2020年五輪開催権の返上、今ならまだ間に合う

オピニオン・提言系




今、日本のあちこちで火山が相次いで噴火している。相模トラフと駿河トラフの重なる特異点上に富士・箱根山が位置しているように、噴火は地殻変動の一つの現れである。自然界はこうやって私たちにサインを送っている。前回の関東大震災から90年以上が経過した今、多くの人が「そろそろ来てもおかしくない」という予感を催している。

ところが、この期に政府は目先のイベントと景気対策に目が眩み、国を窮地に追いやりかねない戦略に突っ走ろうとしている。この状況には妙に既視感がある。旧陸軍の総力戦研究所が無残な敗戦になる結果を正確に予測していながら、東条英機らがそれを黙殺して太平洋戦争に突っ込んでいった過去である。もちろん、両者は全然次元の異なる出来事であり、やや乱暴な比較ではあるが、軌道修正しない限りピンチを招来するというストーリー自体はよく似ている。当然、それは早いほどいい――というより、今しかない。

今なら、開催までまだ5年の猶予がある。よって、開催権をIOCに返上したとしても、仕切り直しが可能だ。イスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)も立候補する気満々だろうし、決勝投票のやり直しが利く。ところが、開催の2~3年前になると、あまりに急なため他国も代替を引き受けることが困難となる。だから、今から数年後に関東大震災が発生した場合、事態は取り返しがつかなくなる。誰も代わりに開催してくれないから、復興と平行して開催するのか、それとも20年度の五輪自体を潰して世界中の選手とファンを失望させるのか――つまり開催するも地獄、しないも地獄という状況である。

それゆえ「今」が運命の分かれ道なのである。

思えば、東京五輪開催が決まってからというもの、まず立役者の猪瀬知事が政治醜聞で失脚し、次に新国立競技場問題が起こり、最後にエンブレム盗作問題が起こった。個別の事件でありながら、どの事件も日本社会の構造的腐敗を象徴している点が興味深い。このようにハレの門出に三度もケチがついた格好である。これは明らかに凶兆である。

私はたいへん迷信深い人間なので、あえて皆さんがドン引きするようなことを平気で言うが、これは日本の神々とご先祖様からの警告ではないだろうか。天はこういう形でなんとか愚かなわれわれに気づかせようとしているのである。

今こそ政権の英断が待たれる。古来、前進するばかりが将の采配ではない。「動かない」「ただひたすら備える」こともまたクニにとって大事な決断である。そして間違った方向に動いてしまったとしても、形勢不利を嗅ぎ取れば、すばやく撤退し、損害を最小限に食い止めることも、名将の器である。「戦略的撤退」は決して敗北ではない。だが、震災被害が想定以上となり、追い込まれる格好で返上する形――代わりに引き受けてくれる国があるとして――になれば、それは敗北といえる。

ただし、日本では総理大臣がそこまでの独断力を発揮すると、かえって「独裁」と批判されかねないから、まずは党内・政界の世論を喚起する必要がある。それから最終決断を総理に迫る形が理想だと思われる。ただし、時間的余裕は少ない。せいぜい年内が限界と考えるべきだ。だから戦略ミスだと危機感を覚えた政治家は今すぐ声を大にしてほしい。

そして、東京五輪に投じる熱意を、そのまま防災に投じる。神宮の更地は事態が収束するまで臨時の防災拠点とする。少しでも大難を小難に抑える。

このような日本の自主返上は、世界から驚きをもって迎えられると同時に、むしろ「英断」と賞賛されるのではないだろうか。世界の日本評だけでなく、政権の支持率も、株価も、かえって上がるような気がするのである。

2015年10月04日「アゴラ」掲載

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