日本と中国、意外な過ちの原点とは?
以下に紹介する文書は、今からちょうど十年前に私が書いたものです。
(*2016年付記:これは、この記事を発表した2012年の、さらに10年も昔に書いたもの、という意味です)
内容は、日中関係の劇的な改善と、拉致問題の解決を目的とした、ある外交オペレーションについてです。
一度目の関係者への提案が十年前、内容を少し変えた二度目の提案が04年7月の時ですが、実はその二度目の際、内閣府のある官僚を通して、「拉致問題の解決策」として、時の小泉総理大臣にも提案されました。しかし、総理の判断により採用されませんでした。
もっとも、仮に採用されていたとしても、本当に拉致問題が解決し、日中関係が劇的に改善していたか否かは、今となっては分かりません。ただ、少なくとも、日本を取り巻く状況は、今よりははるかにマシだったのではないかと、私は推測しています。
長めの文書なので、以下、前後二回にわけて掲載しますが、その前に「まえがき」の意味も込めて、内容を少しかいつまんで紹介しておきたいと思います。
今日、一般には、田中角栄氏による72年の日中国交回復は、日本と中国の新たな関係の始まりであり、日中友好の幕開けであると信じられています。日中関係が極度に悪化した今日、往時を懐かしむ声さえ聞かれます。しかし、これがそもそもの誤解の深淵であり、本当は日中関係の歪みの根本となったというのが私の見方です。つまり、戦後の日中関係はその出発点から間違っていたわけです。
具体的には、日中共同声明・第5項の「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という、この賠償請求放棄条項こそが諸悪の根源だったのではないか。なぜなら、中国人の誰も、心の底から納得していないからです。ここが一番重要な点です。これは国際情勢を見据えた毛沢東の決定だったわけですが、彼はすでに暴君であり、人民の気持ちなど眼中にありませんでした。
周知の通り、先に賠償請求権を放棄して平和条約を締結していた台湾との絡みがあって、こういう着地点になってしまった面が大きいわけですが、結局は中国人に忍耐を強いる形になりました。現在の中国では「毛沢東の過ちの一つ」と見なされています。
しかし、こういった感情は、とうてい我慢しきれるものではなく、いつか必ず復讐心となって噴出します。周恩来は不服だったそうですが、彼の感情こそが中国人一般を代表していたのかもしれません。かくして、日中関係に時限爆弾がセットされたわけです。
ここが独ソ戦争との大きな違いです。ロシア人はナチスドイツから大量虐殺されましたが、最後にはベルリンを攻め落として復讐を果たしました。ところが、中国人には、戦勝国を自称したところで、結局は何一つ日本にやり返せなかったという思いが、しこりのように心の底にこびりついています。しかも、その感情を増幅させる政策が、後に実施されます。
90年代の後半ですが、私は中国人の友人の招きで中国を訪れ、その発展ぶりを目の当たりにして、「将来必ず経済・軍事大国になる」と確信しました。一方で、「いずれ日中関係は大変な危機に陥る」という不安を覚えました。当時、江沢民政権は、公教育やメディアを通して、国内に対して猛烈な日本悪魔化宣伝を行っていたからです。その友人からは、「ソ連崩壊によって失業した1万人以上のロシア人科学者や技術者が、北京周辺の軍事基地に配置され、軍事や宇宙分野の研究開発に従事している」という話も聞きました。
将来の戦争に向けた火種が燻りつつあり、できるだけ早いうちに日中関係を軌道修正しなければ最悪の事態も起こりうると危惧しました。そこで、いっそうのこと過去の日中共同声明を「時代に合わなくなった」として「発展解消」し、「21世紀の新日中条約」を創案して両国の間で締結してはどうかと思い至りました。
主な改善点は、問題の第5項を無くし、「日本はODA等の対中借款の債権放棄をもって中国および中国人民に対して過去の戦争賠償を実施するものとする」という趣旨の新たな条項を追加することです。そして、この新日中条約の締結が、中国の手による拉致問題の解決と交換条件となっているわけです。つまり、中国が、残された日本人拉致被害者を北朝鮮から取り戻さない限り、その戦争賠償は決して実行されないわけです。当然、この動機付けによって、中国はアメと鞭を使った対北外交に本格的に乗り出すでしょう。
以上がこの提案の趣旨です。文書を読んでいただければ分かりますが、実際にはもう少し複雑になっています。重要なことは、この策には道理があり、それゆえ歴史の審判に耐えられるという点です。というのも、もともと外務省のODAは、名目上は中国の経済建設協力のためのソフトローン(低利融資)が大半ですが、実態としては中国に対する戦争賠償としての性格も帯びており、事実、中国側はそう受け取ってきました。ですので「ODAを戦争賠償に代える」という発想は、決して突拍子もないことではありません。むしろ、戦争賠償としてそれを帳消しにすることで、その内実にふさわしくなります。しかも、それは様々な条件と引き換えですので、決して中国の「丸儲け」ではありません。
逆にいえば、道理のない条約を結んでしまったことが過ちの根幹なわけです。そもそも、二国間条約などというものは、ある目的を達成するための手段でしかないわけですから、時代に沿わなくなれば、双方の合意によって、いくら改善しても構わないのです。それを金科玉条・永遠不変のもののごとく考えてしまう日本人の硬直性は問題でしょう。
正直にいって、今、この提案書を読み返してみると、自分でも首を傾げたくなる箇所が幾つもあるのも事実です。しかし、賛成できない点がところどころあるものの、大筋では「やはり間違っていなかった」というふうに思います。それを思うと悔やまれます。
思い起こせば、2002年9月、小泉総理による電撃的な日朝首脳会談が行われ、翌月には一部の拉致被害者の帰国が実現しました。同じ年の11月、中国共産党大会が開催され、江沢民から胡錦濤氏への権力移譲が行われました。まさにこの時に、日本にとって歴史的な、それも二度とないチャンスが訪れていたとは、誰が想像したでしょうか。
あれから十年の歳月が流れました。横田めぐみさんらの帰国は依然として実現しておらず、拉致問題の解決に向けて改めて日朝の外交交渉が模索されています。また、中国においては胡錦濤・温家宝体制が終焉し、指導部の世代交代が行われました。
残念ながら、「結局、十年前と何も変わらないどころか、むしろ状況が悪化してしまった」という慨嘆を禁じえません。日本はいつも「受身の外交」「リアクション外交」ばかりで、状況に振り回されています。たまには自分から動く側・状況を作る側に回ってみてはどうでしょうか。私の提案もそういう発想に基づいて行われたものでした。我ながらおかしな点が多々あるとはいえ、以下に全文をそのまま掲載したいと思います。
(以下、本文前半)
はじめに
「対中外交における戦後最大のチャンスが訪れた。うまくいけば、われわれは中国に親日政権を作ることができる」
5年に一度の儀式として、02年11月8日から14日まで第16回中国共産党大会が開催され、次の5年間を担当する政権の新人事が確定したが、ここに至るまでの権力闘争を目の当たりにした私の感想は、一言でいうなら上のようなものだった。信じ難い話かもしれないが、われわれの方から中国側に「ある働きかけ」をすることによって、彼らを「親日」路線に転換させることができるかもしれない政治状況が、偶然生じたのだ。しかも、そのことに関して、当の中国自身に決定権はなく、彼らの意志など考慮する必要はないと付け加えたら、奇異に聞こえるだろうか。
簡単に言えば、今共産党大会により、中国の権力中枢は以前にもまして熾烈な「闘争」に入った。周知のとおり、彼らの権力闘争は命がけである。例えば、党幹部の汚職が「摘発」され、懲役または死刑の判決が下されるといった事件は、ほとんどが政敵に対する謀略の結果として発生したものだ。つまり、「権力」という特権のパイをめぐって一年365日闘争している彼らは、わが国の自民党派閥の政争とは比較にならないような恐怖と緊張の日々を強いられていると想像できよう。そして驚くべきことに、私の理解では、現在国政の最高レベルで繰り広げられている闘争の一方を勝たせることのできる「切り札」を所有しているのが、実は日本なのである。いや、より正確に言えば「負けそうな一方を逆転させることができる」という表現になるだろうか? ゆえに、この切り札を手に入れるためなら、彼らは日本が要求するいかなる条件をも飲まざるをえない立場なのである。
むろん、このような政治工作の話に拒絶反応をもよおす人もいるだろう。なにしろ、かつての日本は、中国の内政に散々干渉して、最終的には泥沼に嵌っていった苦い経験がある。いわく、満蒙の特殊権益を擁護するために張作霖の奉天軍閥を対日協力者に仕立て上げたが、彼が日本の意のままにならなくなると爆殺した事件。武力で一気に満蒙領有を図った柳条湖事件とそれに続く満州事変。華北分離工作と傀儡冀東防共自治政府の発足。そして盧溝橋事件の後の「国民政府を対手とせず」とした支那事変処理根本方針と、日中全面戦争への拡大、汪兆銘政権の擁立……。たしかに中国内の権力闘争に介入することは、こういった悪夢を想起させる。
しかし、今度の工作は、中国人民から日本の国家エゴイズムの発露であると受け取られる心配が一切ない。それどころか逆に大いなる友好の証しとして、歓迎されるだろう。基本的には、「あるタイミングで、あるプレゼントを渡す」というだけの話であり、しかもそれは日中双方の国民の友好を深めこそすれ、対立させるものではない。
そういう意味で、私が「新華工作」(*)と名づけるところの、中国に親日政権を確立することを趣旨としたこの工作は、安全保障上のリスクがほとんどないものである。この新華工作について具体的に述べる前に、まずは昨今の中国の政治情勢について簡単に説明したい。
今日の中南海の情勢
中国共産党は中華人民共和国における唯一の執政党である。党組織は完全なピラミッド型になっていて、頂点に位置する「中央政治局」が7千万人の党員を支配し、その巨大政党が14億の人民を支配する構造となっている。すべての権力が集中している中央政治局は、三層に別れていて、今大会で25名の体制となった。
上から順に、政治局常務委員9人、政治局員15人、同候補1人である。権力の中枢たる9人の新常務委員は序列順に、1位:胡錦濤、2位:呉邦国、3位:温家宝、4位:賈慶林、5位:曾慶紅、6位:黄菊、7位:呉官正、8位:李長春、9位:羅幹、となった。胡錦濤をはじめ、常務委員たちの細かい経歴については、本文の末尾を参照してもらいたい。
今回の新人事を一言で特徴付けるならば、自身の影響力を保持しようという江沢民の思惑が露骨なまでに反映されたということである。表面上は江沢民・李鵬・朱鎔基ら「第三世代」が退き、胡錦濤を除いた全員が政治局常務委員を退任した。
そして指導部は、胡錦濤はじめ「第四世代」に入れ替わった。胡錦濤は、三権である「国家主席」(国家の元首)・「党総書記」(共産党のトップ)・「中央軍事委員会主席」(軍のトップ)のうち、総書記の地位を譲られ、一応、来春03年3月には、江沢民から国家主席の地位をも譲られると観測されている。
しかし今回、江沢民は、中央軍事委員会主席の地位を留任し、依然として指導部の頂点に居座ってしまった。そして、常務委員留任と目され、彼に公然と抵抗していた李端環(=共青団出身。旧胡耀邦派閥。胡錦濤の盟友。92年に常務委員に抜擢される)を大会前に追放し、腹心の曾慶紅・呉邦国・黄菊・賈慶林・李長春ら5人を新常務委員として送り込んだ。
とくに腹心中の腹心たる曾慶紅などは、政治局候補から二段とびで昇進した。こうして江沢民は、胡錦濤・温家宝(朱鎔基閥)・李端環の3人が連合を組んで上海閥に抵抗する可能性を、事前に摘むことに成功したのである。しかも、観測筋によると、李鵬閥で序列9位の羅幹も上海閥に鞍替えし、呉官正は胡錦濤と曾慶紅の双方に親しいと伝えられている。
つまり、新常務委員の中で非上海閥は一応、胡錦濤・温家宝(朱鎔基閥)・羅幹(李鵬閥)の3人だけであり、中立系は呉官正だと考えられているが、見方によっては江沢民の影響下にある委員は6人とも7人とも考えられるのである。簡単にいえば、胡錦濤と温家宝は上海閥から完全に包囲された状態なのだ。
しかし、胡錦濤がまったく無力かというと、そうでもない。彼もまた共産党青年団出身として、90年代前半より自前の派閥を着々と形成し、自身の腹心を党の要職に送り込んできた。また、温家宝の朱鎔基閥は、上海閥とそりが合わないとも言われている。
事実、今大会前に、朱鎔基閥が「汚職摘発」の形で江沢民・李鵬から猛烈な攻撃を受けた。したがって今後、上海閥に対抗して、胡錦濤閥と朱鎔基閥が同盟を組んで対抗していくといった構図も予想され、実際、政策上でも経済に疎い前者と経済のプロである後者とは互いを補い合う形で共闘がしやすいと考えられている。
このように昨今の中南海は、江沢民が指導部の頂点としてにらみを利かせ、上海閥が中央政治局の主流派を占めたとはいえ、依然として予断を許さぬ状況である。劣勢の胡錦濤も、決して孤立無援というわけではなく、状況次第で逆転の可能性が残されているといった微妙な政治情勢にあるのだ。
胡錦濤と江沢民の関係
周知のとおり、江沢民は天安門事件の一週間ほどまえに、鄧小平ら「八老会議」(80歳以上の老権力者8人の集まりで、政治局常務委員会の上に位置していた私的会合)によって、一政治局員から一気に常務委員会の総書記に抜擢された人物である。
当初の江沢民は、政局混乱に伴って暫定政権に擁立された小物として、周囲から侮られてさえいた。しかし、無難な政局運営の一方、巧みな廃立人事、軍指導部の刷新、憎日キャンペーンの強化などによって党への求心力を高め、着実に自らの基盤を固めていった。今では名実ともに最高権力者としての地位を保持している。
一方、胡錦濤は、胡耀邦のバックアップで出世した人物である。胡耀邦は政治的自由化の推進役だったが、学生の民主化運動が86年末から87年初めにかけて社会を揺るがしたため、失脚の憂き目にあった。しかし、胡耀邦閥でありながら、失脚した彼を見限らず、批判に加わらなかった二人の幹部である胡錦濤と李端環は、多くの幹部の憤りをよんだものの、逆に鄧小平からは好感をもたれたという。それは二人が、92年にそろって政治局常務委員に引き上げられたことからも分かる。おそらく、二人の見せた忠義が、鄧小平にアピールしたのだろう。
さらに決定的だったのが、今では広く報道されているように、1989年3月、胡錦濤が党委書記としてチベット自治区に赴任していた頃に、チベット人のデモを鎮圧してみせたことである。これで彼は、進歩的であると同時に、体制秩序を乱す者に対しては断固たる処置をとる人物だという印象を、鄧小平に与えた。
法家思想の大家である韓非が説くには、君主は「二柄(刑と徳)」をつかって臣下・人民を統御できなくてはならない。ただ人がいいだけ、厳格なだけの人物には、大中国は統治できない。胡錦濤は「引き締め」と「自由化」の両刀が使えると見込まれたからこそ、江沢民に次ぐ後継者として、否、天安門事件後の真の中国指導者として、鄧小平から選ばれたのだ。
むろん、鄧小平が胡錦濤を本命視していたことは、江沢民にとって面白いはずがない。二人の因縁は浅からぬものがある。周知のとおり、天安門事件は胡耀邦元総書記を追悼する学生たちの動きが先鋭化して始まったものだ。これをきっかけにして、胡耀邦閥の胡錦濤は左遷の意味でチベット自治区に送られ、逆に江沢民は総書記の地位に祭り上げられた。
しかし、胡錦濤にとって、結果的にそれが将来の総書記候補に選ばれる要因となった。そして鄧小平のお墨付きをえていた彼は、今共産党大会でかねてからの観測どおり、総書記に就任した。しかし、その就任前に、抜け目のない江沢民は、胡錦濤の盟友であり、自らに反抗的だった李端環を常務委員から追放し、上海閥に対する胡錦濤閥の弱体化および自らの影響力堅持にまんまと成功した。
今、胡錦濤と彼の派閥は、表立って事を荒立てずに、ひたすら耐えている風を装っている。しかし、彼にとって江沢民が目の上のたんこぶであり、邪魔な姑であることには変わりない。内心では、江沢民と上海閥に対して、逆転の機会をうかがっているに違いないのである。自身が三権(党総書記・国家主席・中央軍事委員会主席)を掌握し、名実ともに最高指導者となるまで、胡錦濤と彼の派閥にとって安らげる日は来ない。もしかして、早晩、彼らの劣勢をいいことに、上海閥が何らかの言いがかりをつけて攻勢に出てこないとも限らないのである。もし内政・外交で目に見えるミスでもやらかそうものなら、待ってましたとばかり江沢民は批判大会を扇動し、彼を失脚に追い込もうとするだろう。胡錦濤は、そんな危うい立場なのである。
はたして彼には逆転の余地があるだろうか? 難しいかもしれない。しかし、もし今後、胡錦濤が何らかの大きな「得点」をあげ、逆に江沢民の面子が潰れるような事態が起これば、その可能性も急速に現実味を帯びてくるのである。
日本政府は胡錦濤に賭けよ
以上、今共産党大会で新総書記に選ばれた胡錦濤という人物が、いかなる政治的立場に立たされているか、お分かりいただけただろうか。
さて、冒頭でも述べたように、日本は中国の両派閥のうち一方を権力闘争に勝たせることのできる「切り札」を所有している。むろん、劣勢の胡錦濤閥の方を、である。ただ、その「切り札」の詳細を明かす前に、われわれ日本人には、江沢民に恥をかかせ、報復しなければならない正当な理由、および胡錦濤を支持するに足る理由があるということを訴えておきたい。
かつて日本は、天安門事件の後に国際的に孤立した中国を見放さなかった。しかし、その事件の最中に党総書記に就任した江沢民は、よりにもよって日本を、人民の怨嗟を反らせるための避雷針に仕立てあげたのである。
江沢民は就任するや、共産党の支配下にあるマスメディアと公教育を動員して、愛国主義を鼓舞した。それはつまり、日本の戦争犯罪を繰り返し暴き立て、誇張・歪曲し、日本と日本人を悪魔のごとく描写し、人民大衆の怒りと憎しみを掻き立てて、抗日戦争を戦った共産党の独裁体制に対する求心力を高めることを意味したのである。
たしかに、若かりし頃の江沢民は、日本軍に親族を殺され、自らも憲兵隊の軍用犬に噛み付かれるという、悲憤の体験をした。しかし、その個人感情を国政に持ち込み、恩を仇で返したのは、現在の日本人にとってとうてい許せない行為である。したがって、この男に一矢報いねば、日本の国家としての面子が立たないといえる。
幸いなことに、江沢民という男はカリスマ性がなく、中国人民の間にもまったく人望がないので、面子を潰すことに躊躇する必要はない。江沢民がことあるごとに日本に言いがかりをつける最大の理由は、「国内向けポーズ」である。「対日強硬派の愛国者」という印象を軍部などに与えることが、自らの権威付けと権力維持のための安易な手段なのだ。
こんな小物の国内向け点数稼ぎのために、バッシングの的にされているわれわれ日本人こそ、いい面の皮ではないか。
一方、対する胡錦濤は、大げさなジェスチャーと派手な演出を好む江沢民とはあらゆる点で対照的であり、思慮深く、謙虚で、質素な生活をしていると言われている。特権階級の出身ではない彼の生まれ育ちについては、未だ謎めいた点もあるが、はっきりしているのは、彼が民衆の生活をじかに知り、その考えを肌で理解できる人物だということだ。
しかも、民衆に無制限に迎合することもなく、時と場合によっては「引き締め」を行うこともできる。これはまさしく、今後、民主化の過渡期を迎えるであろう中国に理想的な指導者といえるのではないだろうか。
いったい胡錦濤という男は何者か? 私は名君の素質をもつ人物である可能性が高い、と思う。このような彼の人物評は日本国内では一切見当たらないが、私はあえてそのように評しておく。もしかして彼は、中国を無事に民主国家に着地させるという歴史的役割を担っているのかもしれない。実際、胡錦濤自身も政治改革=自由化についての信念を持っていると言われている。というのも、彼はかつて政治の自由化を進めたために失脚した胡耀邦の派閥に属していた。そして彼が失脚した後も、頑として批判を拒んだ。ということは、胡錦濤の本音は明らかに政治の自由化である。ただし、彼は総書記に選出されたとはいえ、未だに政治的に身動きがとれない状態にあるため、自らの手腕を存分にふるえないという不幸な状態にある。
おそらく、何より重要な点は、胡錦濤が権力の亡者である江沢民などよりはるかに中国人民の人心を掌握しているという点である。大衆の支持を獲得している政治家は、よほどのことがない限り負け組とならない。
それに新常務委員会で同じく孤立している朱鎔基閥の温家宝も、行政能力が優秀であるばかりでなく、開明的で人民の人気もナンバー1と評されている。つまり、人民大衆の気持ちは、上海閥よりも、胡錦濤・温家宝コンビに傾いている。もし今後、このコンビが政治の自由化を進めようものならば、大衆の人気だけでなく、昨今、急激に力を増しつつある私営企業家と中産階級をも支持基盤として取り込むことに成功するだろう。
したがって、この胡錦濤・温家宝コンビは、うまくいけば、かつて82年から89年にかけて政治改革を志したものの天安門事件で脆くも挫折した胡耀邦・趙紫陽コンビの再来となるかもしれない。
むろん、繰り返すが「自由に手腕を振るえれば」の話だ。今のところ、姑・江沢民がにらみを利かせているため、2007年までの第一期目は彼らの自由にならないことが確実視されている。しかし、江沢民が政治的に無力化されるような事態が起これば、天安門事件の張本人である李鵬を断罪し、かつその後に事件の受益者として総書記に収まって自由化の針を逆戻りさせた江沢民の執政を「反動時代」として総括してみせることが実現するような事態も、必ずしも絵空事ではない。なにしろこの国は、最高権力者=専制君主の「鶴の一声」で、いかようにも方向転換するのだから。
さて、われわれ日本人は、ここで時代の大きな潮流というものを想像すべきである。今日、いかに江沢民と上海閥が優勢を誇っているとはいえ、彼らが最終的に歴史上における「勝ち組」となるだろうか? もし胡錦濤閥か上海閥か、という選択を行うのならば、日本は「時代の勝者」となる方を見極め、選ばなくてはならない。
はっきりしているのは、中国がこれから予定調和的に民主国家になっていく、という潮流である。これは歴史的に普遍的な現象であるから、中国だけ例外ではありえない。問題は、単にその過程が「ソフトランディング」か「ハードランディング」か、というだけの話である。つまり、国家の秩序が完全に崩壊しない枠内で民主化が達成されるのか、それとも辛亥革命後のごとく内乱・分裂を伴う民主化か、どちらかということである。
言うまでもなく、前者のケースは「社会を引き締めながら、同時に自由化も推進する」という、難しい舵取りを要求される。つまりは、かつて台湾の蒋経国・李登輝が国民党支配を徐々に「自殺」に導いていったように、これは自らの基盤である共産党の特権をゆっくりと掘り崩していく作業となる。これには、公的使命感に支えられた高い志と絶妙な現実的国家経営を不可欠とする。もし、これを成し遂げることができなければ、残るはハードランディングしかないだろう。
言うまでもないが、中国が内乱にでもなれば、日本も困るのである。莫大な投資が灰燼に帰さないとも限らない(もっとも、分裂すればすれで、それは日本の安全保障上の利益となるという考え方もあるだろうが)。つまり、日本は自国のためにも、ソフトランディングな民主化を隣国にしてもらわなければ困るのだ。
今、中国では現実に、胡錦濤閥と上海閥の権力闘争が起こっている。もし日本がどちらかを選べない立場にあるとしたら、成り行きを傍観するしかないだろうが、偶然にも「切り札」を所有するわれわれは、どちらかを選ぶことができる立場にあるのだ。
その上で傍観してよいのだろうか? その場合、江沢民と彼の後継者のような腐敗した連中がそのまま中国の権力者として居座り続けるだろう。その結果、将来、どんな火の粉が日本と中国14億の人民に降りかかってこないとも限らない。それでも一切関知しない、ということだろうか? 現実に江沢民は院政を敷き、政治局常務委員内にも自らの腹心を送り込んで過半数を制している以上、そうなる可能性は少なくないのだ。
はたして、これを「運命」とあきらめ、「甘受」するのか? それとも「切り札」を発動して、劣勢の胡錦濤を助け、その結果生じるリスクを背負いつつも、自ら状況をつくり、将来を選択できる立場を選ぶのか?
確かに、たとえ間接的とはいえ、中国の権力闘争に介入することはリスクが伴う。仮にわが国が「切り札」を発動し、胡錦濤の地位を磐石にしても、もし彼が不可抗力的に病退・失脚でもすれば、上海閥が早晩、巻き返しに出て、中央の権力を完全に抑えてしまうだろう。そして、ボスの江沢民に恥をかかせた日本に、ことあるごとに嫌がらせをしてくる可能性もある。その場合、かえって以前よりも日中関係が険悪になるかもしれない。ゆえに「切り札」を発動するとしたら、それを覚悟の上でやらなくてはならない。しかし「虎穴に入らずんば虎子をえず」というではないか。
つまり、日本は「無作為の結果として引き受けるリスク」と、「行動の結果として引き受けるリスク」のどちらかを選ばなくてはならない立場なのだ。
むろん、本稿を進める私は、日本が後者の選択――すなわち、リスクを知りつつも、胡錦濤を選び、彼とともに新中国の創造に関わる道――をとるべきだと考えている。独裁体制は欠点ばかりではない。優れた人物が君主の地位に就き、思う存分手腕を振るえる政治環境が整えば、ドラスティックな改革が可能となる。胡錦濤は、かつて政治の自由化を推進し、志半ばで倒れた胡耀邦の後継者だ。もし彼が上海閥を圧倒し、常務委員会で主導権を握ることができれば、必ず自由化に着手するだろう。またそれしか中国を救う道がないことも、知っている。ゆえに日本は彼に賭けるべきだ。
日本が胡錦濤にわたすことのできるプレゼント
さて、われわれ日本が所有する「切り札」とは何か? それこそが「戦争賠償」である。この問題こそが依然として日中間の最大の懸案であり、両国の真の友好への発展を妨げているクサビだ。これはすべての中国人が例外なく主張することである。
そこで、次のような想像をしてもらいたい。
03年3月、胡錦濤は江沢民から国家主席の地位を譲られると目されている。その彼が、就任後初の外国訪問先として日本を選んだ。彼にとって、中国の指導者としての力量を試される外交の初舞台だ。当然、全中国人、否、全世界が注目するだろう。
そのときに、もし日中首脳会談の席上で、胡錦濤が日本から戦争賠償を引き出すことに成功したとすれば、どんなリアクションが予想されるだろうか? 間違いなく、全中国人が驚愕し、熱狂するだろう。「戦後の対日外交における最大の成果を挙げた」というふうに賞賛されることは必至だ。そしてこのニュースは世界をも驚かし、彼は一躍国際的な指導者として大いに面子を立てることができるのだ。
一方の賠償を実行する側のわれわれは、訪日した胡錦濤にこう言ってやればよい。「どうぞ、あなたが日本から勝ち取ったものとして、大いに国内で宣伝してください」と。おそらく胡錦濤は、この恩を生涯忘れないだろう。
同時に、これは「日本が上海閥より胡錦濤閥を選んだ」というメッセージを、中国の為政者たちに与えることになる。中国人にとって依然として日本のプレゼンスは大きいから、加勢をえた胡錦濤閥は勢いづき、上海閥は動揺するだろう。
今日の中国では、72年の日中国交回復時に戦争賠償の請求放棄を宣言したことは拙速であった、という見方が大勢を占めている。はっきりと毛沢東の誤りと指摘する向きも少なくない。しかし、その懸案を、まだ海のものとも山のものとも分からない胡錦濤が就任直後に解決してみせるのだ。やや大げさかもしれないが、この一時で中国国内での彼の評価は不動のものとなり、かつての対日妥協外交の過ちを糾した人物として、彼は毛沢東や周恩来に並び称されるだろう。
一方、「毛沢東と周恩来が放棄した戦争賠償を胡錦濤が勝ち取った」という事態は、ある人物に対して致命的な評価として跳ね返ってくる。言うまでもなく江沢民だ。
江沢民が13年かかってできなかったことを、胡錦濤は一瞬にしてやり遂げた……これで彼の面子は丸潰れである。かくて「無能」の烙印を押された江沢民は、76歳という高齢もあって、「負け犬の側にいてもメリットはない」と素早く算段する日和見主義者たちから、冷酷に見限られるだろう。というのも、中国の指導者は「外国に譲歩した」と見なされると、鋭い批判にさらされるが、逆に「外国から譲歩を引き出した」となれば、「よく頑張った」と一目置かれるのが常だからだ。群れのリーダーを決める上で、そういう集団心理が中国では非常に重要な役割を果たしている。
したがって、中国の外交史上、歴史的な得点をあげた胡錦濤の派閥は、官民から人心を得て、結果的に上海閥に逆転勝利を収めることができるのである。
現在、新政治局常務委員のうち、真に江沢民の腹心といえるのは5名であると言われている。本当のところ、その忠義がいかほどのものか疑わしい。2名ないし3名が裏切れば、常務委員会で胡錦濤閥が過半数を占めることができる。あるいは、もっとダイレクトに、汚職の罪状でも挙げて江沢民の子飼いナンバー1の曾慶紅を葬ってしまえばよいのだ。
面子の潰れた江沢民は政治的に死人となるから、もはや院政は敷けない。邪魔な後ろ盾さえなければ、そういう芸当が胡錦濤閥にも可能となる。
余談だが、もしこのときに「加藤紘一総理」が実現していれば、と悔やまれる。賠償実行の調印式を北京で執り行う段取りにし、全中国人をまえにして、加藤氏が得意の中国語で演説でもすれば、熱狂の度はもっと上がったに違いない。
いずれにしても、権力闘争を無事乗り切った胡錦濤は、二期十年つとめることになるに違いない。ここで彼に恩を売っておいて損はないことは確かだ。
(後半に続く)
2012年11月15日「アゴラ」掲載
(*再掲時付記:繰り返しますが、以上は必ずしも今現在の私の考えとは一致しません)