私はマクドナルドが好きである。
つい先日も食べたばかりだ(上画像)。
「パテ二倍」の「夜マック」が始まってからは頻度も増している。
世の中にはマクドナルドなどの食事を指して“ジャンクフード”と蔑む人がいる。
たしかに、ファーストフードには、コストと効率を優先するあまり、農畜産場や加工現場や労働現場において様々な歪みがあるのは事実。
しかし、ファーストであろうが、スローであろうが、動物や植物の命をいただいて、調理する人がいて、温かい食事に生まれ変わるという基本は変わらない。
である以上、やはり筆頭に来るべきは、喜びと感謝の気持ちであるべきでは?
“ジャンクフード”と卑下する人には、自分は凡人と違って食に対して高い嗜好と意識があるという教養人的プライドを持つ人が多い。事実、私が見てきたファーストフードを馬鹿にする人たちは、いつもその類いの“お高くとまった”人だった。
彼らは、ファーストフードと、それを好む人たちに、階級意識の矛先を向け、己の優越感を満たそうとする。ある女性作家は、自分は今年のボジョレーヌーボーの出来を気にかけているのに、牛丼屋でマンガを読んでいる男がいると、嘲笑気味に書いていた。
オレじゃねえか! 人の至福の瞬間に難癖つけないでもらいたい。
私に言わせれば、いくら“ジャンクフード”と蔑んだところで、その人が高級な人間と見なされるわけではない。それどころか、その“ジャンク”にさえ感謝できないなら、結局、何を食べても本心から感謝することはないし、たとえ満腹になったとしても心までが満たされることはない。つまり、そういう人こそ本当は不幸な人間なのである。
本当は、マクドナルドのおいしさをまだ知らない、まだ気づかない・・・そういう自分をこそ哀れむべきである。
ここに私が「山田流マクドナルド食事術」を明かそう。
日本中の美食を知り尽くしたという、かの美食家・北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は、「おいしいものは?」と訊かれて、「まずお腹を減らすこと」と答えたという。
まずはこれが肝心。
本当に空腹を覚えてから、マクドナルドの暖簾をくぐるべし。
出来立てのアツアツを食べることはむろんだが、ここで多くの現代人がある過ちを犯している。それは「食べることに集中しない」ということである。
人と話さない、テレビは見ない、音楽は聴かない、スマホなど論外。
ただ食べることに、そして味に、一心不乱に集中する。
目の前のハンバーガーに真剣に向き合う。
ただ無心にほおばる。
そうすれば、どれだけ美味しいかが、よく分かる。
ハンバーガー本来の味、その本質というものが、よく分かる。
先日もそうやってビッグマックとチキンフィレオをいただいた。
食べ終わると、私は自然に「ごちそうさま」と手を合わせていた。
感謝の念がフツフツと湧き上がってきた。
私のためにその身を捧げた牛さんと鶏さんに「ありがとう」
マクドナルドとそこで働く人々に「ありがとう」
こうやって普通に温かいものが食べられる己の境遇に「ありがとう」
この世界に対して「ありがとう」
生きとし生けるものすべてに「ありがとう」
神様に「ありがとう」
神の栄光を讃えよ。全世界が平和でありますように。
そして私は気づいた。そうか、これが・・・・・!
パチパチパチパチ・・・。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
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肉食う者を責めるくらいなら
いっそお前も肉食っちまえ!
と、
親鸞だかイエスだかが
言ってた気がします。
俺もあの時、
女連れで焼肉食ってた
真言宗の坊さんを許します。
その言葉は、イエスではないから、親鸞さんでしょうか。