人間の醜悪な性質に気付いた一人の偉人が、2千年前にこんな言葉を残している。
“Judge not,that you be not judged. For with the judgment you pronounce you will be judged, and the measure you give will be the measure you get.”(MATTHEH 7)
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(マタイによる福音書)
安倍総理の靖国参拝に対する韓国とアメリカの反応を見て、上の言葉を思い出した。
極東軍事裁判の定義によれば、A級戦犯とは、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」のいずれかを犯さんとする計画謀議の立案また実行に参加した指導者・組織者のことを指す。この三つの罪の詳細については、ご自分で調べていただくとして、この定義に拠るならば、ベトナムを侵略して200万人の市民や農民を虐殺したアメリカと韓国の戦争指導者たちは、間違いなくA級戦犯にあたる。
アメリカ大統領は戦時における最高司令官であり、韓国のケースはよく知らないが、少なくとも当時はそうだろう。ケネディは南ベトナムにアメリカ軍の司令部を置いた。そして農村に枯葉剤をまくというマクナマラの提案を受け入れた。使用直後からベトナム人の間に疾患・障害・病死などが相次いだというが、より深刻なのは十年間の散布によって土壌に蓄積されたダイオキシンにより障害出産が相次いだことだ。それは今も続き、現在、300万人ものベトナム人が障害に苦しみ、家族や社会の大きな負担となっている。
韓国軍の場合は、民間人の大量虐殺や化学兵器の使用だけでなく、ベトナム人女性に対する性奴隷制度を運用していた罪も明確になってきた。これらの戦争犯罪および人道に対する犯罪の責任者こそ、当時独裁者だったパク・チョンヒである。
つまり、ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、ロバート・マクナマラ、パク・チョンヒなどは、本来なら死刑に処されて然るべき罪人だ。しかも、極東軍事裁判の先例があるので、不遡及原則に反する事後法でもない。
日本の戦争指導者を裁いたのと同じ基準を用いるならば、以上のことが言える。
そもそも、韓国が靖国参拝を批判すること自体、二重におかしいのだ。韓国人は日本軍に志願し、その結果として戦犯を出した側である。当時、韓国人は、日本軍の勝利と韓国人将校の活躍に熱狂し、万歳三唱した。戦死した約2万2千の韓国人軍人軍属は、同神社に合祀されている。「連合軍に参加した韓国光復軍」と違い、彼らはリアルな存在だ。
これについて、今頃になって韓国人が文句をつけている。韓国外交部の報道官は昨年、合祀は「強制徴兵・徴用犠牲者の意志に反して」おり「当事者とその遺族の名誉・人格に対する侵害だ」などと非難している。だが、仮に合祀しなかったら、韓国人は何と言っていたか。間違いなく、「われわれ韓国人を死後も差別するつもりか?」などと怒り、民族差別問題として対日非難の合唱をしていただろう。
つまり、当人に底意がある限り、合祀しても、しなくても、どっちにしても因縁の材料になるということだ。しかも、志願なのに「強制徴兵された」などと嘘をつく。一国家が公式の場において、かくも公然と嘘をつき、他国を陥れる真似をする。これも韓国が信用されない理由の一つである(もっとも、合祀者の子孫が望むなら、靖国神社側も取り消す〈方法があるとして〉くらいの柔軟な姿勢であってもいいと思うのだが)。
終戦後、千人もの日本人が戦犯としてが処刑された。その上、日本はアジア各国と個別に交渉し、賠償またそれに値する経済援助を行ってきた。自国の戦争犯罪についても極めて活発に議論してきたといえよう。しかし、主要国を見渡せば、そのような態度を取っている国がどれほどあるだろうか。アメリカと韓国は、自国の戦争犯罪を直視し、その指導者の責任を問い、裁いているのだろうか。
彼らはモラルを掲げて日本を裁くが、自分はそれを守っていない。靖国参拝の批判をするのは結構だが(私も板垣・東条・土肥原などは弁護の余地のない戦争犯罪人だと思っているし)、その度に、そんな自分たちの醜悪さと二重基準が浮き彫りになるということも、少しは自覚しておいたほうがいい。
2014年01月06日「アゴラ」掲載