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オウム真理教「呪縛力」の秘密――言いたくはないが「正しい部分」もあったのでは?

NHKの再現ドキュメントより

みなさん、こんにちは。

つい先日、オウム真理教の死刑囚が全員、始末されました。

これに対して抗議や反発の声は大きい。

一つは、オウムにこだわらず、死刑制度そのものに反対する声。

もう一つは、死刑制度の是非はともかく、今回の措置が拙速であるとするもの(この人たちの大半も死刑制度反対派でしょうが)。

私個人のスタンスを言えば、死刑制度と今回の措置には複雑ながらも賛成です。

しかし、後者を声高に訴える「オウム事件真相究明の会」というものが立ち上がった。

森達也、青木理、雨宮処凛、香山リカ、鈴木邦男、想田和弘、佐高信などを呼びかけ人として急きょ結成された団体です(*敬称略)。

ただし、誰とは言いませんが、記者会見等での発言から、ろくに裁判記録も読まずに真相究明を主張している者もいるのではないかという批判が上がっている。

彼らがどういう意味で「真相究明」と主張しているのかはともかく、実は私も隠されている真相があるとは感じている。ただし、彼らとは「次元」が異なると思うが。

なにしろ、今頃「なぜあんな優秀な理系の若者が入信したのか?」という問いを繰り返している者もいる。社会に対して「真相究明」を訴えかける者がこれでは、知的怠慢か、目立ちたがり屋の謗りは免れない。ただし、一般の人々なら、依然として「なぜ彼らが麻原ごとき俗物に騙されたのか?」という疑問を感じていても不思議ではない。

素人ならばそういうループも仕方がないし、許されます。ただ、安倍政権や裁判を非難してまで「真相究明」を訴える者がそれでは資格を疑われるということです。



理系の優秀な信者だった故・広瀬健一に関する記事

そういう疑問を持つ人にうってつけの記事がある。それがこれ。

宇佐美典也「元オウム真理教信者、広瀬健一死刑囚の手記について」

この記事を読めば、求める答えの大半は得られるはずです。

宇佐美氏が故・広瀬健一の手記を咀嚼して、一般の私たちにも分かり易いように伝えている。私も書き手だから分かるが、これはかなり手間のかかる仕事です。良記事なのに、今ひとつ評価が低い。「いいね数」は必ずしも記事の質を反映しない。

故・広瀬健一の手記自体は以下のお寺のサイトに掲載されているので、あくまで素の全文を読みたいという人はこちらを。

「オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記」

少し宇佐美氏の記事を引用させていただく。

(前略)広瀬死刑囚は1964年生まれで、早稲田大学の付属校から早稲田大学理工学部応用物理学科に進学し、同学部を首席で卒業し総代を務め、その後同大大学院に進学し超電導分野で研究成果を上げさらに大手電機企業への就職も決まっていました。

しかし、1988年3月にオウム真理教に入信、1989年に出家し、その後は教団武装化のキーマンとして自動小銃密造などに携わり、地下鉄サリン事件の実行犯として逮捕され、死刑判決を受けました。

まさに理系の雄です。

その彼がズバリ、次のように答えます(宇佐美氏の注入り)。

①なぜオウム 入信したのか、という点について

入信の原因は、麻原の書著を読んだところ、それに記載の宗教的経験(クンダリニーの覚醒*1)を伴った突然の宗教的回心*2)が起き、オウムの教義の世界観が現実として感じられるようになったことです。

*1: オウム真理教の教義上の概念で尾てい骨に眠っているとされるエネルギー

*2: 宗教精神学(Pastoral Psychology)では宗教的回心を経た回心者について「回心者は神学的体系や社会的システムの全体を無垢に受容する。自身の宗教的経験を検討し、疑う動機を奪われる。過度に、非理性的に強い信念を抱く」とする。

このように、当の信者たちがすでに入信の動機を語っているわけです。

今さら「なぜ優秀な理系の若者ガー」というような「真相」を指して、一活動家として社会に対して「究明」せよと訴えかけることが、いかに滑稽か分かります。

それはともかく、宇佐美氏の注が補完することにより、一般の人にも話の内容がかなり理解し易くなっている。私からすると、彼は注意深く「近代社会の常識側・学問側」に踏みとどまって、この観点からの説明を最大限試みようとしていると映る。それは社会に対する説得力のため、又彼個人の社会的立場からすると、当然のことだろう。

変性意識と神秘体験

ただ、私は陰謀論者でオカルティストなので気にする必要はない(笑)。

上のクンダリニーの覚醒自体は古くからあるヨガの手法の一つです。麻原はただ単にそれを流用しただけなのですが、故・広瀬の間違いはオウムそれ自体の真実性の証明と短絡してしまったことです。いずれにせよ、彼の場合、「宗教的な体験」によって、そのことも含めた麻原の著作の内容やオウムの教義の真実性が一段と増したらしい。

実は多くの宗教的な体験は「変性意識」の観点からも説明可能とされている。

たとえば、修行場を設けることによって信者を日常から切り離すだけでなく、食事制限、ヨガ・呼吸法、断眠、感覚遮断、音楽、時には薬物を使ってノーマルな意識さえも保てないようにする。その状態の時に、たとえば教祖の姿や写真を凝視させたり、テープで声を繰り返し聴かせたりすると、信者は教祖に関連した幻覚症状を体験します。

当人はその脳の誤作動を「リアル」や「奇跡」だと錯覚してしまうわけです。

もっと言えば、その奇跡現象は単なるトリックや手品でも演出可能なわけです。

そういう意味で、教団は神秘主義をウリにするだけでなく、やろうと思えば、実際に信者に“神秘”や“奇跡”を体験させることも不可能ではありません。

重要なことは、本人とって体験とは、主観的には常に真実であるということです。

麻原はもともとヨガ道場から出発しただけあって、ヒンドゥ教や仏教からパクってきた教義と共に、“修行”によるその種の宗教体験(神秘体験)を子供っぽいまでにダイレクトに押し出した。現代社会において、街の道場で、そこまで教義と実践とのバランスというか、粗い修行をさせてくれるところは中々見当たりません。

ヒンドゥ教や仏教の伝統的な教義を基盤に、麻原独自の嘘やプロパガンダ、終末思想などを巧妙に混ぜ込んだ上、こういった“真実”の宗教的体験をウリにすることで、オウムは耐性のない若者たちをズルズルと引き込んでいきました。

「なんで優秀な若者が」と言うが、近代社会の中で純粋培養されてきた人間ほど、こういった世界に接触した際の衝撃も大きく、常識も突き崩されやすいのではないか。

実は、変性意識や神秘体験は、私も体験として知っている部分はある。

たとえば、田舎にある修行場で二週間の断食をした際ですが、夜中に突然、ピアノの曲が聴こえてきたことがありました。それが大変美しい曲で、「誰が弾いているのだろう」と思いながら、私はずっと聞き惚れていました。「夜中に弾くとは非常識な」という訝りすらありましたから、当然、リアルな体験です。しかし、翌日知ったのですが、その場所には周辺も含め、そもそもピアノも音楽を発する機械も一切なかったのです。

また、別の機会では、瞑想中に眩しい閃光を見たこともありました。

眼球を圧迫した際に薄い光が網膜に残ることがありますが、そういうものとはまったく違っていて、緑がかった火花のような強烈な閃光です。瞑想中に現れるこの種の内部的な光は、文献にも記されており、私はそれを追体験したわけです。

オウムの信者の考えはすべて間違いなのか?

さて、以上は、あくまで「近代社会の常識側・学問側」に立って、その中にいる人々に向けて分かり易いように説明したものです。

ここで、引っくり返します。なにしろ、私は自称オカルティストです。

本当のことを言えば、それはそれで、またある種の“宗教”であり、そのせいで私たちは無用の苦労や悲劇を背負わされているというのが、私の本当の考えです。

たとえば、今の「常識」では、死後の世界も輪廻転生も存在しないということになっている。「オカルト」として片付けられている。本当にそうだろうか?

私はむしろその点に限って言えばオウムの信者のほうが正しく、否定する“科学的な”人々のほうが間違っていると考える。

オウムの教義や修行を全否定することは容易い。しかし、言ったように、根本にはヒンドゥ教や仏教の伝統教義を据えている。そこに麻原独自の嘘が混合されてはいるが、そういった「猛毒」部分を取り除いたところには「正しい部分」もあるのではないだろうか。そして、まさにその点が強い呪縛力を発揮したとは言えないだろうか。

それを理解しない限り、オウム問題の本質も分からずじまいだと思う。むしろ、全否定してしまう人こそオウムの信者を笑えないというのが私の考えです。

知的好奇心サイト「トカナ」に掲載された記事を紹介します。周知の通り、オウム真理教は「アレフ」と名前を変えて未だに多数の信者を抱えています。なぜ組織は潰れないのか。なぜアレフに魅了され続ける人が絶えないのか。なぜ信者の脱洗脳に失敗し続けている
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青山圭秀さんについては説明するまでもないと思います。日本においてサイババブームを巻き起こした方です。サイババさんもそうですが、「本物」や「真実」には中傷は付き物でもあります。サイババさんについては私も記事にしています(下・関連記事)。サイバ