最近、FNNのサイトで「小泉進次郎の覚悟」と題する記事が発表されました。
いまや「総理にしたい政治家」NO1の自民党小泉進次郎筆頭副幹事長。
こんな書き出しから始まる。そして、彼のこんな“名言”が紹介される。
「昔の自民党なら倒閣になってた。私や石破さんが言うと、『後ろから鉄砲を撃つ』と言われるが、私は真っ正面から撃っている。自民党を愛しているからこそ、このままではいけないと思っている。誰が嘘をついているかは明らかだ」
書いたのはフジテレビの解説委員の鈴木款氏。
ヨイショ記事ですが、進次郎の「バック」を知る上で貴重な情報になっている。
鈴木氏はこう記します。
2005年7月にニューヨークに赴任し、最初の冬を迎えた私はコロンビア大学大学院で教鞭を取っていた米日財団理事長ジョージ・R・パッカード氏と、当時流行っていたマンハッタンの焼き鳥レストランで食事をしていた。
その席に一緒にいたのが、コロンビア大学院でパッカード氏のもと国際政治学を学んでいた20代半ばの小泉進次郎氏だった。 当時、小泉氏の父・純一郎氏は内閣総理大臣であり、兄・孝太郎氏はすでに俳優としてテレビ画面でよく姿を見ていた。
この「米日財団」とは何か?
同団体のサイトは次のように説明している。
米日財団は財団法人日本船舶振興会(現日本財団)からの100億円(当時約44.8百万ドル)の資金投入によって設立され、1980年にアメリカ法で認可された助成財団として法人化されました。
日本船舶振興会会長笹川良一氏(1899-1995)は、当時早くも日米両国および他国にとって日米関係が重要であることを洞察しており、両国の理解の促進のために当財団を設立しました。
私らの世代からすると、笹川良一さんといえば、このCM。
子供たちと戯れる「一日一善」の優しそうなお爺さん。
千両箱じゃなくて、母親をかつぐ自分の銅像をあちこちに作った人でも有名です。
「競艇」という公営ギャンブルの元締めですね。そもそも笹川氏自身が競艇事業の生みの親です。江戸川にもありますが、土日はエンジンの唸りが周囲に響き渡っています。
その収益金を元にして日本財団が運営されいている。その系列の笹川平和財団や東京財団も有名で、活発に活動しています。米日財団もその一つというわけです。
基本的には、ギャンブルの儲けから慈善事業に充てている、という図式です。
趣旨から反れるので笹川氏については詳しく触れませんが、「巣鴨プリズン・サバイバー」ですね。右翼の元締めにしてCIAエージェントの児玉誉士夫というワルがいましたが、その彼を「児玉クン」呼ばわりしていたのが元国粋大衆党党首の笹川氏です。
つまり、どちらかというと、怖いオジさんです。
「巣鴨プリズン」に収容された戦犯容疑者のうち、ある者は処刑され、ある者は権力への復帰を許され、戦後も日本社会の支配層に納まり続けた。
なぜなのか? 何が両者を分けたのか?
そこに「戦後日本とは何か?」を知る手がかりがあります。
また、本当はユダヤ問題も関わってくる。ユダヤの「あるタブー」を知る立場にあった人たちは、A級戦犯なる汚名を着せられ、口封じされました。
昭和天皇の誕生日の4月29日に起訴して、当時の皇太子(今上天皇陛下)の誕生日の12月23日に死刑を執行する、という格好で。これで日本の支配層は震え上がった。
近年、日本財団の笹川陽平会長がこんな写真を公表しました。
現役の総理と副総理、元総理二人を別荘に招いた時の写真だそうです。
どれだけ権力に食い込んでいるかがよく分かります。
大学卒業後の小泉進次郎の軌跡――帝王学を授かった現地人エリート
さて、話を小泉進次郎に戻します。再び鈴木氏の記事。
小泉氏は大学卒業後の2004年に、コロンビア大学付属の英語学校に入った。
学生時代から英語の勉強が好きで短期留学も3回経験していたのだが、入学当時の英語力は必ずしも高くなかったようだ。
しかしわずか1年で、英語力は驚くほど上達したと当時を知る関係者は言う。
すでに3回も短期留学の経験があった。
そして、関東学院大学経済学部を卒業したあと、コロンビア大学大学院に留学する。
ここで登場するのが、上の米日財団理事長ジョージ・R・パッカード。
東京大学に留学した経験があり、エドウィン・ライシャワー大使の部下だった人です。
そして、もう一人、ジェラルド・L・カーティスが登場する。
コロンビア大学政治学部の教授です。一時的、同大の東アジア研究所長も務めていた。また、早稲田大学客員教授、東京財団上席研究員でもある。
ウィキペディアにはこうあります。
専門分野は日本の政治外交、比較政治学、日米関係、米国のアジア政策である。
1967年第31回衆議院議員総選挙における大分2区の自民党衆議院議員候補の佐藤文生陣営を題材にして、1年間佐藤やその支援者らと寝食を共にして立候補から初当選までの日本の選挙運動を分析した博士論文を執筆、同論文を基にして『代議士の誕生』を出版する。
要は、米国における日本政治の第一人者ということですね。
小泉進次郎はこの二人の下で国際政治学を学び、修士を取った。
次に彼が向かったのはワシントンD.C.にあるシンクタンクの「CSIS」(戦略国際問題研究所)。米政府の政策決定に深く関わっているいるシンクタンクです。
CSISの現副理事長は“知日派”のマイケル・グリーン。
鈴木氏は記事の「連載2」でこう続ける。
私は小泉氏の足跡を追ってワシントンを訪れ、当時の上司だったマイケル・グリーン氏にインタビューした。グリーン氏は米国の代表的な「知日派」として知られている。(略)
グリーン氏は小泉氏との交流をいまも続けている。
マイケル・グリーン氏については説明するまでもありません。
この人も東大留学組。ロックフェラーのCFRの元研究員、元国家安全保障会議アジア部長、そしてCSISの副理事長。クリントン政権ではエズラ・ヴォーゲルやジョセフ・ナイのブレーンであり、ポスト冷戦時代の日米関係の策定を主導した一人です。
日本の影の指針とも言われる「アーミテージ・レポート」の作成者の一人です。
パッカード、カーティス、マイケル・グリーン・・こういった人たちのキャリアには共通点がある。それは実際に日本の内部に入り込んで、それから本国で要職に就いた。
だから「知日派」とか「親日派」というが、それはあくまで表向き。
アメリカの国益に沿って日本を動かすためには、日本という不可解な異教徒・異人種・異文明の国の内部にまで入り込んで、深く研究し、知り尽くす必要がある。
そういう目的で「日本担当官」として養成された人々です。彼らが、CFR、日米欧三極委員会、ホワイトハウス、国務省などの尖兵として、対日政策に関与する。
上で名前を挙げた人たちに、リチャード・アーミテージを加えたメンバーを指して「ジャパン・ハンドラーズ」と名づけたのは、たしか副島隆彦氏が最初だと思います。
この「日本操縦者」という概念は以来、日米関係の本質を理解する上で欠かせないものになりつつある。小泉進次郎は彼らが後見人となって一から育てた人物と言える。
あと、横須賀が地盤のヤクザ小泉家が重宝された理由。
それも戦後の闇に関わる。アメリカは日本を占領する上で、首都東京をいつでも軍事的に制圧可能な要衝を探して、押さえることにした。そのポイントが二つ。
一つは、首都の制空権を担っている横田基地です。
そしてもう一つが、制海権を担っている横須賀港です。
横須賀とは何なのか? それは東京湾の入り口です。だから、入り口を封鎖したら首都圏の3千万人の日本人が干上がる。人質に取っているとも言える。
だから、アメリカにとって、横須賀が重要なのであり、第7艦隊の母港であり、そして手下の日本人をお守り役として置いているわけです。
「GHQ 2.0」の裾野は広い。与野党政治家、マスメディア、宗教団体、地検特捜部、ヤクザ、右翼団体、財団・シンクタンクなど、あらゆる存在が傘下にいるのです。
そういう戦後構造の下で、今、ワイドショーや文芸春秋がしきりと「進次郎アゲ」をやっている。小泉進次郎こそ初のジャパン・ハンドラーズ産の“現地人出身総督”なのです。
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