵詈雑言を浴びせかけた客の顔は、要注意人物として全機に記憶されるだろう。このように端末の数だけ日々、経験を蓄積できるという特徴からすれば、この接客ロボットが異常なスピードでスキルを向上させていくことが想像できよう。おそらく、2号機ともなると、もはや「普通に使える」レベルを飛び越して、いきなり「プロ中のプロ」としてデビューできるのではないか。

同じ理屈で、グリル担当やフライヤー担当の「プロ機」を育成することも可能だ。もちろん、不測の事態は常にある。だが、例外的事例には人間が対応すればいい。逆にいえば、あらゆる事態に柔軟に対応できるゼネラリストやマネージャー役の人間が現場に一人いればいいわけで、あとはロボットによるチーム作業でも店舗運営が可能となる。

同様のことは、ファーストフード店に限らず、あらゆる職場・職種にも当てはまる。とくに単純作業や肉体作業、マニュアル化可能な作業などは、情報の共有・統合というAIロボットの特徴を生かせば、短期間に「その道のプロ」を養成することも不可能ではない。たとえば、ライン作業や軽作業、倉庫作業。タクシー・配送などのドライバー業務。介護、ホテル、店員、調理。建設、土木、警備、清掃。電話受付、クレーム対応。危険作業用や軍事用、等など。

すでに「会話用」のロボットが売り出されているが、これからは家事も可能になるかもしれない。

あるいは、そういう名目で「深田K子3号」が市場に登場したとしても、私は驚かない(これは決して、登場してほしいという私の願望を述べたものではない)。

*あくまで参考画像です

彼ら彼女らは個々の経験を日々蓄積していくので、人間が決して追いつくことの出来ない「その道のプロ」であり続けるだろう。

しかも、これまでは、肉体の自在性・汎用性がヒトの持つアドバンテージだったが、技術のほうが追いついてくると、逆に肉体の制約が浮き彫りになってくる。ロボットならばヒト型にこだわる必要もなく、それぞれの環境や職種に応じて形状も最適化することが可能だ。たとえば、運転手ならば、自動車と一体化してしまえばいい(つまり自動車がAIロボットになる)。手作業系なら、腕が十本あったほうが合理的な場合もある。ガードマンロボなら、身長1mよりも2mのほうが防犯効果は高いに違いない。仮に「深田K子3号」のように、人間に似せる必要があっても、最高の外見を適用することができる。

要は、ロボットならもっとも合理的な形態をとることができる。顔や表情などは、人とのコミュニケーションが比較的重要視される場合に限ってインターフェースとしてあればいい。そう考えると、彼らはもはや「労働者の代用品」というより「上位互換的存在」とすら言えるのではないか。おそらく、将来、彼らに指示する人間の側がアマチュアで、様々な場面でアドバイスを乞わねばならないという錯綜した関係が見られるかもしれない。

そうすると、これからどれほどAIロボットが普及し、大量失業を誘発するか、想像がついてしまう。第一に、仮にそれが単純に人間レベルであっても、投資が回収可能であれば企業側はそれを導入していくだろう。仮に初期コストが1千万円かかったとしても、ランニングコストがメンテ代と電気代だけであり、数年分の人件費で償却可能とすれば、十分にメリットがあるからだ。第二に、それが「人間以上のスキル」を持つとすれば、仮に投資的にトントンであっても、企業力向上の観点から導入する動機になりえる。しかも、質的に優れているだけでなく、命令に反抗せず、長時間労働も厭わないときている。

以上の理由から導入が進むことは、資本主義社会としては「必然」に違いない。

第三に、日本固有の問題として、少子高齢化と人手不足の加速が挙げられる。この変化がロボット社会へと向かわざるをえない社会的圧力となる。おそらく、「移民一千万人」か、それとも「AIロボット一千万台」かという選択に対しては、日本人は後者の道を選ぶのではないだろうか。よって、環境の変化に適応する形で、これからの日本は、人類史上初めてロボットを隣人・パートナーとして迎える社会を築き上げることになりそうだ。

いずれにしても、そう遠くない将来、「無能か有能か」ではなく、人間そのものが合理化の対象にされる時代が訪れるかもしれない。それゆえ、とくに若い人々は「人間にしかできない仕事とは何か」を自問自答する思考の習慣を持ったほうがいいかもしれない。

2016年03月31日「アゴラ」掲載

Takaaki Yamada: