みなさん、こんにちは。
中国史上においてもっとも輝ける時代のひとつが唐(Táng:618~907年)の時代であることはご存知かと思います。8世紀はじめ頃から始まった玄宗皇帝の治世には、帝国の版図はほとんどアラル海にまで及び、イスラム帝国と接していました。
この時代においては、唐帝国とイスラム帝国が世界を二分していました。東ローマ帝国はその下、フランク王国はさらにその下くらいの国力だったと想像します。
当時、唐の都・長安はイスラム帝国のバクダッドと並ぶ世界有数の国際都市でした。人口は百万を超え、世界中から商人や留学生が集まったといいます。今でいうNYのような存在でしょうか。日本も繰り返し遣唐使を送り、文明を吸収しました
国際的な帝国らしく、長安には仏教寺院だけでなく、ゾロアスター教やマニ教、ネストリウス派キリスト教の寺院まであったといいます。朝廷にも様々な民族出身者が取り立てられました。阿倍仲麻呂は中国名を持ち、秘書監にまで出世しました。武将の安禄山はソグド系で、高仙芝はチベット系だったと言われています。
このような帝国ですから、唐は「東アジア文明」の基盤ともなりました。日本の平城京や新羅の金城(慶州)、渤海の上京竜泉府などはいずれも長安に倣ったものです。
先進性といい、独自の文化文明といい、国際性・開放性といい、大唐帝国は今の共産中国とは大違いだったわけです。
玄宗後期と唐の凋落
もっとも、玄宗時代の前半は絶頂期(開元の治)でも、後半からは斜陽化しました。絶世の美女の楊貴妃を寵愛するあまり、彼女の一族の楊国忠の専横を許しました。彼と対立した三州(今の北京や遼東あたり)の節度使の安禄山は挙兵し、いったん洛陽を落として皇帝を僭称します。さらに長安を襲ったため、玄宗一行は都を逃れました。
この時を詠んだのが白居易の『長恨歌』です。西南に逃亡すること百余里のところで、将兵の怒りが爆発します。「こうなったのは楊国忠のせいだ」と。彼らは楊国忠を斬り、さらに楊貴妃も殺すよう、玄宗を突き上げました。皇帝は泣く泣く彼女を殺すように命じました。もっとも、楊貴妃が日本に逃げてきたという伝説が日本各地にあります。もしかして身代わりを立てて彼女を逃がしたのかもしれませんね。
その後、安禄山は暴走して息子に殺され、その息子は武将の史思明に殺され、今度は彼が大燕皇帝に就きます。しかし、彼もまた自分の息子に殺されてしまう。反乱は急速に求心力を失い、やがて鎮圧されます。755年から763年に及んだこの「安史の乱」の後、今度は宦官が専横を振るうようになり、唐は急速に衰えていきます。
唐の凋落を見て、遣唐大使だった菅原道真も遣唐使廃止を上奏しました。
大明宮とは何か
さて、長安はもともと隋の都・大興でした。唐はそれを長安と改名し、隋の宮殿をそのまま大極宮としました。しかし、高祖は都市の北側、しかもやや東にずれた場所に新宮殿を計画しました。のちにそれは「大明宮」と呼ばれるようになります。第三代高宗の時代にはここで政務を執るようになり、以来ここが実質皇居になりました。
つまり、大明宮は、ユーラシア最大帝国の首都の、そのまた中心施設だったわけです。その規模と美しさは空前絶後でした。中国古代建築の最高傑作に挙げられます。
ただ、これまで含元殿などが復元図として描かれていたわけですが、今ひとつスケール感というか、壮大さ・美麗さに欠けていたんですね。
ところが、コンピュータ・グラフィックス時代に入って、何年か前にCCTVがドキュメンタリーの形で再現しました。それが動画としてアップされています。
(*YouTube上の動画は削除されました)
[大明宫 720HD] 01 – 幻影迷城 (纪录片 高清片源)
[大明宫 720HD] 02 – 丹凤朝阳 (纪录片 高清片源)
[大明宫 720HD] 03 – 日月当空 (纪录片 高清片源)
[大明宫 720HD] 04 – 盛世荣光 (纪录片 高清片源)
[大明宫 720HD] 05 – 繁华如梦 (纪录片 高清片源)
[大明宫 720HD] 06 – 凤凰涅磐 (纪录片 高清片源)
ドキュメンタリーは大明宮を通して唐帝国の栄枯盛衰を描いているわけですが、やはり見どころはドラマと並んで、美しいCGではないでしょうか。
夕日に照らされる壮麗な宮殿の風景などを見ていると、まるで1300年前の古の時代にタイムスリップしたかのような気分に浸れます。全編中国語ですが、一応、漢字の字幕が出てくるので、なんとなく意味は分かります。
というわけで、とにかく美しいCGを堪能してほしいと思います。
以下、ドキュメンタリー「大明宫」より抜粋したCG
日本の遣唐使と、席次をめぐって口論する日本と新羅の場面。
現代の中国人は優越感を覚えるのでしょうか。
やがて戦乱で滅亡する時が・・。
そして、現代。かつての大明宮跡地。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、勝者必衰の理を表わす。奢れるものは久しからず。ただ、春の夜の夢のごとし」
12世紀の日本の軍記「平家物語」の冒頭より。