高沢皓司「『オウムと北朝鮮』の闇を解いた 8」――麻原彰晃の右腕・早川紀代秀と北朝鮮の「闇の関係」

韓国・北朝鮮
(出典:1995年4月、筑紫哲也「ニュース23」)




ジャーナリスト高沢皓司氏の「『オウムと北朝鮮』の闇を解いた」第8弾です。

第一、これは大事な情報なので、もっと世間に広まるべき。

第二、様々なサイトに転載されてから、すでに15年以上も放置されている。

以上のことから、その公益性を鑑み、「著作権者の高沢氏からの抗議が来たらすぐにやめる」ことを条件にして、勝手ながら当サイトでも転載させてもらうことにしました。

(以下引用 *赤字強調は筆者)
「週刊現代 1999年10月16日号」高沢皓司(ノンフィクション作家)

ロシア経由でしばしば平壌入りしていた足跡を掴んだ

この連載の第6回で報じた北朝鮮の「潜入工作員」Bが、警視庁公安部に逮捕された。北朝鮮と関係の深い都内の病院から、突如、オウム真理教附属病院に転身した男・霜鳥隆二容疑者である。今後、当局によって、オウムと北の闇に光が当てられるのかますます話題騒然のスクープ・レポート第8弾。



ドイツ支部の「偽ドル」疑惑

衝撃的な証言がある。

「カネなんか、刷ればいくらでもある!」

オウム真理教の教祖・麻原彰晃が、教団内で資金源について話し合っているときに、突然、そう言い放ったというのである。

「’93年のはじめ頃だったと思います。なんと麻原は資金源の話をしている最中に、『これは秘密だが……』と前置きした上で、こう言ったのです。

『ドイツには精巧な印刷機がある。われわれが入手しているのは中古だが、それで印刷すれば、いくらでもカネはできる。(カネなんて)刷ればいいんだ』と。

早川(紀代秀)と村井(秀夫)が、そこにいました。偽札についての話は、このときが最初ではなく、このときには早川が動いて、実際に印刷機は手に入れていたようです。つまり、偽札作りは教団内部で、すでに実行段階に入っていた。動きはじめていたということです。麻原の言い方からして、まず間違いないでしょう。麻原は非常に用心深い性格ですから、中途半端な時には、そんなふうには決して言わない人間です」

この証言者はオウム真理教の元幹部で、刺殺された村井秀夫「オウム科学技術省」長官の側近のひとりである。私たちは、この証言を得て何度か実名での証言を打診したが、今回はその承諾を得られなかった。しかし、その証言内容はきわめて信憑性の高いものであると思われる。

つづけて証言を聞いてみよう。.

「偽札といっても日本円ではありません。では何だったのか。北朝鮮が偽造したとして有名になった、あの『スーパーK』だったのです。

つまりオウムは、この時期に、ドイツで早川が手配した精巧な中古の印刷機をつかって、北朝鮮の技術指導のもとに偽ドルを作っていたか、あるいは北朝鮮にドイツ製の印刷機を納入した見返りに、北朝鮮製の偽ドルを大量にもらっていた、ということです。

そもそも、オウム真理教のドイツ支部は早川らが積極的に動いて、’88年の12月に設立された海外支部のひとつですが、この支部に限ってはきわめて謎が多い。布教活動を活発に行っていたニューヨーク支部なとと違って、そうした布教活動などはいっさい行っていないのです。したがって信徒も、日本から派遣された者が二人ほどそこに住んでいただけです。何のための支部なのか、まったく分からない不思議な支部と教団内でも言われていました」

では、オウム真理教ドイツ支部とは、どのような役割を果たしていたのか。

ドイツ支部の初代支部長・野田成人は法皇官房の実質的トップを務めていた石川公一と同じく、教祖・麻原の子どもたちの家庭教師も務めていた麻原の側近中の側近、腹心のひとり。現在の教団内部でも指導的立場にある大幹部のひとりである。

「要するにドイツ支部を拠点にして、教団最高機密レベルの秘密ワークが行われていたのです」(前出の元幹部)

ここで登場する早川紀代秀は、オウム真理教で「建設省」長官をつとめ、ホーリーネームはティローパ正悟師。’90年10月、熊本県波野村のオウム教団による土地取得にからみ、教団弁護士・青山吉伸らとともに国土利用計画法違反の容疑などで逮捕されたこともある。また、北朝鮮との関係がもっとも深いと見られていた人物である。しかしこの早川は、これまで北朝鮮との関わりについては、いっさいなにも話しておらず、取り調べでもそのことについてだけは、いまも黙秘をつづけているといわれている。

「キエフ経由で北朝鮮に行っていた」

証言者は、その早川紀代秀の北朝鮮との関係についても重要な証言をしてくれた。

「ドイツ支部がそうした特殊な支部であった傍証は、ほかにもあります。それは彼の渡朝の事実です。早川自身は取り調べでも公判でもこのことはいっさい言っていないようですが、頻繁にウクライナの首都・キエフに行き、そこから北朝鮮に入っていたという事実です。ロシアと北朝鮮の国境地帯にある豆満江の経済特区についてもよく口にしていました。

豆満江という地名は、麻原を囲んで村井、早川、上祐(史浩)ら側近が集まった席でも何度も挙げられていました。ロシアから大量に買いつけた武器や戦車、薬物などを、ここから船で税関を通さずに日本まで密輸するための謀議だったと思います。いずれにせよ、早川が密命を帯びて北朝鮮に渡っていたことは間違いありません」

これは、オウム真理教の元幹部信者の口から出た、早川紀代秀の北朝鮮渡航についてのはじめての証言である。北朝鮮との関係について、さまざまな疑惑が語られてきた早川に、その具体的な誕言が教団内部からはじめて浮かび上がってきた。

さらに取材班は、この証言を検証する過程で、もうひとつの興味深い証言と遭遇した。偽ドル鑑別機の販売を手がける、日本の某商社の幹部社員の証言である。

「’92~’93年頃だったでしょうか。われわれもドイツのミュンヘンで、紙幣の印刷が可能な高性能印刷機の取引が行われたという事実は確かに把握しています。取引された機械は2台で、ひとつは新品で、もうひとつは中古品でした。このとき新品を購入したのが北朝鮮系の商社で、もう一台の中古品の方がオウムです。

当時、ミュンヘン市内で、その北朝鮮系の商社とオウムの両者が、すぐ近くにオフィスを構えていました。ところが、この印刷機の取引があった直後に、その両方のオフィスが、ほぼ同時に撤退してしまったのです。購入直後にあわてて足跡を消すように両者とも消えてしまったので、不思議な印象を受けたのをおぼえています。

オウムがその印刷機をどこで活用しようとしたのかは定かではありませんが、彼らが実際に偽ドルに関係していたのは、ほぼ間違いないでしょう。というのは、オウムの関係者が私たちのところにもきて、法外な報酬を提示した上で、偽ドル鑑別機の購入と『偽ドルの鑑別の仕方を詳しくレクチャーして欲しい』と要請してきたことがあったからです。私どもでは、非常に怪しい話だったので、いっさい協力はしませんでしたが」

早川がかけた四つの電話番号

早川紀代秀の頻繁なロシア渡航については、これまでの膨大なオウム報道のなかでも何度か取り上げられてきた。ロシアで早川が武器の購入や軍需産業の関係者と接触していたこともすでに分かっている。われわれ取材班もモスクワで、そうした関係者のひとりドミートリヴィッチ・シュミロフ(60歳)に話を聞くことからはじめた。

「早川とは2年くらい付き合いがありました。当時の私は東欧諸国を相手に貿易会社を経営しており、工作機械などを扱っていました。早川は自分で私のところに電話してきて、相談を持ちかけてきました。

その相談というのはカラシニコフ自動小銃を作っている工場を紹介して欲しいというものでした。日本でカラシニコフ銃を作りたいというのが、彼の希望のようでした。日本には兵器のコレクターがたくさんいるので、それはいい商売になるのだ、と言っていました。その後も、ヘリコプターを買いたいと言ってきたりしましたが、結局、ヘリコプターはほかのルートでチェコ人から手に入れたようでした。

早川の興味は広範な分野にわたっていましたね。とりわけ物理学についての興味は相当なものでした。テスラー・ジェネレーターもそのひとつです。これはエネルギー形態を別のものに変換させる機材で、少量のエネルギーを大幅に増幅させることができるため、地球の電磁波にも影響を与え得るといわれています。早川はこれに異様に興味を示し、テスラー協会を日本に設立したいと言っていたのをおぼえています。早川には宗教家のイメージはまったくなく、彼と一緒に来たオウムの村井というメンバーが、食事などにも厳格なルールを課していたのとは対照的でした」

しかし、シュミロフは早川と北朝鮮との関係については知らない、という。私たちは、元オウム幹部の証言に出てきたウクライナのキエフという街に興味を引かれた。キエフでのビジネスについても質問したが、これも彼は知らないという。

「北朝鮮とのビジネスの仲介やコンタクトを求めてきたことは一度もありませんでした。キエフ? キエフでのビジネスについては知らない」

では早川はキエフで何をしていたのだろうか?

わたしたちはキエフでの早川の足跡を追った。旧ソ連邦で第3番目の都市、ドニエプル河の流域に発展した縁の街として知られる。

私たちはこの取材の過程で、当時の早川に関係するデータを別のところから入手していた。注目されたのはメモ書きの数字である。

705723××377

705723××922

705724××225

705723××238

どうやら電話番号らしい。最初の705は、国際電話の国番号と思われる。ウクライナの国番号を調べてみると確かに符合する。取材班は電話をかけることを試みた。

最初の数字。電話が通じた。しかし、誰も出ない。次の数字。女性の声が電話口に出る。見ず知らずの人と話をする気はない、と切られてしまう。

さらに番号をプッシュする。40代くらいの女性がでる。ウクライナ語だ。

レーナと名乗った女性は一時、何人かに部屋を貸していたという。どうやらアパートのようなものらしい。事情を説明すると、早川が連絡をとっていた可能性のある人物について、必死に記憶を呼び起こしてくれた。

「その人物(早川)が連絡を取りそうな人物といえば、当時、部屋を貸していた中年のロシア人夫婦かもしれません。そう、7~8ヵ月くらい住んでいたと思います。あとは、そうですね、家族連れだったり、シンガポール人だったり……」

しかしこの女性から、私たちは貴重な情報を聞き出すことができたのである。しばらく考えながら彼女は、その中年のロシア人について、明確な記憶を語ってくれた。

「そうです。彼はモスクワ通りの会社に勤めていました。武器や軍事関連の資材を扱っている会社でした。会社の名前は、そう、たしかRといいました……」

核兵器解体の拠点・ハリコフ

そして、私たちは、そのときはじめて気がついたのである。この電話はキエフに通じているのではない! キエフの街にも確かにモスクワ通りは存在するが、話の感じはどうやらキエフではないのである。Rという会社の場所を聞き出そうとしても、会話のなかにドニエプルの大河が、存在していない!

「失礼ですが、そこはどこでしょうか?」

返ってきた答えは、

ハリコフですよ、ウクライナの……」

いぶかしげな相手の表情が電話の先に見えるようだ。

ハリコフ! ハリコフは、ウクライナの工業都市。第二次世界大戦前はここにウクライナの首都がおかれたこともあったが、今では軍需産業を申心とした工業都市として知られる。さらに、キエフと、このハリコフには、核兵器の解体のための研究施設があり、関連産業が集中している。

ソ連邦の解体後、ロシアでは大量の核弾頭やミサイルが不用品となった。それは各国の支援のもとに廃棄されようとしているが、その特殊な工業施設の一方の中心が、このハリコフだった。日本政府もこの研究施設や廃棄工場の軍病院にたいして、核兵器解体要員の健康のための医療機器供与を行っていたはずである。

そのハリコフに、早川がたびたび連絡をとっていた人物がいた。

ここで思い出されるのは、オウム真理教のサリン事件が引き起こされる半年ほどまえの’94年8月の中頃に、ミュンヘンで発覚したプルトニウムの密輸事件のことである。空港で押収されたプルトニウムは約300g、いわゆる核物質の密輸事件で摘発された事件の中で最大量のものだった。

高純度プルトニウムや濃縮ウランの密輸事件は、この当時、ドイツ、ミュンヘンを中心として頻繁に摘発されていた。’90年には4件にすぎなかったが、この事件の前年には241件に上っている。また、’94年5月に摘発されたバーデン・ビュルテンベルク州の実業家の場合は、北朝鮮から1億ドルにのぼる購入資金の提供を受けていたことも分かっている。

そして、それらの核物質の大半が、どうやらロシアやウクライナ、カザフスタンから流出していると考えられているのである。

早川紀代秀のウクライナヘの頻繁な渡航は、こうした事実とどこかで関係があったのではないだろうか?

「第二経済委員会」が窓口か

1995年、ピョンヤン。

「よど号」ハィジャック犯のリーダー・田宮高麿は、「早川の北朝鮮渡航の背景に、『よど号』グループもどこかで関係があったのではないのか?」という私の質問に、「筋がちがう……」と答えた。

では、この「筋」とは具体的にはなにを意味していたのだろうか。その意味するところが、工作組織の指揮系統の違いであることは、これまでの連載のなかでも何度か触れてきた。では、その組織的な系統はどこを意味していたのだろうか。

北朝鮮の対日・対南(対韓国)工作の指揮系統で、これまで知られている部署は4系統である。

一、人民軍偵察局

一、対外情報調査部

一、社会文化部

一、労働党統一作戦部

いずれも秘密工作、破壊工作に従事した実績をもっている。

このうち対外情報調査部は、情報収集、諜報活動が中心と見られているが、社会文化部と作戦部は対日・対南工作機関、さらに工作員の養成機関とされている。情報調査部、文化部、作戦部は、朝鮮労働党の直属機関で、金正日が最高統括責任者である。

ところが、ここにまったく別系統の組織として「第二経済委員会」と呼ばれる組織が’90年代になって浮上してきた。この第二経済委員会とは、労働党中央の機械工業部に属し、次のような内部構成で運営されている。

総合局――企画、予算編成、エネルギーと資材の調達分配。

第一局――通常兵器(小銃、機関銃、弾薬、手榴弾)などの生産供給。

第二局――戦車、装甲車など。

第三局――高射砲、ロケット砲など。

第四局――ミサイル、ロケット類の生産など。

第五局――化学兵器、サリン、タブン、ソマンなどの神経性毒ガスの生産。

第六局――海軍の船舶など。

第七局――軍事通信・航空を管轄。

対外経済総局――兵器やその部品、資材、原料などの業務担当。対外的には「龍岳山貿易」などの名前で活動することがある。

つまり、この「第二経済委員会」とは、その名前とは一見無関係の兵器・軍事物資の生産と供給を担当している部署だが、その業務遂行上の必要に応じて、ある種の工作活動にも従事する。

中朝国境に近い江界(カンゲ)という町に有名なトラクター工場があり、金日成・金正日の現地指導が頻繁に行われていた。この工場なども、この「第二経済委員会」に属し、実態は軍需工場だとされている。

田宮高麿は、早川の北朝鮮渡航について、「IC機器の関係だろう」と言った。「朝鮮がそうしたものを必要としているのは事実や」とも。

そしてさらに、そうしたIC機器やある種の軍事物資について、「よど号」グループの運営する「プロジェクト21」なる貿易総合商社が、その任務を担い切れなかったことも語っていた。

プロジェクト21の代表を務める小西隆裕が、あるとき悔しさを込めて語っていたことがあったのだが、旧ソ連邦から廃棄された潜水艦や戦車を彼らが北朝鮮に輸入しようとして失敗した、という経緯もあったようである。

オウム真理教の早川紀代秀が関係をもち、その窓口としていたのは、やはり、この軍事物資を統括している「第二経済委員会」であった可能性がもっとも高いのである。

そこでは、「よど号」グループがいみじくも語ったように、IC機器、および核兵器関連物資の調達がもっとも重要な任務であって、「よど号」グループに担い切れる範囲を越えていた。そこにこそ早川が入り込む余地もあったように思われる。

そして、これは「筋がちがう」という田宮の言葉どおり、はっきりと「よど号」グループの指揮系統とは、その「筋」、その任務を異にしていた。

偽ドル、プルトニウム、戦車、原潜、「よど号」……そして、ウクライナ、ハリコフ、ピョンヤン、ようやく闇のつながりに一筋の光が当たりはじめたようである。

(文中敬称略、以下次号)

■取材協力 時任兼作、今若孝夫、加藤康夫(ジャーナリスト)

(以上引用終わり)

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