加計学園 何が問題か 本質をズバリ解説【4・結論編後半】

オピニオン・提言系




さて、「加計学園問題シリーズ」のラスト。

先行記事は以下です。

この件の世論も急速に盛り下がってきたようですね。それは当サイトの記事のアクセス数にも明確に現れています。

はっきり言って、加計学園記事は全然関心を持たれていない。

大衆はやっぱり賢い。この件を直感的に見抜いている。

「針小棒大」(しんしょうぼうだい)

「大山鳴動して鼠一匹」(たいざんめいどう・ねずみいっぴき)

ま、そんなところですね。だから、この騒動にうんざりし始めている。

私も時間の無駄だったが、とりあえず始めたことは終わらせておきたい。



公益の観点から「萩生田修正」は正当だったか

京都産業大学を欠格にした「萩生田修正」の内容については【1・選考における疑惑】としてまとめた。これは文字通り、公表された文科省の内部文書の中でも「焦点」とされた部分だ。前川元事務次官も、この部分はとくに強調している。

修正された箇所

繰り返しになるが、元の文面は、以下だった。

(前略)全国的見地から、現在、獣医師系養成大学等のない地域において獣医学部の新設を可能とする認めるため、関係制度の改正を直ちに行う。

それを、萩生田光一官房副長官が次のように修正指示した(赤字部分)。

(前略)全国的見地から、現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限りおいて獣医学部の新設を可能とする認めるため、関係制度の改正を直ちに行う。

これで京都が落選したから、「疑惑のポイント」として脚光を浴びた。

ところが、いくら読んだところで、この文面からは「私情・私利私欲」のニュアンスは見出せない。公益の観点から見て、至極妥当な判断と言わざるをえない。

現時点で、広域的に獣医師系学部の存在しない地域を優先的に新設の対象とすることは、おかしくも何ともない。私だってそうする。当たり前の戦略である。

言ったように、私個人は安倍政権の縁故主義を疑っている。

萩生田氏の本音(*推測)

(いやあ、加計理事長には私も世話になってきたし、総理も「早く決めちゃいなよ」とせかしているから、今回は京都に泣いてもらわないといかんなあ・・)

萩生田氏の建前

「全国的見地からして、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り、獣医学部の新設を可能とするべきではないか、キリッ」

たぶん、真相はこんなところではないかと、私は邪推している。

ところが、真の動機や本心がどうであれ、公益の建前を崩していない以上は、私情裁定と決め付けることはできない。だから「萩生田修正」は妥当なのだ。

しかも、文科省が作成した想定問答集の中で、同省自ら追加条件の正当化のロジックをこんなふうに捻っている。

つまり、「水際対策を行うに当たり、広域的に獣医学部が存在しない地域には必要ではないか」という観点を、自身で提起しているのである。

まあ、事務方だから、無理やりでも政治側に合わせなければならないのだろうが、それでもその不自然さを感じさせないほど、一定の説得力がありはしないか。

 新設は加計学園でよかったのか?

四国に獣医学部を新設すること自体は公益に叶うとして、では「加計学園で本当によかったのか、他大学では対応できなかったのか」という主張がある。

実は、私もこれは疑問に思った。というのも、獣医学部を持つ既存の大学を見てみると(記事)、どれも農学・畜産・生物学と関連して併設されている。

また、先述したが、私は加計グループに対して、学校ビジネスをしているという印象を持っている。しかも、理事長は巧妙に政界に食い込み、利用する術を心得ている政商というイメージでもある。あくまで私の主観であるが・・。

もちろん、こういう学校法人は少なくない。オーナー家が「遊園地か、それとも大学か、どちらが儲かるか」と考えて後者をとった(という噂の)大阪芸術大学もそうだ(ただし個性的な人材を輩出してきたので、最近はすっかり侮れなくなったが・・)。

だが、そもそも四国内では、加計学園しか新設に手を挙げていないのだから、仕方がないではないか。前川氏は「加計学園が妥当な解決策なのか?」と言っているが、じゃあ文科省が愛媛大学なり何なりを選んで話を進めていればよかったのではないか。

最初から新設する気がないのだから、これは無いものねだりに等しい。

また、加計学園は過去に15回も申請し続け、十年以上も待ち続けた実績があるので、その点は四国内での選定において情状酌量があってもおかしくはない。

まあ、今回の件で、全国的な注目を集めてしまったので、否が応でもキチッとした運営をやらざるをえないだろうと、前向きに思いたいが。

本件は「日本再興戦略・2015改訂版」で閣議決定された4条件を満たすのか

これは前川氏が提示している疑問。

この争点では、私は前川氏に軍配を上げる。前川氏が提示したのは以下。

  1. 現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し、
  2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり、
  3. かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、
  4. 近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。

私は、もともとこの文面を考えたのも役人であり、しかも文科省が関わっていて、本音では獣医学部を新設させないために事細かな条件を付けたのではないかと疑っているが、これはただの憶測である。しかし、たとえその推理が事実だったとしても、閣議決定した以上は政権側も拘束される。

今回の新設決定は、この閣議決定からは逸脱している可能性を感じる。

こういう政権側の一貫性の欠如を見ると、私も「縁故政治」であり「職権濫用」ではないかと感じる。「はじめに加計学園ありき」を疑わせるに足る傍証だ。

しかし、他方で、この4条件をクリアせねばならないとしたら、新設に漕ぎ着けるためにあと十年はかかること受け合いである。事実上の不可能化ルールかもしれない。

それで喫緊の課題に対応できるのだろうか。言ったように、私は四国に新設すること自体は公益に叶っていると信じる。ところが、その新設を阻むこの4条件もまた公益を条件化したものだ。だから、政権側が過去に自ら設定した条件を修正しなかったことで、変な「ねじれ」を生んでしまった。元役人の前川氏がここを突くのは当然だろう。

加計学園、その他の問題点について

A:国家戦略特区制度自体は妥当なのか。

B:そもそも「総理の意向」で何が悪いのか?

C:総理と事業者が友人だったら悪いのか?

この三点については、NPO法人フローレンスの駒崎弘樹氏の論考が参考になる。

加計学園問題騒ぎ 疑問の声まとめ 超必読の三名五記事の紹介
加計学園問題の第二弾です(第一弾はこちら) たまには人のふんどしで相撲を取らさせてください。 だいたい、加計学園問題は門外漢なので、私なんかがもともと無い知識や知恵を絞ったところで、ろくな記事にはならんわけですよ。 素人の感想程度のことを書...

まずAについて。

駒崎氏は福祉分野の規制撤廃やサービス向上のために、「国家戦略特区に5回提案して4回通った」こと、またその改革に際して厚労省の不合理な抵抗に合った体験などを述べ、民進党が「特区廃止法案」を提出したことに対して、制度自体は悪くないと弁護している。民進党は政争のために自身が掲げてきた政治主導すら否定したらしい。

次にBについて。

そもそも「国家戦略特別区域諮問会議」は安倍総理自身を議長とする規制突破・改革のツールであることから、彼は問題なしと言い切っている。

だから、「官邸の最高レベルが言って」いても何ら不思議はないこと。改革を渋る文科省を急かしても問題ないし、特定事業者ありきで話が進んでいたとしても、そもそも規制に挑む事業者は少ないので、そこも問題ありません。

まあ、総理が切り込み隊長をやらずに、岩盤規制突破なんかできるか、という話ですな。「意向ダメ」はリーダーに指導力を発揮するなと吹っかけているようなもの。

最後にCについて。

総理と人間関係があると特区提案ができなくなるとしたら、小泉進次郎議員が総理になったら、僕は特区提案ができなくなります。僕と言う人間は特に変わらないし、僕の提案内容も変わらないのに、総理大臣が違えば特区提案の資格を失う、というのは全くフェアではありません。

たしかに、安倍総理が加計孝太郎理事長と友人であること自体は無問題。過去に学園の役員をしていて、年間14万円の報酬を貰っていたのも、別に問題ではない。

しかし、その周辺も含めた「安倍軍団」として見た場合、「加計さんとは持ちつ持たれつだから、選んであげようじゃないか」という“縁故主義”があったのではないか。内輪では「はじめに加計学園ありき」という空気があったのではないか。

つまり、四国に獣医学部を新設するという公益の範囲内で、認可を急がせるなどの「縁故政治」を行い、加計一族の学校ビジネスに協力した側面はなかったか。

状況証拠から見て「怪しい」というのが私の印象。ただ、言ったように、これが証明されたとしても、「権限濫用」というイエローカード事案というのが私の考え。

加計学園問題のおわりに

見ての通り、この問題は複雑である。

だから、「白か黒か」「100%の悪か正義か」という単純な色分けには注意しなければならないし、「正 VS 不正」で論じている人には疑問を感じる。

こういう「どっちもどっち」みたいな結論を嫌がる人がいるのは承知している。しかし、事実、ある要素では前川氏らが「正」で安倍政権側が「不正」だが、別の要素ではその反対だったりするわけで、この現実はありのままに認めなければならない。

つまり、これは「正 VS 正」「不正 VS 不正」の対立構造である。

それを無理やり「正 VS 不正」の構造に持っていこうとすることのほうが、よほど真実にとって有害である。だいたい二種類の人間がこういう構造に飛びつく。

一つは、複雑な物事を極度に単純化しないと理解できない人たち。それがたとえ主観的な真実であっても、本人的には納得感を得て心理的に着地することができる。

もう一つは、何らかの政治的意図を持つ者。こっちは厄介。

なにしろ、もともと結論は決まっている。だが、政治的・イデオロギー的な立場にたつと、人間は必ず都合の悪い事実は黙殺するか、過小評価するようになる。

周知のように、今回の議論には両サイドにそういう人たちがいる。

偉そうに言ったが、実は、私も陥りやすい罠だ。そして、事の本質や真実を二の次とした政治的な議論の横行を見ると、多くの人も例外ではないことが分かる。

しかしながら、総合的に見ると、これは大騒ぎするほどの問題とも思えない。

冒頭で述べたように、鼠一匹レベルの不正に大山鳴動している感じだ。問題の内容に比して、騒動の大きさ、取り上げ方は、とてもフェアとは思えない。

この程度で安倍総理が巨悪なら、朝銀に数千億円をプレゼントした野中広務などは、百回縛り首にならなければおかしいのではないか。

そういうバランス感覚の無さが朝日新聞・野党ら糾弾側の異常性に思えてならない。

404 NOT FOUND | フリー座
By 山田高明 Takaaki Yamada

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