先日、是枝裕和監督の『万引き家族』がカンヌ映画祭の「パルムドール」という最高賞を受賞した。
すると、下の奇妙な記事が現われた。どうやら、よく読まれているらしい。
カンヌ受賞の是枝裕和監督を祝福しない安倍首相を、フランスの保守系有力紙が痛烈に批判 2018年05月31日
これは、「HARBOR BUSINESS」(編集長/高谷洋平)という奇妙な名前のサイト――本当にタイトル通りの内容だったらそう思わないのだが、なぜか政治系の記事が大半という――に載った記事で、書いたのは及川健二氏なる人物。
同氏は「日仏共同テレビ局France10」なる会社を運営していてフランス事情に詳しいようだが、なぜかTV番組らしきものはなく、代わりにサイトに小沢一郎や山本太郎のヨイショ記事(下)が多く、しかも寄付を募っており、こちらもまた妙な印象がぬぐえない。
フェイスブックの「いいね数」と記事の質とは必ずしも比例しないのが事実だが、読んでみると、案の定、仏紙「フィガロ」の偏見記事を下敷きにして、及川健二氏がさらに己の政治的偏見を重ねて書いたものとしか評しようのないものであった。
「フィガロ」の元記事は以下だ。
で、書いたのは下のメガネの記者。
今回、検索してみて、「フィガロ」が十回くらい是枝氏を取り上げていることが分かった。元記事は、それでも“フランスを無視”する安倍総理に対する不快感から、このCannone記者が日本に関するステレオタイプな偏見にまかせて書いたものに思える。
彼はロックバンドなどの芸能記事が多いカルチャー担当であり、もともと日本の政治や社会については専門外。つまり、私(山田高明)の書くフランス国内政治論と同レベルと思っていい。グーグル翻訳で読んでみたが、首を傾げざるをえない内容だ。
最初から破綻しているフランス人記者と及川健二氏の論理
Cannone記者は、冒頭から、是枝監督が政治を批判しているから日本の総理大臣は受賞に対して沈黙したに違いないと決め付けて、その根拠として、ノーベル医学生理学賞の大隅良典や同文学賞のカズオ・イシグロ、平昌冬季五輪の金メダリストに対しては賞賛しているではないかと記している。
しかし、そもそもカンヌ映画祭がノーベル賞やオリンピックと同格でなければ、このような論理は成り立たないのではないか。
わざわざカンヌの“権威ある賞”と呼ぶところからして、Cannone記者の頭の中ではそういう前提が疑問の余地なく成立しているようだが、一フランス人の自画自賛・夜郎自大の印象は拭えない。なぜなら、ノーベル賞やオリンピックは「世界タイトル」だが、カンヌ映画祭はあくまでローカルなコンペに過ぎないというのが偽らざる評価だからだ。
実際、昨年や一昨年に何が「パルムドール」を受賞したか、知っている人がどれだけいるだろうか(私はむろん知らない)。あるいは、「カンヌ映画祭○○賞受賞」と銘打ったところで、どれほど国際的なマーケティングに好影響があるだろうか。
だから、最初から論理的におかしいわけだが、及川健二氏にとって前提そのものが崩れることは都合が悪いらしく、次のようにCannone記者を補強する。
カンヌ国際映画といえばベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭とあわせ、世界三大映画祭の一つである。そこでパルムドールを受賞した日本作品は1997年の今村昌平監督『うなぎ』以来で、21年ぶりの快挙だ。世界で栄誉を得た日本人を「誇り」として賛辞してやまなかった安倍首相は、今回ばかりは何故に沈黙を続けるのか?
どうやら及川健二氏にとって、仏独伊の映画祭が世界の三高峰であるらしい。
西欧を「世界」そのものと見なし、アジアの映画祭は最初からすべて無視する・・こういうのは無意識的な差別意識の顕れではないだろうか。
映画については一般的なことしか知らないと断るが、私見では、韓国の釜山国際映画祭のほうが今ではカンヌよりもはるかに話題性と活気に満ちている気がする。また、中国とインドの映画祭のクオリティと存在感も、今では西欧に劣らないのではないか?
あと、欧米基準に偏った視点もさることながら、作品の評価に関する客観的な基準にも疑わしいものがある。たとえば、私は『うなぎ』を見ていないが、その理由は1983年に受賞した同じ今村監督の『楢山節考』がろくでもない作品だったからだ。大方、「日本社会の現実をえぐった」というような西洋人の誤解から受賞したのではないか。
『楢山節考』の先例がある以上、無邪気に受賞を喜ぶことはできないのも確かだ。
成熟した西欧社会から未熟な日本社会で抗う人間への“お褒め”としての言葉
さて、Cannone記者が後に続けるのは、これまた典型的な西洋人の偏見である。
『万引き家族』という作品が、一家族の現実を通して格差社会を浮き彫りにしており、是枝監督がプライベートな機会でそれを安倍政治の責任としていると記す。その内容又そう書くこと自体には何の問題もない。うんざりするのは、それを何か保守的・権威主義的な後進社会における“勇気ある告発”というニュアンスで扱うことだ。
当然、そこには「個人の自由や権利が尊重され、政府を批判することも自由にできる成熟したわれわれ西洋とは異なり」という無意識の前提と優越感がある。
つまり、市民からの批判に対して不寛容で閉ざされた政府と、権力に盲従する国民の中にあって、「是枝はわれわれ西洋人の成熟レベルに到達した人物だ」という、例のうんざりするほど浴びせられてきた欧米流の上から目線の賛辞なのではないか、これは。
私たち日本人はみな、これが「傲慢な権力者と勇気ある抵抗者」の対比ではない真実を知っている。実際には安倍総理ほどボロカスに批判され、不当に罵られている権力者も珍しい。しかし、日本に関してよくある偏見と、いかにもそれを裏付けてくれる是枝監督の言葉と存在は、西洋の読者にとっては心地よいものに違いない。
ちょうど、「日本人はわれわれ西洋人と違って過去を直視しない」という根強い偏見と同種のものだ。日本の左派系の知識人や学者が欧米社会に向かって「日本が過去を清算していない」と自己批判してみせれば、彼らは自分たちの思い込みが真実であると納得でき、同時に優越感を抱くことができる。つまり、自分たちの偏見を強化し、公正であるかのような体裁を取り繕うために都合のよい人物として、彼らは「遅れた社会で政府と戦う勇気ある日本人」の存在を必要とし、過剰に持ち上げてみせるのである。
Cannone記者の主張も、この種のうんざりするパターンの踏襲に思われる。
反日のレッテルを貼る人間たちの反対側にいる同類
輪をかけて滅入るのは、その上、及川健二氏が「海外紙の威光」を借りて政権批判をやるという、例の左派筋の常套手段にこの偏見記事を利用していることだ。
つまり、今回は「うんざりするパターン」の2乗なのである(笑)。
しかも、及川氏が外国の権威に乗じて自分の意見を述べる段になると、途端にどこかで見た「思考停止の決まり文句」ばかりに思えるのは、私だけだろうか。
フランスの保守系新聞が、日本の「自閉的」傾向を暗に批判!?
つまり、(是枝監督は)安倍首相が進める「国威発揚」映画の推進を暗に批判しているのだ。さらに是枝監督は、海外メディアの取材で繰り返し日本の「貧困バッシング」への違和感を吐露し、日本を覆う国粋主義への警戒を表明している。安倍政権が進める新自由主義的改革や日本の右傾化に危惧を表しているのだ。
フィガロ紙は最後に、安倍政権の対応を痛烈に批判した。
「カンヌ映画祭のあった日曜日に受賞した是枝監督のインタビュー記事が、ながながと日本の映画雑誌で報道されても、安倍首相及びその取り巻きの政治家からは一言も言葉が発されなかった。その翌日、月曜日になって、是枝監督の受賞記者会見について発したジャーナリストの質問に対して、ようやく菅義偉・官房長官が『心から是枝監督の受賞を讃える』と答えただけだった。この称賛を述べた口元には醜い虫歯が巣くっていた」
安倍第二次政権以降、「日本人はすごい、日本はすごい」という自画自賛が蔓延し、一方で安倍政権に対する批判めいたものには「反日」「左翼」「売国」というレッテルが貼られるようになった。フィガロ紙は奇しくも是枝監督のパルムドール受賞にあわせて、日本社会の「自閉的」傾向に違和感を表明したといえよう。
あーもう、うんざり・・・。
どうも及川氏は「国威発揚」の意味が分かっていないらしいが、それはともかく、どこかで見たステレオタイプの文句ばかりで、ホトホト嫌になる。
彼は「『日本人はすごい、日本はすごい』という自画自賛が蔓延し・・」と書くが、自身のやっていることがその「日本スゴイ論」の裏返しであることに気づいていない。
欧米人の「ニッポン、スゴイデスネ!」という言葉に飛びつくのも、「ココが駄目デスネ!」という言葉に飛びつくのも、根底にあるのは同じメンタリティである。
酷いのになると、前者の風潮を批判するために、後者を持ち出してくる学者もいる。
内田樹(たつる)教授などはしばしばNYTの日本批判記事を取り上げるが、水戸黄門ご一行の助さんが徳川家の葵紋の印籠を取り上げる精神性に似ている。
「ええーいっ、控え控え! NYT様がこうおっしゃっておられるぞお!」というわけだ。私なんか「あんた、その記事を読んで、変に思わないの?」と思うのだが。
及川氏や「HARBOR BUSINESS」サイトも「フランスの有力紙が」と書けば、日本の読者が「ははーっ!」と一斉にご威光に平伏するとでも思っているらしい。
読んでみれば何のことはない、偏見にまかせて書いた代物じゃねえか。
安倍政権に対する批判めいたものには「反日」「左翼」「売国」というレッテルが貼られるようになった。
という言葉も、陳腐極まりない。第一、片面の事実にすら届かない。
その安倍政権が大半のメディアから総攻撃を受けているという現実を黙殺している。朝日新聞社や文芸春秋社までが社を上げて攻撃している。NHKは毎日のように安倍政権に不利な編集をして、逆に追求する側の辻元清美の顔を正義然としてクローズアップしている。私自身は、これはタダ事ではないと感じて、異様のワケを推察してきた。
対して、「反日」「左翼」「売国」のレッテルを貼っているのは、ネットの匿名の有象無象が大半だ。あとメディアとしてはマイナーな産経新聞や保守言論誌くらいか。
それに、その「レッテル貼り」とやらを、よくされている人物、たとえば、山口二郎氏や室井佑月氏などだが、彼らの政権批判は本当に妥当なものだろうか。私にはまともな批判じゃないから馬鹿にされているというのが本当のところに思えるのだが。
私は「安倍独裁政権ガー」というような程度の低い誹謗中傷が蔓延することは、冷静で正常な政権批判まで大量のゴミに埋もれさせてしまう意味で、逆効果でしかないと危惧している。私に言わせれば、こういう記事を書く者は、反日のレッテルを安易に貼る人間たちの、まさに反対側にいる同類の人間でしかない。
その他、気になった点
左派・リベラル派は、そろそろ安倍批判ならミソでもクソでもカレーでも何でもオーケーという「反安倍カルト」と決別しないと、逆に支持を失っていくだろう。
あと、「フィガロ」によると、是枝監督は日本社会の貧富の格差を問題視していて、その責任を安倍政権に帰している。私は是枝監督のことは今回初めて知ったのだが、記事で紹介されている彼の発言が本当だとするなら、どうも戦後日本の累積問題をすべて安倍政権のせいにするという、ありがちな罠に陥っている気がする。私はそう単純ではないと感じている。それは政権発足当初にはすでに構造問題として存在しており、それに対して安倍氏は失業率を改善し、むしろ社会主義的な手法で教育や福祉を是正しようとしている。今眼前にある問題が、今の政権の負の遺産だとは必ずしも限らないのである。
また、Cannone記者と及川健二氏は、安倍総理が“世界的な栄誉”を得た是枝監督をなぜ賞賛しないのかと訝っているが、いちいちローカルな受賞にまで言及するほど内閣も暇ではないということはさておき、当人の過去の発言からすると、安倍総理から祝福されたくないことは明白であり、「それを察した」ということでいいのではないか。
どうせ、安倍氏が賞賛したら賞賛したで、今度は「安倍の賛辞はいらない」とか、是枝監督か、でなければその周辺が言い始めるんじゃないのか。つまり、安倍氏が賛辞しても、しなくても、どっちに転んでも非難の対象にするというやり方だ。
それに安倍氏だって人間だ。自分を嫌う者を嫌う権利くらいあってもいいだろうに。
(蛇足)
ああ、そうそう、私は以前、こんな賞を考えた。
「ミヤザキ・タカハタ・ラセター・アニメ賞」である。
日本人はノーベル文学賞について騒ぐが、自分たちが世界的な賞を創る側になろうという発想があまりない。この賞ならアニメ関連の世界最高峰の権威になると思う。
記事でも記しているが、創設されるなら、個人の名を冠した世界的に権威のある賞として、日本を含めアジアでは、ほとんど唯一の存在となりえる可能性がある。
あらためて、私が子供のころに好きだった『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』の演出を担当された巨匠・高畑勲さんの死を悼みます。
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