なぜ仏教は「ゲームの攻略法」なのか?

宗教・精神世界・スピリチュアル
鎌倉の大仏の背 撮影:Takaaki Yamada




みなさん、こんにちわ。

おかげさまで昨日の講演は満席でした。

10名近くの方が立ち見になられたようですが、本当に申し訳ないです。3時間も立ちっぱなしで、さぞかし辛かったと思います ( つω;`)ウウッ・・

ところで、私の講演は、ちょっと怖かったようですね。

「聞かなきゃよかった」という人もいたに違いない。

私の結論は、「大洪水を察知したノアが方舟を作ったように、私たちも今から21世紀版の方舟を作らなければならない」というものです。

これをもっと強調したかったのですが、最後のほうは時間の関係がありまして・・。

私はこれまで新文明のキーテクノロジーとして主に「フリエネ」「反重力」「原子変換」の三つを取り上げましたが、とりわけ反重力テクノロジーが避難の鍵となる。

機会あれば私自身もこういった装置の開発に関わっていきたいと思っています。

まあ、怖がらせてしまったかもしれませんが、あまり死について恐怖しないことも重要です。『バガヴァッド・ギーター』は次のように述べます。

「真理を学んだ賢者は生者のためにも死者のためにも悲しまない」

私たちは本質的に永遠の存在です。初めも終わりもなく、生も死もない。

ただ、退屈なために遊ばないではいられない存在でもあり、それゆえ私たちはゲームの創造者でもあり、同時にプレイヤーでもあるということです。



この世はただのゲームである

昨年、こんな記事を書きました。

仏教をたった一言で説明する【たぶん世界初】
みなさん、こんにちは。 今回はまたキチGUYと誤解されかねない話をします。 マーケット・コンサルタントの大西さんが亡くなられました。 つい先日まで記事をお見かけしていたのだが・・。 人間、いつ死ぬかも分かりませんね。 ところで、これはアゴラ...

仏教を一言で説明すると、

「どうすれば輪廻のサイクルを脱する(解脱する)ことができるか?」

という教えです。

すべての焦点をそこに合わせて、ブッダは教えを説いています。

これが仏教の真実中の真実です。

つまり、ブッダさんは「元祖ゲーム攻略名人」で、仏教はその攻略マニュアルなのです。

どうすれば解脱することができるか?・・・ブッダの教えはその至高の目的に焦点が合わさっています。ブッダは常にそれを念頭に置いて人々に説法していたのです。

この目的のための手段として、ブッダはとくに「執著を捨てる」ことを説きました。

なぜ彼はそんなことを説いたのだろうか?

その理由は「この世に生まれる」ということが、実は「強制されたゲーム」だからです。私たちは通常、そのゲームのプレイのことを「人生」と呼んでいます。

これは特定の年齢になると学校に放り込まれる状況にも例えられます。違うのは、誰もが自動的に卒業できるわけではなくて、自力で卒業の認定を得なければならないということです。その間、留年がずっと続くわけです。つまり、このゲームの特徴は、プレイヤーがゲームをクリアしない限り、何度でもオートで繰り返されるということです。

しかも、その度に記憶はいったんリセットされる。あるいは「容易に取り出せない奥深くに仕舞われる」と言い換えてもいいかもしれない。だから余計難しい。

そのルールを定めたのは、実は、究極的には私たち自身です。ただし、初歩的な理解の段階では、「神(超越的存在)によって定められた」でも構いません。

人(の魂)は、解脱しない限り、再び肉体と化して、永遠にこの世に生まれ出ねばなりません。生まれる少し前には「またこのゲームをやらにゃならんのか!?」といささかウンザリしているのですが、生まれるときにはその想いの記憶すら無くしている。

こうして、私たちの大部分は、何も知らずにただ堂々巡りを繰り返している。

ブッダは、そんな私たちを哀れんで、「ゲームをクリアするにはこうすればいいんだよ」と、攻略法を授けてくれたわけです。

それが仏教――と後世が勝手に名づけただけだが――と呼ばれるものです。

誤解がないように言っておくと、「クリアする」というのは、世俗的意味における「ハッピーエンド」とは、また異なります。たとえ世俗的には「成功」の人生で、大勢の家族・縁者に見守られながら安らかに逝ったとしても、それでクリアしているとは限らない。

そこがこのゲームの難しいところです。わざわざ難しくしてあるわけです。

そして、クリアしていない以上は、世俗の価値観的にどれだけ「ハッピーエンド」だろうが、本質的には「バッドエンド」にすぎないということです。

だから、今この世にいる私たちは、ある意味、前世において「ゲームオーバー」というエンディングを迎えた敗北者たちなのです。

この世界はVRであり、特定の姿形を持って生まれた私たちは、すでに「アバター」です。私たちはこのVRを「現実」と錯覚しながら生きています。

だから、私たちは、死を恐れるのではなく、一生懸命プレイすることなく死(=ゲームオーバー)を迎えてしまうことを恐れるべきなのです。

玉蔵&山田高明 直前!未来スペシャルin 横浜中華街 2月23日(土)

*当日飛び入りの方も大歓迎ですが、立ち見の可能性もあるので、折りたたみ式の椅子などをお持ちいただくのも一考かと思います。

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