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儒教は決してオワコンではなく今だからこそ見直されてほしい理由

日本の孔子廟たる湯島聖堂

みなさん、こんにちわ。

いきなりですが、『論語』を読まれたことはあるでしょうか。私は一時期、中国思想に嵌まったことがあって、その頃に読みました。

ただ、「孔子=儒教」と、ずっと思っていました。

あの石平氏が儒教について面白いことを書いていましたね。(赤字は筆者)

「本当は恐ろしい儒教」孔子は名前を利用されただけ? 4/18() 11:59配信

(前略)おそらく誰もが「孔子はすなわち儒教の始祖」「『論語』はすなわち儒教の経典」だと思うであろう。(略)しかし歴史の真実ははたしてそうなのか。(略)

孔子が生きたのは、中国・春秋時代の紀元前六世紀半ばから、五世紀前半である。

国家的教学としての儒教が成立したのは、孔子の死から三百数十年も経った前漢王朝の武帝の時代である。(略)

日本の学界もおおむね「儒教の成立は前漢時代」としている。

前漢に成立した儒教は、教学の基本経典として「五経」を制定して理論的体系をつくり上げたことはよく知られている。しかし(略)この「五経」には、じつは孔子の思想や言動を詳しく記述した『論語』が入っていない。「五経」とはすなわち『詩経』『書経』『易経』『礼経』『春秋』の五つであるが、『論語』の姿はどこにもない

そのことはどう考えてもおかしい。あたかもキリスト教の経典に、イエス・キリストの事績を記した『聖書』が含まれていないかのような話である。

(略)儒教は、「五経」の中の四つ、すなわち『詩経』『易経』『礼経』『春秋』は、孔子の手によって制作されたものか、あるいは孔子によって編纂されたものであると主張する。しかし、のちになって、中国と日本の両方で行なわれた学問的検証によって、ただの嘘であることがわかった。(略)

儒教はそもそも『論語』を教典として取り入れていなかった・・・!

常識とか固定観念というものは怖いですね。

私も石平氏に指摘されて、「そういえば・・」と、初めて気づきました。

そのことから、題名にもありますが、石平氏は常識を覆すような結論へと至る。

(略)儒教は、孔子の『論語』を基本経典から排除した一方、孔子の名前だけを借りて、孔子とはいっさい関係のない「五経」をつくり上げた

そのことからして、「孔子と論語はすなわち儒教」とはたしていえるのだろうか。孔子はただ、自分の没した数百年後に誕生した儒教によって、名前をうまく利用されただけのことではないのか。(略)

つまり、『論語』が礼教と何の共通点もないのと同じように、『論語』はそもそも儒教とは何の関係もなく、孔子は別に儒教の創始者でもない、ということである。

このように、石平氏はいつも固定観念に挑むような刺激的な論考が多い。

だからこそ、彼は中国で生まれ育ちながら、国家権力による反日教育の洗脳の呪縛を、いち早く自力で解くことができたわけです。

「自分の頭で考える人」とは彼のような人物のことをいいます。



今の私たちが儒教と思い込んでいるのは実は・・・

ただ、「『論語』はそもそも儒教とは何の関係もなく」という氏の結論はどうかと思います。というのも、中世に儒教の一大変革があったんですね。

それ以降(つまり今の時代も含めて)、儒教とは事実上「朱子学」のことです。

朱子とは南宋の朱熹(しゅき:1130~1200年)のことです。

今風にいえば朱熹のイノベーションにより、「五経」だけでなく「四書」も教典化された。だから「四書五経」とまとめて呼ばれることも多い。

その「四書」とは『大学』『論語』『孟子』『中庸』です。

つまり、『論語』もキッチリと儒学に選抜されている。

問題は、孔子と孟子はよく知られているが、『大学』『中庸』とは何ぞや、ということ。

つまり、「四書」はいかに制定されたのでしょうか。

以下、金谷治(かなやおさむ)先生訳注による岩波文庫の『大学・中庸』の解説部分から引用させていただきます。

「近世では、中国だけでなく朝鮮でも日本でも、朱子学の伝播とともに『大学』と『中庸』はその一環として特別に重視された。『大学』は「初学入徳の門」として「四書」の中でもまず第一に学ぶべきもの、『中庸』は最も深遠なものとして「四書」の最後に学ぶべきものであった。」

「『大学』や『中庸』は、もともと『論語』や『孟子』と並ぶ単行本ではなかった。「五経」のなかの一つとして伝わっていきた『礼記』四十九篇のなかに編入されて二篇であって、その作者や時代も明確ではない。」

もともと『大学』は『礼記』の第四十二篇でした。

もともと『中庸』は『礼記』の第三十一篇でした。

これを「孔子の門人の作である」として、『論語』『孟子』と並べて「四書」としたのが南宋の朱熹だったんですね。それ以前にも同篇は儒教の価値観的に優れた経典として一目置かれていたのですが、エイヤッと『論語』『孟子』と並べたのは朱熹でした。

今の私たちが「儒教」と呼ぶものは、漢の時代に成立した古代儒教ではなく、宋の時代に成立したこの体系であり、大成者が朱子であることから「朱子学」なわけです。

この宋の時代は、北方異民族の脅威により、漢民族的な愛国心が非常に高まった時代でした。私が思うに、古典の復興にはこの時代背景も関係しているのかもしれない。

ところで、日本でこの「新儒学」が広まったのは江戸時代です。

というのも、李朝時代に李退渓(りたいけい:イテーゲ。本名:李滉りこう1501~70 )という儒学者が朱子学を整理して、その内容が日本で注目されたからです。

李退渓は、韓国紙幣の顔にもなっていますが、もとは中央官僚で、隠居後に朱子学の研究に没頭して大成させたという人物です。

さて、肝心の内容ですが、私などの解説よりも、やはり金谷治訳注の『大学・中庸』(岩波文庫)を読んでいただくのが手っ取り早いでしょう。

大学・中庸 (岩波文庫)

民主政の欠陥、そして現代日本政治の病

どうも近代に入ってから儒教を軽んじる傾向があります。

今では朱子学は見向きもされない。しかし、実際に読んでみると、なぜ江戸時代の武士階級が教養としたのか、よく分かります。というのも、内容は統治者側の政治道徳としての性質が色濃い。君主が徳を身に付け、徳治を行うことを強調している。

今でも、政治家の必読文献にしてもよいと思います。

中国の政治哲学は、粛々と法に基づいて公正な政治を心がけることを説いた韓非子の法家などもありますが、基本的にはこの儒教的な徳治を理想としてきました。

他方で、「そもそも専制者は道徳を強制されないから、道徳的であることが難しいのではないか」と、発想を180度転換したのが、フランスの絶対王政を批判し、権力分立(三権分立)を構想したモンテスキューです。『法の精神』の著者ですね。

つまり、民衆の中から選挙によって任期制の執政者を選ぶデモクラシーは、「統治者側に道徳を強制するシステム」でもあるんですね。

しかし、これはこれでかなりの欠陥を有するシステムでもある。

たとえば、民衆側の政治意識が全体的に低下した場合、「面白そうだから」という不真面目な理由で、見識に関係なく単に目立つ人間が選ばれたりする。日本も21世紀に入って、「小泉チルドレン」あたりから、そういう傾向が見られるようになってきた感がある。

米映画の『IDIOCRACY』(邦題「26世紀青年」)は、(日本ではただのコメディ映画という評しかないですが)その辺りのところを痛烈に皮肉っています。

しかも、際限のない党派争いにエネルギーを割いたり、大口資金源とメディアが政治家の廃立をコントロールしたりと、堕落・形骸化の問題が現実化している。

私の考えでは、どうもデモクラシーは、本質的に、影の支配者を生んだり、その見えないコントロールを許したりする危険性を孕んでいる。

日本の場合、選挙区を世襲するなどの、さらに独特の問題が浮上している。

やはり、今一度、徹底的に改革する必要があると思います。

その一貫として、改めて朱子学的な価値観が見直されるのもいい。

私的には、これから政治を目指す人は、民主政というフレームを守りつつも、なおかつ古くからの東洋の政治哲学をよく学び、形骸化を防いでほしいと願います。

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