なぜ「第四の権力」とその背後の支配者は国家を嫌うのか?

オピニオン・提言系
フリーメイソンの大会 出典:Sky1's Inside the Freemasons




この記事は前回の続きである。

さて、前回は「第四の権力の飼い犬になれば膨大な利権が転がり込む」という話をしたが、今回は「なぜそのようなことが起きるのか」という、背後の仕組みの説明である。

ここからが本当に重要な話になる。そして室井某とは何の関係もない。

私は先般、「日本の国家権力の犬」に対して、「中国や北朝鮮の国家権力の犬」も存在しており、同じ犬でも後者のほうがはるかに罪が重い、という話をした。

そして前回、「第四の権力の犬」という概念も説明した。しかも、彼らの背後には別の強大なパワーも控えている。

私たちはつい国内だけを見て、「国家権力VS反体制派」の二極対立構造だと思ってしまう。しかし、見ての通り、実態はもっと複雑である。



実際は国家権力よりも「第四の権力」のほうが強い

一般に、私たちは国内しか見えていないので、国家権力を徹底的に批判する「第四の権力」とその飼い犬たちを見て、つい「多大なリスクを犯しながらも正義のために強大な国家権力と戦っていらっしゃるのだなあ」などと、感心までしてしまう。

たしかに「戦前」ならその見方も通ったかもしれないが、戦後の日本はある勢力の支配下に入ったので、そのような見方はほとんどのケースで的外れである。

実際、総理大臣を酷い表現で誹謗中傷するマスコミ人・知識人が多いが、彼らは依然としてテレビに出ているし、大学教授などの地位に居座り続けている。

どれだけ国家権力と対立しても、彼らが社会的地位を追われる様子は一向にない。彼らも内心でそれを分かっているから、安心してやりたい放題やっているのだ。

安倍政権が本物の独裁政権なら、彼らはとっくに刑務所に入っているだろう。

現実には、「第四の権力」のほうがはるかに強大なのだ。なぜなら、事実上、ある個人を生かすも殺すも思いのままである。どんな権力者であれ、その社会的生命を断つことができる。つまり、人々に対する生殺与奪の権限を握っている。

ところが、今の安倍政権に代表される国家権力はどうか。安倍晋三氏は決して専制君主や独裁者ではないし、人々には彼を批判・誹謗する自由まである。しかも、選挙という洗礼を受けねばならない。“権力者”などといったところで、しょせんは回転ドアに一時期留まっているだけの人物にすぎない。総理以下もおしなべて同様。

では、逮捕権限をもつ警察はどうかというと、たしかに冤罪事件も起こっているが、決して好き勝手に市民を逮捕できるわけではない。法に基づかないことは一切できないし、学校時代から警察官はそれを叩き込まれる。だいたいそんなことをすれば、まさに「第四の権力」から総攻撃を受ける事態を覚悟しなければならない。

単純な話、国家権力者がいかに強大といっても、マスメディアはその人物を社会的に葬れるのだから、事実上、彼らのほうが上の力を有すると考えて差し支えない。

リベラル的価値観を世界に広めてきたロックフェラー財団とその源流

そして、ここからがポイントなのだが、なんでニューヨーク・タイムズや朝日新聞など、一国を代表しているともいえるクオリティ・ペーパーがこうもリベラル的ないしは反体制的なのかというと、本当は彼らが「超国家」サイドの媒体だからである。

国家権力は決して本質的に弱いわけではない。しかし、相対的には弱いのである、影にある世界的な権力と比べれば。

世にも奇怪な事実だが、いわゆる左派的・リベラル的価値観の源流をたどっていくと、なんとロックフェラー財団やカーネギー財団に行き着く。コスモポリタニズム、フェミニズム、環境保護の思想などもそうである。彼らがその種の地球市民的――決して悪い意味で言っているのではなく本来の意味――価値観を広めている当事者だ。

今からちょうど300年前の1717年、イギリスに近代フリーメイソンが誕生した。フリーメイソンをめぐる言論については、いわゆる陰謀論者がデタラメなことを吹聴し、それを戒める否定派も同じくらいデタラメなことを吹聴するという、嘆かわしい状況にある。フリーメイソン自身も「私たちはロータリークラブみたいなもので何の力もありません」などと嘘をついているので、たしかに真相は分かり辛い。

で、そのフリーメイソンもまた影に位置する勢力にとって「一つの顔」であり、道具にすぎないから、ますます真実が隠蔽されてしまう。しかも、彼らにとって、もはやフリーメイソンは使い古した衣服で、それほど重要な組織ではない(だから公開した)。

彼らの理念を一言で説明するなら、ヴァージニア権利章典やフランス人権宣言のバックボーンとなった思想そのものである。つまり、私たちの近代社会の基盤となる理念を創造したのが彼らとも言える。重要なことは、彼らの最終目標は「すべての国家を廃止し、世界政府に併呑して、唯一の世界国家を創造する」ということだ。

このような理念には、ヨーロッパにおいて1500年にわたり時の国家体制から酷く虐待され続けてきたユダヤ民族の生存戦略と願望も込められている。近代フリーメイソンの設立には、当時、錬金術師と言われたユダヤの宗教学者が深く関わっている。

ロスチャイルド家の原点 フランクフルト・ゲットー
今日、ロスチャイルド、シフ、オッペンハイマー、ゴールドスミスといえば、世界に冠たる金融資本家・企業家・大財閥として知られています。 実は彼らは皆、同じ地域、というか場所の出身でした。 それがフランクフルトのゲットーです。 フランクフルト・ゲ

(参考記事)

「人を価値観で動かし、道具として使う」という、もっとも巧妙な方法

民主化はそのための方便でもあるが、だからといって、彼らが決して間違った理念を広めてきたわけではない。むしろ、正しいし、それゆえ世界に伝播していった。

その思想の力を、本当は自分たちが世界を支配する道具として使おうとしていることが問題なのだ。欧米上層部の理想主義者たちも、大半はうまく使われている格好だ。

これはちょうど、イエスの教えと現実のカトリック教会の関係に似ている。美しい、正しい教えを、自分たちが人々を支配し、権勢を拡大する手段として用いる・・まさかこれと同じことが今も形を変えて行われているとは、使われている側も想像すらできない。

「彼ら」的には、遅かれ早かれ、地球上の独裁国家はすべて潰さなければならない。専制君主は打倒しなければならない。実際にフランス革命の頃からえんえんとそれをやってきた。そして「民主化」して、以後「国家権力」を永久に鎖に繋いでおく。

常に国内が政治的に分裂するように仕向けるのは、専制君主の台頭や体制の独裁化を防ぐ狙いもあるが、それ以上に国家が一枚岩にならないようにすること自体が目的だ。あくまで戦争に利用する時にだけ、ごく一時的にそれが許されるに過ぎない。

その役割を担っているのが、自由主義国家の市民社会における左派ないしリベラル派、また同様の主張をする大手メディアなのである。

むろん、使われている側は、基本的に自分が正しいと信じているからやっている。しばしば組織から強制されたり、報酬に釣られたりする者もいるが、それは本質ではない。

だが、なにゆえ自分はそう信じているのか、と問うべきだ。その「考え」はどこからやって来たのか。自分の信念だと信じてやまないものが、実は他者から植え付けられたものではないという保証はあるのか。「社会で生きていくうちに自然に身に付いた」としても、誰がそれを広めたのか・・。すると、必然的に理念の創造者たちに行き着く。

「彼ら」は、「人を道具としてもっともうまく使うにはどうしたらよいか」というノウハウを昔から心得ている。それは「本人が自主的にそうしたくなるように仕向ける」ことだ。そして人は、それが正しいと信ずる時、もっとも自主的に行動する生き物だ。

むろん、その上でお金も入ってくるなら、本人的にはもっといいに違いない。

はっきり言って、ある信念を権力で強制する、あからさまに洗脳する、というのは、下策なのである。そういう意味で中国やロシアは洗練されていない。

本当に賢い者たちは、あくまで静かに、そうと分からないように巧妙にやる。

本当は世界的権力と国家権力の衝突

だから、影の政府にとって、人々に「考え」を植え付けるメディアとアカデミズムのコントロールは、支配のための重要な仕事になっている。

ただし、その影の権力は、(何度も言ってきたが)決して全世界を支配しているわけではない。常に、彼らが敵視するナショナルな勢力によって抵抗を受け続けてきた。目下、最大の抵抗勢力がプーチン・ロシアであり、共産中国がそれに次いでいる。

だから「世界権力」といっても、実態は「この世でもっともパワーのある勢力」であり、それと「国家」という辺境の独立勢力が衝突している構図でもある。

日本の言論シーンで起こっていることは、その縮図である。

便宜上、それを中央権力と考えると分かり易い。これは、「中央集権と地方政府」とか、「ナショナルとインターナショナル」というふうに、人類の歴史では常に見られてきた、ある意味、人間の本性に由来する普遍的な勢力争いと見なすこともできる。

もっと簡単にいえば、人間の大集団と小集団との間で常に起きる政治的対立である。

そういうわけで、民主国家の大資本系メディアのバックには、世界中央権力がひかえ、常に地方権力(=私たちのいう国家権力)をけん制している構図がある。もちろん、自分たちに忠実なら、彼らはその地方権力(者)を適度に可愛がり、利権を与える。

だから、ある国がナショナリズムに傾くと、それを主導する政治家は殺人的なバッシングにさらされることになる。また、反体制的知識人や著名人は、中央権力から間接的に後押しを受けているから、恐れることなくアンチ国家権力でいることができる。彼らの影響力も利権も、「国家権力の飼い犬」には決して引けをとらない。おそらく、彼ら自身はなんで自分にこんなに利権がまわってくるのか、分からないに違いない。

ここに外部の地方権力(中国や北朝鮮など)も関わってくるから益々ややこしい。

中央権力は、念の入ったことに、時には政界だけでなく、メディア同士をプロレスさせることで、国家の政治的社会的分裂を強化し、かつ「両極支配」――人々を二元対立の概念の檻に閉じ込めてしまう――をも不動のものとする。統治術の一つだ。

仮に、いかにもな保守派、いかにもな左派、という人を見かけたら、そういう極の磁力にうまく整列させられている人だと思っても差し支えない。

すべては「世界の統一支配」という「彼ら」の壮大な計画の一環なのである。

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