最近、相次いでお金持ちが不自然な死を遂げました。
一人は米メロン財閥の御曹司の一人のマシュー・メロン氏。
メロン財閥は南北戦争後に急激に成り上がった存在で、その裏には外部の金融勢力による支援があったと私は思っていますが、今回はその話はスルーです。
マシュー・メロン氏は、何億円も使って、まだ安価な時に仮想通貨のリップルを大量に仕込んでいて、周りからは馬鹿だと言われたそうですが、それが昨年末頃に大当たりして、1千億円も稼いだと言われています。
ただ、儲けたその金で毎晩パーティー三昧したそうな。しかも、鎮痛剤だが、幻覚剤だか、薬物に依存してしまった。それで今年の4月半ばに心臓発作で急逝した。
享年54歳です。いま遺族が遺産の分捕りで争っているという。
もう一人はつい最近、5月24日に亡くなった野崎幸助氏(77歳)。
遺体から大量の覚醒剤成分が検出されたとかで、今世間を騒がせていますね。
野崎氏は、和歌山県の著名な実業家で、金融業、不動産業、酒類販売業などで財を成したようです。金融業というのは個人客メインの高利貸しだったようですね。
何十万円という対価で美女を買春するのが趣味だそうで、一昨年には「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男」という本も出版。
「ドン・ファン」というのは、ウィキペディアによると、17世紀スペインの伝説上の放蕩人物であり、プレイボーイの代名詞でもあるそうな。
野崎氏は、週刊誌やワイドショーなどにもしばしば登場していたようですが、今年の2月には55歳も年下の22歳の女性と結婚していました。今回の不審死には事件性が疑われており、この“妻”が捜査対象になっているようです。
ブッダいわく「陽炎のごとしと見よ」。では私たちの本性とは何か?
ありきたりなことを言うと、どれだけ資産家であっても、あの世には財産を持っていけないことが分かります。
いや、自身の肉体ですら持っていくことができない。
すると、それは自分が所有していると本当に言えるだろうか?
人間は、実際には、自分の肉体の血の一滴ですら所有できず、すべては一時の借り物に過ぎないことが分かります。その肉体ですらも、元は一個の受精卵でした。
生まれること、そして赤ん坊から老人までのプロセスを辿ること、死ぬこと・・・そのすべては宿命であり、人間の意志ではどうしようもありません。
では、人間の本質は何か? むろん「魂」ですね。
魂は「アートマン」と言われ、私たちのあらゆる活動や感情の背後にあって、一切をただじっと冷静に視ている存在です。「傍観者」と呼ぶこともあります。
例えるなら、私たちの本質は、テレビ画面の前に坐って、プレイステーションをして遊んでいるプレイヤーのようなものです。一般に私たちが自身と信じている肉体は、実際にはその画面の中にいるバーチャル・キャラでしかない、ということです。
私たちは「この世に生まれる」という現象を通して、このVR世界の中にわざわざ入り込んで、キャラクターの内側から世界を見ているから、そこに所属しているような錯覚を起しているだけです。しかし、ゲームの世界でキャラクターがどんな酷い目に遭おうともプレイヤー自身は何も傷つかないように、私たちの本質は常に泰然としています。
ブッダさんが般若心経で「この世は空である」と言ったのもそういうことです。もっとも古い経典でも、身体と現世を指して「本性は陽炎のごとし」と説いています。
上の人たちは、現世的に言えば「成功者」であり、その資金力を背景にやりたいことをやって死んだのだから幸せだったのだという見方もあるでしょう。
ただ、メロン氏も、野崎氏も、本心ではどこか空しかったのではないでしょうか。満たされなかったから、その代償行為に溺れていたのかもしれません。
そして、死の直前まで、まさか自分がこんなふうに死ぬとは想像していなかったでしょう。まさに死は突然にやって来るわけです。
「執着を捨てる」というのが仏教の教えですが、ブッダさんは、現世的な欲望というのは幻を追いかけているのと同じだから執着しても意味はないと説いているわけです。
アートマンだけが生死を超越し、不変不滅です。
サイババさんは、アートマンこそが人間の本性であり、生死に束縛される肉体のほうが実は「影」であり、非真の存在なのだとおっしゃっています。
アートマン的に重要なのは唯一「神」だけです。またの名をブラフマンであり、愛であり、至福です。愛とは「自他同一視」であり「自他融合」の精神作用です。
肉体に立脚した人生観を持って、肉体に立脚した生き方をするか。それとも、アートマンに立脚した人生観を持って、アートマンに立脚した生き方をするか。
その辺は私たちの自由意志にゆだねられていると思います。