さて、本日6月12日、シンガポールでいよいよ米朝首脳会談が行われる。
このサイトでは日付しか表示されないが、記事のアップは朝9時に行った。
つまり、当記事は、首脳会談が行われる直前にアップしたものだ。
アメリカと西側諸国はあくまで北朝鮮に「完全非核化」を強いる
会談に臨むにあたり、アメリカ側の原則が明らかにされた。金正恩に対して、あくまで「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)を求めていく方針だ。
ポンペオ国務長官は「オンリー・アクセプト」(それしか受け入れない)と明言している。
しかも、この原則は、直前のG7でも再確認された。
つまり、CVIDを絶対に譲らないというのは、トランプ政権だけでなく、西側の総意でもある。しかも、そのG7で北朝鮮問題の議論を主導したのが安倍総理。
これで「キム&ムン」の首脳漫才以降、「日本は蚊帳の外」だの、「日本は孤立している」だの、「和平プロセスから日本だけ置いていかれる」だのと言っていた者たちが、実際には北朝鮮の腹話術人形に他ならないということがはっきりしたのではないか。
北朝鮮と同じ思考をして同じ言葉を話す者たち又それに踊らされている者たちが、これまで散々、彼らの民族的願望そのままに「アメリカは結局、北朝鮮の核保有を認める」だの、「正式に認めなくとも(一部保有を)黙認する」だのと吹聴してきた。
漠然とだが、いわゆる識者の半分くらいはこういう立場だったと思う。
対して、私はそんなことは絶対にありえないと主張してきた。
ちなみに、私は一ライターであり、言論人でも知識人でもない(笑)。
事実はというと、アメリカも、西側諸国も、完全非核化以外は認めないつもりだ。
もっとも、米朝は事前の準備会合で条件をすり合わせてきたので、たとえCVIDを強いる形であっても、表面的には「6・12会談」が成功する可能性が高い。
ただ、今回はセレモニー色彩が濃いものだろう。南北首脳会談の時のような何らかの「共同声明」が発表されるかもしれない。そして、トランプと金正恩がそれにサインするという具合だ。いずれにしても金正恩にしてみれば、そうする以外に選択はないのだ。
「対等な会談」というのは印象操作、実際は戦略次元の勝者が敗者に条件を飲ませる場だ
誤解してはならないのは、このセレモニーを見て、トランプが米朝和解を進めたがっているとか、ノーベル平和賞を欲しがっているとか、それゆえ妥協するというふうに考えることだ。とくに、噴飯モノなのは「敵対関係にあった二つの国の首脳が対等な立場で交渉し合って、朝鮮半島の平和を実現しようとしている」という見方だ。
トランプが首脳会談に合意して以降、この種の誤解が蔓延している。
アメリカは昨年の「9・11制裁」以降、戦略次元で必勝の構造をつくりあげた。
よって“米朝首脳会談”というと、何か対等な交渉のように錯覚しがちだが、実際にはその構造の中で、北朝鮮がもがいているだけの話である。
トランプ政権は、北朝鮮に対して「攻撃するぞ」と脅す一方で、核放棄するなら首脳会談に応じてやってもよいと提案し続けた。つまり、最初から金正恩を首脳会談に追い込むのが狙いだったとも取れる。金正恩としては、それに応じないと、アメリカがいついきなり空爆してくるかも分からないし、経済制裁が永遠に続くかもしれない立場だ。
しかも、トランプは、米朝首脳会談が開催・成功しなくても「それでも構わない」とか「そうなったら非常に面白い」というふうに、成果に拘泥しない姿勢を見せていた。
実際に5月24日は首脳会談中止を発表してみせた。
周知のように、それに慌てふためいたのが金正恩のほうだ。
つまり、アメリカからすれば、首脳会談なんぞ開いても開かなくてもどっちでもいいが、北朝鮮としては何としても開いてもらわないと困る立場なのである。
しかも、北朝鮮は、その会談の場で、アメリカから一方的に条件を突きつけられ、嫌々飲まされる弱い立場なのである。それがCVIDなのである。
そうすると、米朝首脳会談の本質がよく見えてくる。
おそらく、今回も、表面の友好的なセレモニーと、北朝鮮サイドの虚勢・印象操作に多くのメディアや人々が惑わされるだろう。そして、対等な両国が敵対関係を乗り越え、朝鮮半島の平和を実現しようとしているという美談風の錯覚が蔓延するだろう。
しかし、何のことはない、真実は、調子に乗ったチンピラが、ヤクザから「ジリ貧で死ぬか、殴り殺されるか」という状況に追い込まれて、床に土下座させられ、一方的に「ああしろ、こうしろ」と命令されているだけの話なのである。