みなさん、こんにちは。
私は個人的に京都アニメーションを放火して大量殺人をやった青葉真司容疑者(41)は死刑ですら生ぬるいと思っていますが、私のような第三者が、遺族・同僚の方々の頭越しに軽々しく主張してよいことではないのも確かです。
事件以来、私が気になっているのが「刑法第39条」のことです。
ウィキペディアの「刑法第39条」を抜粋します(*赤字は私)。
1.心神喪失者の行為は、罰しない。
2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
本条は、心神喪失者及び心神耗弱者の責任能力に関する規定である。
行為者に責任能力がない場合には、行為者が違法行為をしたことについて非難することが出来ず、責任が認められないがゆえに犯罪は成立しない。ゆえに本条1項が、「心神喪失者の行為は、罰しない」と定めることによって、責任能力が欠ける責任無能力者についての行為に犯罪が成立しないことを明らかにし、同2項が「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」と定めることにより、責任能力があるものの、その能力が著しく低い場合には、それに応じた刑の軽減が必要的にされるべき旨を明らかにする。
責任能力の内容に関して、生物学的要素によってこれを規定するという考え方(生物学的方法)と、心理学的要素によって規定するとする考え方(心理学的方法)及び両者を併用する考え方があるが、我が国における判例通説は、混合説を採る。
どうも青葉はこの「2項」の減軽対象になりそうな気配です。
しかしながら、私は法律の専門家ではないですが、そもそも「責任能力がないから犯罪は成立しない」って考え方自体がおかしくないですか?
いつも司法の場でクドクドと「当人の責任能力の有無」を焦点にして調べる行為をやっていますが、そんなものは時間と労力の無駄としか思えません。
無茶苦茶な凶行に及ぶ人間など、元来、正常ではありえないのですから。
とくに精神面はともかく、社会的には100%異常と断言してもよいでしょう。
世の中には、己の快楽のために薬物を濫用して、勝手にキチガイになって、被害妄想に捕らわれて、それで殺人をやらかす者も実在するわけです。
伝聞ですが、「刑法第39条」はそんな者を不起訴にしてきたらしい。
責任能力があろうがなかろうが、やった行為があって、やられた被害者がいる・・裁く上でそれで十分ではないでしょうか。
なんでいちいち犯罪者の心神状態に気を配ってやらねばならんのか?
こんな法律は悪法だと思います。今すぐに廃止してほしい。
心神喪失者とは「動物と同じレベルの存在」なのか?
ちなみに、「刑法第39条」で検索して、二番目に出てきたのが下の論文です。
引用させていただきます(*赤字・改行は私)。
【論文要旨】
心神喪失者の不処罰および心神耗弱者の減刑を規定した刑法39条は,精神障害者を一般の者と同様には罰せず,保護しようとする条文として通常理解され,明治期以降今日に至るまで,刑法の中に確固たる位置を占めてきた。
しかし,近年の様々な凶悪犯罪に対する厳罰化の流れの中で,たとえ精神障害者であっても,法に触れる行為を行った場合には,一般の者と同様に処罰すべき,との声が上がるようになっている。
一方,精神障害者の主体性を尊重すべきとする立場の中にも,精神障害者の「責任能力」を一般の者と同等には扱わない刑法39条は,差別的な条文である,として疑問視する声が存在する。
しかし,両者の声の背景には共通して,刑事裁判における「責任能力」や,「精神障害と責任能力との関係」,そして,その判断にかかわる「精神鑑定」,あるいは触法精神障害者のその後の処遇や再犯の危険性をめぐる問題,等に対する疑念や批判が存在する。(中略)
近代刑法は「自由意志や善悪を弁識する理性を持つ人間像」を前提としているが,刑法39条の規定は,精神障害者を異質の者,不完全な者とみなして特別視し,法や社会から排除する差別的な条文である,という指摘である 9。
また,様々な地域や文化に古くからみられる「乱心者免責」の制度の根底には,人々の乱心老に対する「憐欄と差別」があり,「二級市民特別枠」とみなすべき条文である,との指摘もある 10。
これらの理解に従えば,刑法39条は,精神障害老の主体性を認めず,法や社会から排除する差別的な条文であるとも捉えられる。
9 これらの主張の代表的なものとしては,佐藤直樹『刑法39条はもういらない』青弓社,2006年や,芹沢一也『狂気と犯罪』講談社,2005年,等が挙げられる。
10 井原祐「精神鑑定と刑法39条の濫用」(中谷陽二編『責任能力の現在』金剛出版,2009年所収)41~61頁。
はっきり言って、私は頭が良くないので、こういう難しい論文は苦手なんですね。
ただ、下のほうに、よい情報がある。
「心神喪失者を罰しない」という明治期における制定の背景には、そもそも精神障害者を一般の人間とは見なさない昔の差別的な見方が背景にあるのではないかという指摘です。そういえば、こういう人間観が昔の日本には確かにありました。
ヒグマが人間を襲って食べる事件がありますが、動物が人間に対して何をやっても、真面目に「責任能力」なんか問わないし、刑法で罰したりしませんよね。
要するに、刑法39条は、「心神喪失者なんて動物と同じ」と暗に認定しているのと同じではないでしょうか。換言すれば「おまえは人間ではない」という烙印と同じ。
つまり、同条支持者は、いかにも人権擁護の観点から申している風でいて、本当は心神喪失者を同じ人間と見なさない古い思想に賛同しているのかもしれない。
彼が「同じ人間」だと言うなら、同じ法に基づいて、同じように罰するべきではないでしょうか。それが心神喪失者を「人間として扱う」ということではないでしょうか。
さて、京アニ放火事件ですが、青葉真司は2012年の強盗犯罪後、服役中又は後に、統合失調症と判断され、精神障害者手帳を交付されたという情報がある。
青葉の犯行は非常に計画的で用意周到のため、1項の「心神喪失者」とは認められないが、2項の「心神耗弱者」と認められ、減刑される可能性なら大いにあります。
馬鹿馬鹿しい。そんな「逃げ」を許すべきではない。
刑法第39条なんて悪法は、みんなが声を上げて、廃止しましょう。
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