世界がEVシフトに向けて動き始めた今、量産型EV「モデル3」が大ヒット中のテスラCEOのイーロン・マスク氏といえば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いです。
彼の直線的な発言はしばしば物議をかもしています。
私から見ると、彼は「正しい事」と「間違った事」の二つを言っている。
正しい事というのは、「水素社会なんか来ない」とか、「燃料電池車なんて普及するはずがない」といった発言です。間違っているほうは、次回に取り上げます。
燃料電池車については、いち早く市場投入したトヨタが先行しています。しかし、同車の特許5680件を無償で公開したにも関わらず、各国・各メーカーの食いつきは悪い。ここまで大盤振る舞いしても駄目な時点で、もう勝敗は付いていると思います。
よくマスコミは「究極のエコカー」などと表現する。
しかし、水素を製造して、圧縮して、水素ステーションまで輸送して、自動車の燃料電池に投入して発電するというのは、エネルギーの利用効率としてどうなのか。
水素ステーションも、安くて1億円の建設費がかかるそうです。
だから、いかにトヨタと経済産業省と化石燃料業界が組んで牽引しようが、燃料電池車(FCV)の普及に関しては、ほとんど絶望的だと思います。
対して、EVは急速に普及します。2020年には、中国だけで、新車販売におけるEV・PHVの割合が12%と定められています。中国の年間新車販売数は今や2500万くらいですから、12%というと、台数にすると300万台です。その後もどんどん割合が引き上げられていきます。繰り返しますが、中国市場だけでこれ。
EVバッテリーの劣化問題や充電時間問題を気にしなくていい理由
バッテリー問題については次回に触れますが、とりあえず、巷間でよく言われる「劣化問題」は気にする必要はない。それは初代リーフの話。今はコレ(↓)が現実。
「充電時間ガー」というのも、やはり次回に触れますが、急速充電器が普及したら、そんなことは、あまり気にしなくていい。
ガソリンの給油と同じ感覚で考えるから、おかしいのです。給油中はその場にいなければならない。しかし、充電はそうではありません。
ガソリン車はステーションの給油機の前に「駐車し放っし」にしておくことはできませんが、EVならば、仮に充電時間に30分かかるとしても、その間に食事をしたり、買い物したりすることができます。「ながら充電」ですね。
だから、ついガソリン車のいつもの常識で判断してしまうが、これは色眼鏡をかけてモノを見るようなもので、他の用事が平行してできるなら、充電時間はゼロと同じです。
ショッピングセンターの駐車場などでは非接触式の充電器も登場している。給油とは違い、そこにじっとしていなければならないわけではないんです。
急速充電器の設置は比較的コストが安い。kwhあたりに充電量として数円上乗せ、一日10台程度の利用を見込んだだけでも、日収は千円前後。すると、5年前後で償却することが可能になる。飲料の自販機同様、隙間設備ですから、新規の土地も不要。
とりあえず、燃料電池車普及のための国策の後押しは止めるべきです。
必ず税金の無駄に終わる。この点ではトヨタも負けを認めなければならない。
そして、これはずっと前にも記したことですが、燃料電池は、もし用いるとしたら、自動車ではなく、機関車や定期船などにすべきです。
この種の交通機関は需要が決まっていて、コントロールし易い。そこに石炭産業などからの副生水素のみを投入する。水素の製造そのものにエネルギーを使うべきではありません。あと、どうしても自動車に用いるなら、大型トラック用を考えるべきです。
燃料電池車・水素社会・R水素にはすべて構造的欠陥がある
さて、私は、水素社会や燃料電池車の見通しについては、イーロン・マスク氏とほとんど同意見なんですね。ただ、私はガス源の「定置用」の普及には賛成です。
というと、後だしジャンケンみたいですが、私はイーロン・マスク氏の発言が日本に伝わってくる以前から、彼とほとんど同じことを言っていました。
そのことを改めて書き記しておきたいと思います。
水素エネルギー社会は夢で終わる(その1)――燃料電池車への疑問
(前略)「水素の生産から流通に至るインフラ網を構築し、自動車をはじめとする需要家のエネルギー源とする」という構想だ。たいへん多くの方がこれを真剣に主張しているが、私の考えでは、社会として明白に誤った選択である。少なくとも、人間が合理的な選択をする生き物であるならば、このような未来はありえないと思う。なぜなら、水素で自動車を走らせようという発想自体が、そもそもの間違いだからだ。(略)
「そんなに燃料電池が素晴らしいのなら…」ということで、うっかり「燃料電池車」まで素晴らしいものと錯覚しないように注意しなければならない。今なお多くの人が犯している過ちであるが、同じ燃料電池といっても「定置用」と「移動体用」は、完全に分けて考える必要がある。なぜなら、後者の場合、使い勝手が極端に悪化し、社会にいらぬ負担を強いるからである。その理由を以下に説明しよう。(続きは以下から)
水素エネルギー社会は夢で終わる(その2)――「政治的なエネルギー」か?
水素エネルギー社会はある重大な問題を抱えている。(略)
実は、資金的な問題以前に、そもそも全国的な水素の供給インフラを本当に作れるのかどうかさえ、未だよく分からないのである。
たとえば、自動車需要をはじめとする大規模なニーズに応えるためには、同じく大規模な生産が不可欠だが、その方法が未だ不明だ。エネルギーの利用効率からいって、水の電気分解に問題があることは言うまでもない。「そのために使う電力があるなら、最初から自動車を走らせるエネルギーとして使えばいいではないか」という論理が成立するからだ。だとしたら、妥当な水素の生産方法といえば「副産物利用」しかなくなる。
実は、官僚や企業家などの現実的な水素エネルギー論者が一番あてにしている供給源が、製鉄会社のコークス炉と、将来的な石炭ガス化施設である。つまり、石炭なのだ。
周知の通り、石炭は他の資源に比べれば長持ちするものの、しょせんは化石燃料だ。炭化水素からの改質によって取り出す水素は、持続不可能エネルギーと言わざるをえない。
対して、電力の場合は、発電源を化石エネルギーから徐々に自然エネルギーに切り替えていくことによって、持続可能化できる。(略)
このように、水素の生産・貯蔵・運搬に関しては、いずれの方法も問題を有している。
では、仮に上のような水素インフラの構築が可能になったとして、改めて「燃料電池車と水素インフラ」と「EVと電力インフラ」を比較してみると、総合的に見てどちらが優れた選択だろうか。答えは、まったく考えるまでもないのだが、一応記しておく・・・(続きは以下から)。
水素エネルギー社会は夢で終わる(その3)――R水素はコンセプト倒れとなる
水素エネルギー論者の中には、水素こそ持続可能なエネルギーシステムの核となりうると考える人が少なくない。水素は地球圏にほとんど存在しないが、原料が水であるため、無尽蔵に存在するに等しい。しかも、直接燃やしても、燃料電池に投入しても、どちらにしても酸素と化合するために、排出されるのは水だけであり、環境を汚染しない。
この点に着目した海外の学者が唱え、世界中の環境主義者に広まったのが、再生可能renewableという意味での「R水素」という概念である。(略)
われわれ需要家にとって、電気というのは必要な時に必要な量がなければ意味がない。ところが、太陽光や風力は気まぐれに発電するため、そのニーズに十分に応えることができない。よって、自然エネルギーで作った電力をいったん「水素」に転換しておけば、エネルギーの保存と電力の需給調節、他の目的での使用等が可能になるというわけだ。(略)
ところが、この考えにはある重大な思い違いというか、はっきり言えば「無知」が存在している。そして、不可解なことに、私の知る限り、今までそれをはっきりと指摘した専門家は誰もいない・・・(続きは以下から)。
(次回はイーロン・マスク発言の「間違った部分」について取り上げます)
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