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この世は仮想現実(バーチャル・リアリティ)なのか?

映画「マトリックス」より

最近、この世界は、本当は実態がなく、ある種のコンピュータ・シミュレーションではないか、という仮説を目にする機会が多くなりました。

この説自体は古くからあったようですが、一般に普及するきっかけの一つになったのは、映画「マトリックス」の世界的なヒットではないかと思います。

ところで、これに関して非常に説得力のある良質な動画を発見しましたので、紹介したいと思います。一応は「科学ドキュメンタリー」になると思います。

この世界が仮想現実であることを示す証明式 

この世界が仮想現実であることを示す証明式(続き)

いかがだったでしょうか。

「光子と観測者の関係」は実に興味深いですね。意志を持った存在が観測するまで光子の実態が不明瞭なのは、現実のVRゲームと同じで、情報処理の合理化というふうに見なせば、たしかに宇宙がシミュレーターとして機能している根拠とも考えられる。

素粒子一個一個の軌道まで厳密に描き出していたのでは、神様の脳ミソといえどもパンクしてしまいますからね。第一、誰も見ていないところでそこまでやるのは無駄というわけだ。一方でヒトの意識とシミュレーターは密接な関係があることになる。

このように、もともと量子論の観点からこの説が強く支持されていたらしいのですが、近年、VR技術の急速な進歩・普及もそれを後押ししています。

最近は、VR技術に絡めて、メリルリンチのシンクタンクが「われわれの世界は50%の確率でシミュレーションソフトである」と発表して話題になりました。

また、電気自動車会社のテスラCEOのイーロン・マスク氏などは「99・9%そうだと確信している」という内容をITイベントで語り、話題になりました。



仏教とヒンドゥ教もまたこの世が幻であることを主張する

他方で、その対極的存在ともいえるダライ・ラマもこの説を支持しています。というのも、これは仏教やヒンドゥ教の思想でもあるんですね。般若心経には、ブッダが「この世は空だ」と説いている一節があるし、サイババさんなんかもっとダイレクトに「この世は、実は存在していない」とまでおっしゃっています。ヨガナンダさんは「単なる宇宙映画です、キリッ」と断言している。ヒンドゥ教のヴェーダ思想では「この世は神の作り出したマーヤー(幻)である」と、ずっと太古から説いているんですね。

ヒトの五感の本質

私たちは五感を通して世界をありのままに体験していると思いこんでいます。私たちは「直の肉体的体験」が真実であるという前提で人生を送り、社会を作っています。

しかし、最新の科学も、古くからの宗教も、「そうじゃないんだよ」と言い始めている。実は「感覚器官とは何か」ということを突き詰めると、そのことが分かってくるんですね。私たちがこの世界で生きるということは、五感から常に神経を通して脳に電気信号が送られていることでもあります。つまり、視たり、聴いたり、触れたり、嗅いだり、味わったりしていることですね。で、私たちはそうやって世界や現実をありのままに認識していると思い込んでいる。だが、実際には五感の情報が脳内で「虚像」を結んでいるに過ぎません。その虚像を「ありのままの現実」と錯覚して生きているだけです。

ハゲタカと草食動物の味覚

簡単な例を挙げましょう。

私たちは、煙を吐く夜の焼肉屋の前を通ると、あの香ばしい香りとうまそうな匂いに圧倒されそうになります。対して、腐った肉は、嗅いだ瞬時、ほとんど反射的にもどしそうになります。それが私たちにとっての「リアルな体験」です。

ところが、ハゲタカはその腐った肉に群がり、先を争ってついばむわけです。なんでハゲタカはあの酷い臭いに耐えられるのだろうか。だいたい、あんな腐った肉を食べて大丈夫なのだろうか。「まずい、うぇーっ」と吐かないのだろうか。私はハゲタカにインタビューしたことはないので真実は不明ですが、おそらくハゲタカにとってみれば、あの臭いはヨダレが出るほど“おいしそうな匂い”なのでしょう。そしてあの腐った肉が最高のご馳走というわけです。ちょうど、私たちにとっての焼肉のように。

つまり、同じ腐った肉から発せられる気体分子でも、私たちとハゲタカは違ったふうに嗅ぎ分けているということです。どちらが真実ということはない。

草食動物が青草を食むこともそう。私たち人間からすると、なぜこんなマズいものを一日中食み続けているのか、不思議です。しかし、彼らの脳は、マズいどころか、それなりにおいしいと感じているわけです。青々とした草を見、その匂いを嗅いだ瞬間、牛や馬の脳ではドーパミンが放出されるのでしょう。ちょうど人間にとっての穀物のごとく。

おそらく、嗅覚や味覚は、ある生物が生きていく上で好ましいものと悪しきものを選別するために発達させた能力でしょう。腐った肉が臭いのは、それが私たち人間にとっては有害なものだからです。逆に栄養とするハゲタカにとっては、その逆になる。

視覚や聴覚もそうです。ある特定の波長帯が見えたり、聴こえたりしているだけです。だから他の生物には、違う世界が見え、違う音が聴こえている。しかも、人間の感覚器官は動物のそれと比べても決して高性能とはいえません。動物の中では総合的にバランスが取れているというだけで、パーツレベルでは動物に軍配が上がります。

この世は「空=バーチャル・リアリティ」である

このように、五感からの情報は、常に脳によって翻訳されたものです。それはどこまでいってもその生物の主観であって、客観的事実ではない。

つまり、私たちが世界と思いこんでいる存在は、実際には私たちの脳に映し出されている世界だということです。ただし、その主観的解釈は、人間同士の間では共有できるので、客観的事実であるという前提で社会や文化を構築しているに過ぎません。

しかし、五感からの情報は、脳の翻訳した主観であり、世界それ自体の客観的事実ではないとしたら、いったい、そもそも何が真実で、私たちはどうやってそれを知ることができるのでしょうか。興味深いことに、ヒンドゥ教はそれに対する回答も用意しています。実はその答えこそ「瞑想」なんですね。「五感からの情報を極力しずめて、ひたすら額に意識を集中し、額で世界をありのままに直覚せよ」と教えています。

まあ、言うは易しですけど(笑)。それで世界の実相を悟ったのがブッダさんです。その結果、ブッダさんは「この世は空だった」と気づいたわけです。

さて、話を戻しますと、今現在、こういった世界観が急速に人々の間で広まっています。コンピュータおよびVRゲームの急速な発達もそれを後押ししています。

そこで多くの人がなんとなく気づき始めています。もしかするとこの世がある種の多人数参加型のオンライン・バーチャル・リアリティ・ゲームであり、すでに“セカンドライフ”なのかもしれない、と。私も以前、簡単に記事にしました。

http://aquariusbible.com/archives/111

もしかすると、人間にとって本質的に死は存在せず、誕生はログインであり、死はログアウトなのかもしれません。

そうすると、私たちはいったい何のために生まれてきたのでしょうか。

まあ、私なりに仮説はあります。案外、神は「ネトゲー廃人」で、私たちは単に“サバゲー”をしに生まれてきているのかもしれませんね。

(付記:というわけで関連小説の紹介)

短編『電脳の楽園』 オール讀物推理小説新人賞 最終候補作

短編『電脳の楽園』 オール讀物推理小説新人賞 最終候補作
みなさん、こんにちわ。 西村京太郎、赤川次郎、逢坂剛、宮部みゆき、石田衣良、朱川湊人、門井慶喜・・といえば、いずれも小説家として大変有名な方々です。 実は、ここに挙げた錚々たる顔ぶれにはある共通点があります。それは「オール讀物推理小説新人賞...

ぜひともご一読あれ。

Takaaki Yamada: