みなさん、こんにちは。
「平成」がいよいよ終わりますね。
5月1日からは「令和」の時代へと突入する。
その前後の連休といい、なんだか今年は二度も新年を迎える気分です。
ところで、今回の新元号の選定に際して、出典が中国の古典か、それとも日本のものか、という点に、世論の関心が集まりました。
「なぜ今までずっと中国の古典だったのか?」と問うならば、かつての日本人にとって、それだけ知識や教養の源だった、ということですね。
中華文明の物質的側面について言えば、たしかに「紙・火薬・羅針盤・磁器」の発明と利用など、独創的な業績は枚挙にいとまがない。
毎日のように陶器のお皿やカップのお世話になっていますが、中華文明の恩恵です。
ただ、私はそれ以上に精神的側面の業績が凄いと思うんですね。そして、私的にはそれこそが「中華文明の真髄」ではないかと思っている。
中国思想は早くも古代の「諸子百家」時代には多くが出揃っている。
前回は儒教(朱子学)の話をしました。宋の時代、朱熹によって『大学』『論語』『孟子』『中庸』を「四書」とする新儒学が大成されたという話でしたね。
日本では、中国思想の中で『論語』や『孫子』は比較的に読まれている。
『老子』もまあまあ人気。しかし、『韓非子』や『墨子』となると、あまり一般的とはいえない。まあ『韓非子』は政治思想であって人間としての正しいあり方に主軸を置いていないので、元から儒教・仏教との競合性は薄いが、墨家のほうはガチ競合します。
そして、私が一番感動したというか、「かっこいい」と思ったのがこの『墨子』。
私は勝手に「古代中国の戦うイエス・キリスト」みたいに想像を膨らませました。そして、墨家こそ(本当の意味での)平和活動家の先駆けだったのではないか。
そういう意味で、実は世界史的意義のある存在なのかもしれない。
どうも中国でもそういう評価はまだのようだ。
そういえば、酒見賢一原作の『墨攻』(ぼっこう)という、中国の戦国時代を舞台にしたマンガあり、中国でも映画化されました。あれは実に味わい深い内容でオススメです。
どうも、中国政府的には、非戦・兼愛の『墨子』よりも、孔子と儒教のほうがオススメみたいです。拝金主義に対する反省と自国文化の再評価などから、官民の間で見直す動きが始まっている。しかし、世界各地に建てた孔子学院のように、あまりに政治的意図があからさますぎて、FBIからスパイ容疑で捜査されたこともありました。
大唐帝国の時代には、そんなふうに自国文化を宣伝しなくとも、周辺諸国のほうから慕って、かってに唐に学びに来たわけです。
唐の時代には仏教も広まって、中国の精神文明は益々豊かになりました。紆余曲折はあるものの、基本的にその遺産は中国の知識層の間で継承されていきました。
はっきり言って、その遺産をボロボロにしたのが中国共産党です。
中国共産党がやったのはマルクス・レーニンと毛沢東の思想で国内を染めること。大衆の思想を純粋化するとは、逆にいえば「異端」の徹底的な排斥です。当然、異端思想の持ち主である知識人も「何々運動」の過程で排除されていきました。
1949年10月1日に毛沢東が中華人民共和国(PRC)の建国を宣言した時、中国人の8割以上が農民で、大半が文盲だったと言われています。つまり、最初の大衆教育が共産党の手によって行われてしまった。そのせいで、稀に見る愚民が出来上がった。
ただ、鄧小平の改革解放経済政策以来、その統制はかなり緩み、情報化社会の進展も相まって、大衆の成熟が始まりました。胡錦濤時代(2003年3月~2013年3月)には、ネットでかなり公然と共産党をけなすこともできるまでになっていた。
しかし、次の習近平がまた時計の針を逆戻りさせているわけです。
習政権は、思想・言論の統制を強化し、体制の引き締めをやっています。二期目に入ってからは、任期制を廃止し、個人独裁を強化した。
再び、思想・言論・宗教がらみで逮捕者が相次いでいます。弁護士や政府批判者やウイグル人は相当酷い目に合っている。最近、天安門事件を皮肉った程度で、人権活動家4人が禁固3年を食らいました。「習近平LOVE」の日本の左派は頭大丈夫ですか?
そうやって大衆の精神の自由を奪う一方、官職者や党員は「毛沢東思想」だけでなく「習近平思想」なるものまで“学習”させられているとか・・。茶番もたいがいにしろと。
大唐帝国に比べて、共産中国は本当に駄目で、いくら物質的に発展しても、国家としては三流ですね。やはり、共産党の独裁そのものを終わらせるしかない。
思うに、中国でも日本の新元号が話題になっているそうですが、中国の場合は1949年をもって「共匪元年」でいいのではないか。つまり、今年は共匪70年。
私は「中国の民主化」こそがアジアの平和の鍵を握っていると、常々考えています。
例えば、中国が自由で民主的な国になれば、日中が争う理由はぐっと減る。互いに軍事費を削減することがでれば、どれほど素晴らしいことだろう。
中国がそうなれば、北朝鮮も早晩自壊するだろう。
だから、時代に逆行する習近平の反動政治が許せないわけです。
というわけで、「中国の民主化」を目指そう。そのために戦う中国人を応援しよう。私には彼らこそ「現代の墨家」に思えてならない!
なんか散漫なエッセイになってしまいましたが、読者の皆様におかれましては、令和時代のこれからも、よろしくお願いします(笑)。