在日朝鮮人が自分たちを救う方法

オピニオン・提言系




この記事は、それまでの流れの延長戦上にあるものなので、前の三つか、四つに目を通す労を厭わなかった方に、読んでほしいと思う。

繰り返すが、戦争が始まってしまってから「われわれは敵ではない」と主張しても遅い。だが、開戦前の今なら何とかなる可能性がある。しかも、従来のように、日本に対して「何とかしれくれ」とか「われわれに配慮してくれ」などと要求するのではなく、自分たちのほうが過去のあり方を反省し、断固たる行動を起こさねばならない。以下は私からの個人的な提案である。

私は、優しいこと・甘いことは一切言わないし、安易な約束・保証もしない。「しょせん他人事」と断っておく。だから、読んだ人の中には、非常に不愉快だとか、朝鮮人への差別だなどと、思う人もいよう。また、我ながら批判と提案が混在している面は否めない。だが、それでも生存に向けて必死にヒントを拾おうとしている在日朝鮮人には、少しばかりの助けにはなるはずだ。

1・本国と朝鮮総連に反抗する

一番いいのは、朝鮮総連が組織として丸ごと本国から離反することだろう。そして公式に北朝鮮の政治体制や核実験に対して非難声明を出す。朝鮮中央通信や労働新聞から「この裏切り者どもめ」という反応が出て、双方の非難合戦になれば、誰が見ても総連は本国の統制を離れて独自路線を歩み始めたと、日韓双方から認められるだろう。

しかし、許宗萬議長以下、総連幹部は体制にしっかりと組み込まれているので、期待するだけ無駄に違いない。しかも、彼ら自身、暗殺に怯えなければならなくなる。実はこういう場合でもやりようはあるのだが、どうせ長年の洗脳下にあり、そんな勇気もない。

そこで次策は、在日朝鮮人による“集団脱北”である。これはむろん「韓国籍に移る」という意味ではない。集団的に朝鮮総連から脱籍(たぶん事実上籍を抜けないと思われるのでこういう表現になる)し、なおかつ反抗することを意味する。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というビートたけしのギャグがあるが、みんなで裏切れば怖くない(もしくは怖さも減る)。そのためには在日朝鮮人の中から「最初の勇気ある人々」が現れ決起することが不可欠だ。とくに若い世代から最初の数人、十数人、数十人というふうに決別が相次げば、そこから一挙に「流れ」が起きる可能性もある。人々の間にはそれだけ組織に対する積年の疑問や憤りも鬱積しているだろう。

朝鮮総連が独裁政権と心中するのはやむをえないとして、若者たちや組織の下部層までがこのまま手をこまねき、座したまま集団自殺へと突っ走っていいのか。

2・北朝鮮の憲法に対して抗議をする

これまで在日朝鮮人たちは、北朝鮮の憲法規定と、そこで定める公民の地位や義務に対して、一切の抗議をしてこなかった。これでは戦時になると、「いざ兵士として祖国のために戦わん道を自らの意志で選んだ」のだと、客観的には見なされても仕方がない。

「われわれは兵士にはならない、日本とは戦いたくない」という言葉は、日本人や日本社会に対してではなく、まず北朝鮮や朝鮮総連に対して言うべきことである。いや、すでに言っていなければならないのだ。言い続けてきたという実績のある在日朝鮮人のみが、戦時の際に敵兵でないと社会から認められる。自ら証明する作業を怠りながら、いざ開戦後に「おれは日本の味方だ」と主張したところで、誰が信用するというのか。だから、今からでも遅くないからどんどん主張し、組織を突き上げることが大事なのだ。

また、日教組や平和団体は二言目には「子供たちを戦場にやるな」と訴えているが、それはよしとして、その主張に加わったり賛意を表したりしている在日朝鮮人は、全人民に武装と祖国防衛の義務を定めている自国の憲法については何とも思わないのか。

ちなみに、その北朝鮮の憲法によると、同国は本来、選挙をやる民主的な国らしい。デモの権利も保障している。国名にも民主主義の文字が入っている。

だから、本来なら、平壌に行って、金日成銅像の前で、堂々と抗議デモをしてもよいのである。在日朝鮮人の知識人は、日本政府相手にデモをやる前に、自分が平壌に赴いてデモをやってみせたらどうなのか。それとも、そんな根性もないか。

それが実態として許されないというのなら(事実そうだが)、この条項を遵守していない祖国に対してなおさら「金正恩政権は憲法67条を守れ」と抗議しなければならないのではないか。「安倍政権は憲法9条を守れ」などと叫んでいる場合ではないはずだ。

(*北朝鮮憲法第67条 公民は、言論、出版、集会、示威及び結社の自由を有する。国家は、民主主義的な政党、社会団体の自由な活動条件を保障する。)

3・北朝鮮の核・ミサイル実験、外交政策に対して抗議する

その他にも、北朝鮮の度重なる核実験やミサイル実験に対して、ダンマリを決め込んでいてはいけない。弾道ミサイルが日本列島を跨いだり、日本のEEZ内に落下したりする現状は、日本にとってもはや安全保障上の死活問題である。在日朝鮮人たちは、自分たちがどの国の人間で、どの国にいるかという現実から逃れることはできない。

ましてや、日本が勝手にミサイル実験の演習場扱いされている時に、「自分たちまで迫害される」とか「敵視をやめろ」などと、自分の心配ばかりするものではない。それは日本に在住する北朝鮮側の人間として、政治的にありえない、やってはいけない態度である。とりわけ在日朝鮮人の知識人には、こういう当たり前の感覚が欠如している。

なにも「金正恩政権の行為に対して責任を負え」と言っているのではない。また、自分たちの心配をするのもいい。ただその前に、日本社会に対して「私たち在日朝鮮人は本国の行動に対して反対している」ことを示す義務がある。自分たちは本国とは違うんだ、本国のやり方には反対しているんだ、ということを態度で証明しなければならない。それを怠りながら被害者ヅラだけする行為は、マイノリティとして政治的自殺行為である。

しかも、何も在日朝鮮人全員に対して要求しているのではない。焼肉屋で忙しく働いている人に対してまで仕事を放り出せと要求しているのではない。せめて一部でもいいから、抗議の意志表示をすること。その際に「私たちは在日朝鮮人の総意を代弁している」と主張すれば、それで十分、日本社会へのメッセージとなる。

北朝鮮が日本に向けて繰り返しミサイルを撃つ行為を黙認しながら、「日本人は多民族共生社会を築け」などと嘯く在日朝鮮人の知識人は、もはや鈍感だとか、政治的リテラシーが欠如しているという域を超えて、何らかの精神的な病理なのだと思う。こういう人間は実際には在日朝鮮人を地獄へと連れて行くハーメルンの笛吹きでしかない。

4・韓国による祖国統一を支持する

以上の3つの行動は相互に関連しあっているが、こういったアクションを今すぐに取ることによって、「自分たちは北朝鮮や朝鮮総連とは違う存在だ」ということを日韓両社会に対して証明することができよう。少なくとも日本側の見る目が変わることは、断言していいと思う。そしてこのような証明作業が“戦後”における運命の分かれ目となる。

さて、どうせ裏切るのなら、徹底的に裏切るのも手だ。それに“戦後”の韓国世論も踏まえる必要がある。だから、集団的に朝鮮総連から脱籍・反抗するだけなら、まだ「中立」といえるが、そうではなく明確に韓国サイドに就く。つまり、韓国が唯一の祖国であり、韓国の体制によって南北統一されるべきだとする立場への鞍替えである。

ただ、これは完全に北朝鮮を敵に回す行為だから、単なる離脱以上の覚悟が必要になる。だから、いったん離脱反抗のステップを踏んで、しばらく様子を見てから、完全に韓国側に寝返るという手もある。どうせ韓国側は曖昧な態度を嫌うだろう。

5・幹部や工作員は開戦前に投降せよ

朝鮮総連の幹部や、本国の機関に所属し、秘密工作に従事する者等は、今のうちに日韓どちらでもいいから、警察に自首し、それまで自分がしてきたことを洗いざらい白状し、しかるのちに亡命を申請したほうがいい。自衛隊の出番になった時ではもう遅い。罪の内容に応じて懲役刑が下される可能性もあるが、戦時・戦後はどっちにしろ死刑か殺害対象である。今自首して協力者に転じれば、戦後に普通の市民生活に戻ることもできよう。

まったく一般市民の在日朝鮮人なら、開戦直後、警察に保護を求める手段もある。「北朝鮮の憲法には従わない」旨を宣誓して、あとは身をゆだねる。ただし、それによって日本で殺される心配はないが、戦後に韓国でどう扱われるかまでは保証の限りではない。

あくまで自分で自分を助ける方法である

私が上に述べたことが「これから取るべき態度」だとすれば、在日朝鮮人たちが「これまで取ってきた態度」は何か。日本人拉致問題に対する振る舞いでもそうだが、わざわざ自分たちが日本の敵であり、反社会存在であると証明する作業ばかりやってきた。

繰り返すが、泣こうが喚こうが、いざ戦時になれば以下が現実化するのだ。

・北朝鮮憲法は、在日朝鮮人が事実上の人民軍兵士となることを定めている。

・戦時下になれば国内も戦場になるため、仮に一般市民であっても、国内にいる敵兵は見つけ次第殺してもよいし、むしろなるべく殺さなければならない。

・敵兵をかくまう日本人も攻撃対象にしてよい。

・北朝鮮が日本を核攻撃し、日本人を大量虐殺した場合、在日朝鮮人とその支援者は、報復により皆殺しになる可能性がある。

・戦争は結局、韓国側が勝つ。そして戦後の韓国政府による“責任者”への追及や粛清は苛烈を極める。朝鮮総連とその在籍者は格好のスケープゴートとなる。

この“来る現実”を前にしながら、朝鮮総連と在日朝鮮人たちはいったい何をやっているのか。最近、「都内の朝鮮大学校『日米を壊滅できる力整える』 金正恩氏に手紙、在校生に決起指示」(2016.9.20)という記事が産経ニュースに掲載された。朝鮮大学校の記念行事でこのような檄文調の金正恩忠誠文が読み上げられたそうな。もしかすると、彼らのほうは戦争やる気満々で、私のほうがいらぬお節介をしているのかもしれない。

おそらく、根底にあるのは「自分たちは被害者だから、加害者である日本人に対しては何をやってもいい」というような、間違った思考であり、歪んだ被害者意識だろう。だが、そういう意識に呪縛されたまま、これからも一切自分たちの過去の思考・言動・行動を反省しないし、あり様も変えるつもりはないというのではあれば、好きにすればいい。わざわざ集団自殺したい人々を止める趣味はない。

だが、在日朝鮮人の大人はそれでいいとして、子供たちまで巻き添えにしていいのか。もし本当に「子供たちの未来のため」を思うなら、今すぐに北朝鮮の核・ミサイル開発と挑発的実験に対して公に反対し、「私たち市民を勝手に兵士にするな」「子供たちを戦場にやるな」と抗議運動をしなければならない。そういう実績を作っておかねばならない。

残された時間はもうない。それとも、日本政府や安倍政権相手にはどんなキチガイじみた抗議活動でもできるが、自分たちの政府や組織に対しては何もできないというのか。事実そういう者が少なくない。日本社会に向けてデモをやる暇とエネルギーがありながら、世界の誰が見ても狂っている北朝鮮と、反日カルトの朝鮮総連には何のアクションも起さない。その「身内にはとことん甘い」という根性が腐っているのではないか。

はっきり言って、実名でこういうことを公言するのは、まったくの貧乏くじなのだ。ヘイトだ、差別主義だ、分断目的の政治謀略だ、などと指弾されるリスクしかないのだから、損な役割である。だいたい、非インテリの私程度ではなく、本来なら政治家・大学教授・知識人などが問題提起すべきではないのか。

ただしかし、私の厳しい批判・過酷ともいえる要求に反発する前に、「戦争反対、ラブ&ピース、仲良くしようぜ」的な主張と比較して、果たしてどちらの側が、いざ戦争という現実の前で在日朝鮮人の命を救うことに役立つのか、自分の頭でよく考えてほしい。

もっとも、偽善が嫌いなので明言しておくが、私は人助けをしているのではない。ここに述べたことは、題名にもあるように、あくまで「自己救済の方法」にすぎない。見方を変えれば、私は単に「自分の命は自分で救え」と突き放しているだけなのだ。あとは受け取る側の問題である。

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