みなさん、こんにちわ。
例の「自由朝鮮」ですが、どうもCIAがバックにいるらしい。
第二回の米朝首脳会談が2月末に行われ、その決裂直後に「自由朝鮮」の体制打倒宣言があったタイミングから、ポンペオ・CIAラインの本音は明らかだと思われます。
だとしたら、北朝鮮の現体制はそろそろお陀仏でしょうな。
この話はいずれまたやります。
さて、「金正日の料理人」藤本健二氏が体験した真実の北朝鮮指導部ですが、どうやら金正日というオジさんは、考えられていたよりもかなりユーモアがあったらしい。
以下のエピソードなどは、ほとんどコメディです。
『銀魂』あたりがギャグとしてアニメで再現してくれないかなと思います。
金正日の私生活―知られざる招待所の全貌
(以下、同書P94~98から引用 赤字筆者)
肥満対策だったローラーブレード
一九九二年、ある日の昼過ぎに官邸内の八番宴会場へ来るようにとの連絡が入った。
おっとり刀で駆けつけると、靴の紙箱が百個ほど積み上げられていた。よく見ると、それは靴ではなく、靴底に滑車が一列について滑ることのできる「ローラーブレード」だった。ローラースケートとはちがう。
なぜこのとき金正日がローラーブレードに興味を抱いたかは不明だが、おそらく王子たちのスイス留学時にヨーロッパで流行っていたのだろう。
幹部たちが八番宴会場に次々に入ってきて、自分の足のサイズに合わせてローラーブレードを持ち帰っていった。(略)
その日を境に、北朝鮮の政府高層部ににわかローラーブレード・ブームが巻き起こった。
よく金正日は高英姫夫人、王子たち、姫と一緒にローラースケート・コースを何十周も滑っていたものだった。全身汗ビッショリで、その後はサウナに入って、再度汗を流した。
これは金正日の肥満対策であった。(略)
トイレ目指して転倒を繰り返す幹部たち
ある日、ローラーブレードを持って九番木蘭館(モクラングァン)宴会場に集合との連絡が入った。私が駆けつけたところ、テーブルがすべて片付けられていた。
かなり広い宴会場で、ローラーブレードで遊ぶのにはうってつけの場所である。ましてや床はフローリングで、滑りは最高のはずだ。(略)
何度日かの休憩中、いきなり大勢のウエイターが出てきて、今度はテープルの準備を始めた。宴会が行われるらしかった。
テーブルが整うと、金正日はローラーブレードを履いたまま席に座った。
幹部たちもそれに倣って、ローラーブレードを脱がずに、そのまま滑りながら、自分の席に座ることになった。
考えてみれば、なんとも珍妙な光景である。労働党幹部や軍の要人が全員しかめ顔でローラーブレードを履いている姿を想像してみればいい。
四十分後、
「偉大なる将軍様の前へ整列!」
と張成沢のいつもの号令がかかり、幹部たちが十五人ずつ二手に分かれて、金正日の前に立とうとしたが、ほとんどの者の足元がフラついていた。
そして、例によって、みんなで強い酒を飲んだ。尿意を催しトイレに向かい危なかしく滑っていく幹部たちの何人かが転倒して起き上がり、また転倒した。
笑いが宴会場を包んだ。幹部たちの大半がすでに五十代、六十代で、みなうまく滑れるはずがない。酔いが回り出すと、俄然転ぶ姿が目立ってきた。
みんな金正日に挨拶をしにいくとき、フラフラして椅子の背もたれに手をつきながら、恐る恐る移動している。そんな状態で、一時間、二時間と時間が過ぎていった。
宴会が始まってから二時間。それまでトイレに立たなかった金正日が、自分の部屋のトイレに向かいローラーブレードで滑っていく姿を見て、私はこう思ったものだ。
「世界でさまざまな批判を受けている金正日だが、こうした遊び心がある人なのだな」
ほんのちょっぴりではあるが、安心のような感慨を憶えた気がした。
トイレから戻ってきた金正日は、転ぶ者が続出、醜態を曝け出している光景を見ると、
「みんなローラーブレードを脱げ!」
と大声を張り上げた。
宴会場全体に安堵の空気が漂ったことは言うまでもない。
結局、この日が金正日主催のローラーブレードを履いた最初で最後の宴会となった。
ここまで読むと、金正日は毎晩、乱痴気騒ぎ三昧のように思われるだろう。しかし、もちろん宴会の最中でも仕事の話は出る。午前二時過ぎまで飲んだとしても、午前中からパソコンのメールチェックを始める。とにかく、よく遊びよく働くのである。
(以上引用終わり)
事実は小説より奇なり。
ほとんどコメディ映画のような光景ですね。
一国の党幹部や将軍クラスが、独裁者の命令でローラーブレードを履かされ、転んでは起きながら、乾杯を続ける・・・これがホントの「ドタバタ劇」かと。
余談ですが、ローラーブレードではなくローラースケートのほうですが、どうやら最近のものは物凄く進化しているようです。電動もあるようです。
これで通勤も楽々か!?
さて、この「ローラーブレード宴会」をはじめ、数々の宴会で常に「号令係」だったのが張成沢(チャン・ソンテク)でした。
金正日と、義弟の張成沢と、取り巻きの党幹部・軍要人で、週に何度か、おいしいものを食べて、ドンチャンやっていたんですね。
しかし、北朝鮮指導部がそういう「ぬるさ」を残していた時代は終わりました。
この張成沢がどうなったかは、ご存知の通り。
上は朝鮮中央通信のもので、処刑される直前の「罪人晒し」のもの。
2013年12月。「長年にわたり国家転覆を目論んでいた」として処刑。
本当かどうか分かりませんが、対空用の機関砲で八つ裂きにされた後、炎放射器で消し炭にされたとか・・。一族ごと処刑されたとか・・。
もちろん、そんな冷酷な命令を下せるのはただ一人、金正恩だけです。