「近い将来、紙メディアはほとんど壊滅するだろう」
という記事を今まさに書いているところですが、その前に改めて出版について振り返ってみたいと思います。というのも、そこから滅びる理由もまた見えてくるからです。
著者の印税が本の定価の10%であるという話は、一般の人々にもかなり知れ渡っている知識ですが、では残りの9割がどんなふうに配分されるのかというと、やはり出版関係者しか知らない場合が多い。以下は「儲けのカラクリ」(三笠書房)からの引用です。
本のコストの構造はどうなっているのか?
1500円の本を7千部印刷したケースを解説しています。
図の下側から見ていきましょう。
これは平均的な例ですが、「書店」は本の定価のうち22%を貰います。
次に「取次会社」というのがありますが、代表的なのがトーハンや日販で、出版社から本を引き受けて書店に納入して回る役割を担っています。
出版社が直接、書店に卸しているわけではないんですね(そういうケースも少しあります)。で、流通を受け持つ取次会社は8%を抜いていく。
そして、一連のプロセスの中心にいるのが「出版社」です。だから版元ともいう。
上では33%の取り分となっていますが、定価の設定や経費抑制次第では、粗利を4割以上に持っていくことも可能です。だいたい粗利は3~4割の間です。
それより上は列挙しましょう。「印刷・製本代」が7%、「写植・製版代」が12%、「紙代」が6%、「装丁料・イラスト発注等」が2%です。解説にあるように「写植・製版代」は固定費であるため、重版の度に支払う必要はないです。
出版の心臓「企画力」と敏腕編集者が独立するワケ
さて、以上の構造ですが、ここで面白いことに気づきませんか?
本を書くのは作家だし、本を製造するのは印刷屋さんや写植屋さんだし、本を全国津々浦々に運ぶのは取次だし、本を売るのは書店です。
じゃあ、出版社は何をしているのか。極端にいうと、企画だけです。ただ、一番難しいのがその企画です。宣伝や営業はそれに付随する仕事でしかありません。
本を出すというのは、資金的なリスクを背負うことでもあるんですね。一冊ごとに、読者や市場との真剣勝負です。だから、大半の編集者はローリスクな選択を好みます。
つまり、自ら企画を練るよりも、すでに本を売った実績のある著者に「お願い」をする手法ですね。だから一部の著者に注文が殺到する一方、最初に出す人にとっては、出版がやけにハードルの高いものだったりする。実際、著者の9割は最初の1冊を出しただけで消えるそうなので、出版社にとって初心者を使うことは、事実ハイリスクなわけです。
まあ、言っちゃなんですが、後追い企画専門の編集者はしょせんそれまでなんですね。本当に優秀な編集者は自分の頭で独創的な企画をバンバンひねり出します。知的好奇心が旺盛で、常に時代の先端を読もうとアンテナを磨き、日常的に努力している。
だから、市場のニーズを読む力量のある敏腕編集者は独立する人が多い。言ったように、極端にいえば出版社の仕事は企画だけですから、昔から机と電話(と今ではPC)さえあれば起業できるとも言われていた。オフィスを借りて最初の数冊を出して半年くらい回せる資金さえあれば、独立することが可能です。だから、元編集者が続々、自前の出版社を立ち上げていくんですね。中小出版社はそのパターンが非常に多いです。
ちなみに、それと比較すると、サイト開設はさらにハードルが低い。資金は小額、企画も執筆もすべて自分でやる形です。むろん、執筆は外注可能です。
でも、リスクが少ない分、アマチュアリズムの巣窟になってしまうんですね。
だから私は適度にプロフェッショナリズムを意識してその他大勢との差別化を図っている(つもり)ですが、そろそろ辛いと思うこの頃です(笑)。
コンテンツ・クリエイターがすべての取り分を持っていく時代
まあ、そういう話はどうでもいいでしょう。
以上のことから、出版の未来も含めた、いろいろなことが見えてくる。
見ての通り、1500円の本を出しても著者の取り分は150円ですから、著者からすると、どんな売り方をしようが、150円さえ入れば同じことです。
そもそも、本というのは、“中身”つまりソフトや情報を売っているものなのか。
それとも本という“物体”を売っているものなのか。
これは二者択一というより、両方とも正解なんですね。
ただし、消費者の中には「中身だけでいい」という人が確実にいる。
で、昔は、製本して売るしかなかったわけですが、ネットの発達で今では中身だけ売ることも可能になった。ただし、依然として本人が自分でさばくのは難しい。
そこで、アマゾンのKindle電子出版や、DMMのデジタル販売などのビジネスが成り立っているわけです。これだと著者の取り分は一挙に7、8割です。
そもそも、「書店」「取次会社」「印刷・製本代」「写植・製版代」「紙代」「装丁料等」が不要になると、コストの6割が消えます。
残りの4割部分が出版社と著者になりますが、出版社としても、従来の書店回り要員や、同じ紙媒体への広告打ちなどが不要になり、大幅に経費・人員を削減可能です。
要は、核となる企画校正専業の編集者がいればビジネスが成り立つ。
だから、本だと1500円だったモノが、ネットだと200円で売れる。で、そのうち50円は出版社(サイト)側がとり、150円は著者がとるという形ができる。
言ったよう著者にしてみれば、本の時と何も変わらない。むしろ、200円という低価格になったことで、1500円の時よりも大量にさばける可能性すら出てくる。
そして、前々回の記事で述べましたが、これからもっと凄い革新が訪れる。
三菱UFJ銀行の「MUFGコイン」やみずほフィナンシャル他による「Jコイン」などが発行されようとしている。時代のニーズにマッチするため、必ず普及するでしょう。
こういった「電子コイン」が本格的に普及すると、もっと凄いというか、著者にとって有利な売り方ができるようになります。たとえば、本が「ワンクリック決済」で売れるだけでなく、1円とか10円といった低額で「バラ売り」もできるようになる。
本でも、記事でも、音楽でも、漫画でも、動画でも、ゲームでも、とにかくソフトを作った本人が手軽に売れるようになる。会員登録だのログインだの、消費者側にとってややこしい手続きは不要(だと思うが・・)。画面上ですぐに売買が成立する。電子漫画も、従来のようにダウンロードして解凍して、という作業は必ずしも必要ありません。
だから、そういう時代になると、サイトの運営から企画、執筆(ソフト制作)まですべて自分でやれる人にとっては、とても有利だと思います。なにしろサイトは自動販売機と同じですから、自分は好きな時に好きなだけ働けばいい。
また、従来の出版構造の中では、著者以外に、敏腕編集者だけは、そういったソフト販売サイトの運営者や企画者として生き残っていくことができるでしょう。
逆にいえば、それ以外の人たちは、ごっそりと淘汰されるかもしれません。
なぜ私は堂々と「本を買ってほしい」と訴えるのか?
改めて図をご覧のように、本の定価の9割は、書いた人以外が取っていく。
今まで、われわれ消費者は、著者というより、ほとんど出版社や書店、印刷屋さん、流通屋さんに対してお金を支払っていたんですね。
しかし、サイト上で手軽に小額の売買が可能になると、私たちは著者本人か、それに付随するサイト運営者など、ごくわずかな人にだけ支払えば済むようになる。
たしかに、コンテンツ・クリエイターと消費者の双方にってウィンウィンかもしれません。しかし、誰かがおいしい思いをする時、逆に別の誰かが割りを食う羽目になる。次回の記事とも関係しますが、これからごっそりと「9割部分」が淘汰されていきます。
当然、経済にとって良いのは、従来のやり方です。
だから、私としても堂々と、安心して「本を買ってほしい」と言えるんですね。
よく、ライターやジャーナリストの中には、銀行口座をさらして「寄付のお願い」をしている人がいる。私はそういった行為を必ずしも否定しません。
しかし、そうやって人からタダで金を貰うと、スポンサーを持つことになります。私はこれまで、人や企業やその他の団体からお金をもらって、その意向に沿った記事を書くという行為だけは、絶対にやらないようにしてきました。
なにしろ、アゴラからも一円も受け取らなかったくらいです。アゴラではPVに応じてもらえる仕組みがありますが、私は自分から辞退しました。その理由は当時、私がエネルギー論を書いていたからです。アゴラのケースは、ライターとしての正当な対価ではありましたが、それでも私は「公正さを保つ」というその一点から、あえて辞退しました。というわけで、アゴラでは最初から最後まで無償で記事を書き通しました。
それは人としての矜持であり、生き方なんですね。
「神は何もかも見通しているので、たとえ陰に隠れていても不正やゴマカシはしない」という信念は、今ではなかなか理解されないものがあります。PVに応じてアゴラから報酬を受け取ることはむろん不正でも何でもないですが、「エネルギー論の公正さに関して申し開きができない」という、そのわずかな曇りを、私は問題としたわけです。
というわけで、一円にもならないわ、原発肯定派と否定派・自然エネルギー派の両方からバッシングされるわで、損な経験以外ありませんでした(笑)。しかし、私の主張から大勢の人が何らかのヒントを貰ったはずで、そのこと自体が私の“報酬”なんですね。
この“仕組み”は霊的な観点から見ないと、なかなか理解し辛いものがあります。
こういう人間ですから、私は「寄付のお願い」は絶対にしません。あくまで読者とは対等で正常な関係でいることを望んでいるので、「本を買ってほしい」と言います。
第一、私だけが寄付金を貰うやり方など、こちらから願い下げる。
それに対して、「本を買う」という行為ならば、読者は一商品に対する対価を支払っているのであり、私たちもタダで恵んで貰っている形にならない。あくまで両者は対等であり、私と読者の間に貸し借りは無しです。しかも、言ったように、著者の取り分は1割だけで、残りの9割は流通関係者等に配分されるので、経済にとっても好ましい。
というわけで、みなさんが、著者が誰であれ本を買うと、私一人だけでなく、関係者みんなが潤う格好になります。次回に述べますが、あるイノベーションによって、今後、この「9割部分」の産業から大量に失業者が出ることは、どうも避けられない。
紙メディアはほとんど終わってしまうでしょう。
しかし、できるだけ本や雑誌を買うという行為で、その時代の流れを緩和する(失業が出るスピードを緩める)ことは、できると思うんですね・・。
神々のアジェンダ