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遊びの天才だった金正日

出典:sputniknews.com 全盛期の金正日

「金正日の料理人」藤本健二氏は、一介の専属料理人から、金正日の側近の一人に取り立てられ、様々な「遊び」に付き合わされた人物です。

というと強制みたいですが、ただ非常に楽しかったのは事実のようです。

また、それは一方で、将軍サマの「遊び上手」をも意味している。

金正日は二代目ですから、いわば生まれついての帝王。お金の心配をしなくていいし、何でも自由になる。だから、遊び方も堂に入っていて「粋」だなあと感心します。

“遊び仲間”の藤本健二氏の報告は実に興味深いものがあります。

金正日の私生活―知られざる招待所の全貌

(以下、同書P129~131から引用 赤字は筆者)



金正日夫妻は射撃の名手

一九九三年、二二号招待所の射撃場が大幅に改造された。五人が一度に撃てるように小窓が追加され、防弾ガラスの扉や見学用の窓も取り付けられた。的も五つに増えて、どこに命中したかが本人にも見物人にもわかるように、内部と外部にそれぞれモニターが設置された。

こうして射撃設備が充実すると、金正日は好んで射撃ゲームを行うようになった。

まずチームをつくった。一チーム五人編成。秘書室チーム、料理士チーム、海軍チーム、幹部チームというように、四チームで競技することが多かった。

一人三発ずつ撃ち、五人の合計点数で競うのが基本だ。だが、計算されるのは、的の中心の十点と九点のみで、八点以下は計算しないルールになっている。三回戦のトータル成績で争うのだが、なかなか水準の高い射撃ゲームとなっていた。

優勝チームは千ドル、準優勝は五百ドル、三位チームは二百ドル、最下位チームは十ドルというようにカウントされ、現金以外にも様々な景品がテーブルいっぱいに並べられていた。(略)

北朝鮮の某射撃場

金正日の射撃法は片手撃ちで、命中率は八十五%から九十%という名手である。(略)

高英姫夫人は両手撃ちだが、これまた金正日と同程度の命中率を誇っていたことを、ここに言い添えておこう。夫妻で競技したこともあったが、けっこう引き分けが多かったことを憶えている。

(以上引用終わり)

将軍サマと言われるだけあって、一応は名手なんですね。

どうやら藤本氏もこのゲームを通して射撃の名人になったようです。

こういう国になると、銃が身近な存在のようで、普通になじんでいる。

もし国交が回復すればの話ですが、こういった射撃場を観光資源として、突撃銃や機関砲も用意して、「本格射撃ツアーの国」になれる可能性もある。

(以下、同書P152~154から引用 赤字は筆者)

金正日との真剣勝負は一勝一敗

金正日はジェットスキー(水上バイク)を走らせるのが得意であった。(略)

一九九一年の七月、私は昌城(チャンソン)招待所で、金正日ファミリーと共にジェットスキーを心行くまで楽しんでいた。(略)

すると、唐突に金正日が私の横に来て、

「藤本、競争をしよう。ただし、本気の勝負だぞ!」

と言って、ゴール地点を指で指した。(略)

私のほうが半艇身から一艇身ほどリードしていた。

「やばい!」と一瞬思い、アクセルを緩めようと思ったが、金正日が「本気の勝負だぞ!」と言ったのを思い出し、そのままゴールインしてしまった。

私は金正日に勝ってしまったのだ。

金正日が口惜しそうに言ってきた。

「藤本の勝ちだな」(略)

それから二週間後、われわれは再度平壌から昌城招待所にきて、ジェットスキーを楽しんでいた。スルスルと金正日が近づいてきて、

「藤本、もう一度勝負しよう」と言ってきた。(略)

金正日のジェットスキーをひとめ見て仰天した。大型のものに替わっていたからだ。私の艇とは明らかに排気量が違う。

二度目の勝負は、スタートから離されて、差は開くばかりだった。

ゴール地点で待つ金正日に向かい、私は、

「先生の勝ちです(その頃、私は金正日を先生と呼んでいた)。参りました」

と脱帽の仕草を見せた。

すると金正日は笑顔で、どうだとばかりに胸を張っていた。

(以上引用終わり)

このエピソードは「金正日の料理人」編で紹介したような気がしますが、まあ面白いからいいか(笑)。

藤本氏は、金正日はイタズラ好きだが、陰湿なところはまったくないという。

(以下、同書P157~160から引用 赤字は筆者)

落馬で意識不明となった金正日

金正日は招待所にいるときは毎朝、馬に乗って汗を流す。(略)

金正日の遠乗りは、たいていは約一時間で終わる。その後はベンチに坐って、愛馬にニンジンとリンゴを食べさせるのが日課となっていた。(略)

一九九二年のある日、この昌城招待所で忘れようのない大事件が起こったのだ。

その日、いつものように金正日の後ろについて走っていくと、右に曲がるカーブの先に馬だけが止まっていた。

すわっ、金正日が落馬したのだ!(略)

顔と肩をアスファルトに叩きつけられたらしく、意識不明、ピクリとも動かない。(略)

金正日は一年間ほど乗馬を控えていたが、その後、元山招待所では毎日のように乗馬を楽しんでいた。

招待所のプールで泳いでいると、「藤本」と金正日に呼ばれ、「四十分後に馬に乗るから準備しておけ」と何度か命じられた。

金正日と二人だけで馬に乗ったこと。これも私には強烈な印象として記憶に残っている。

金正日は意識不明になるほどの大怪我をしても、いまだに毎日、乗馬に勤しんでいる。下手をすれば命を落としかねなかったというのにである。

(以上引用終わり)

まあ、この絵(↓)を真似た将軍サマの肖像画もあるくらいですから、一国の将たるもの白馬にまたがっていないと格好がつかんのでしょう。

どうも、第三世界の独裁者はナポレオンを好む傾向があります。

あるいは、原型になっているのは昭和天皇かもしれませんねえ・・・。

(以下、同書P161~163から引用 赤字は筆者)

日本製オートバイにご満悦

(略)金正日が日本製オートバイのカタログ数冊を私に手渡して、

「この中から私と藤本に合いそうな二台を選んで印をつけろ」と命じた。

金正日も私も背が低いので、シートが低くハンドルがスポーッタイプではない、ゆったりと握れる二百五十CC程度のオートバイを選ぶことにした。最終的に、金正日にはホンダのバイク、自分用にはヤマハのバイクに印をつけて、金正日に渡した。(略)

センターの前に注文のオートバイ二台が届けられていた。

それを見た金正日は、

「ほー、なかなかよいバイクではないか。さすがに藤本が選んだものだけのことはあるな」

と私が見立てた日本製オートバイにご満悦の様子であった。(略)

参考:ホンダのV-TWIN MAGNA 250cc

久し振りにバイクにまたがったという金正日は実に楽しそうな表情で、私を誘った。

「よし、藤本、初乗りしよう。ついてこい!」

二人は新品のオートバイのアクセルをふかして、第二宴会場を往復した。そこまでは、センターから三キロ半ほど離れていた。風を切って走るのはとても気持ちがよかった。

金正日と私以外、ほかにオートバイに乗れる者はいなかった。幹部たちは心の中で口惜しがっていたのではなかったか。(略)

幹部たちにあてがわれたバイクは五十CCのノークラッチ

その後、何回となく二人でツーリングを楽しんだ。

金正日からのツーリングの誘いは気まぐれだった。

こんな電話が突然、私の部屋にかかってくるのだ。

「藤本馬鹿野郎! 自宅の出口の所で待っていろ! オートバイだぞ!」

私は超特急で準備して、オートバイに乗って指定された場所で、金正日のくるのを待った。 十分も経たずに金正日がホンダを飛ばしてきて、

「いくぞ!」と気合をいれて、再度発進するのだった。(略)

「藤本馬鹿野郎」は、「こちらは金正日だ」に等しい合図みたいなものなので、ちっとも気にならなかった。

それから二、三か月後、五十CCのオートバイが十台ほど用意され、幹部たちにあてがわれた。彼らは大喜びで乗っていた。(略)

(以上引用終わり)

いきなり「藤本馬鹿野郎」には笑えますが、「友だち」や「仲間」に対する金正日流の愛称だったのでしょうね。親友に対してあえて「てめえ」と呼ぶみたいな。

余談ですが、オートバイの国内販売が最盛期の十分の一というニュースを見たことがあります。とにかく若者が乗らなくなった。しかも、スクーター・タイプではなく、いわゆる昔ながらの「単車」のほうを。私は「楽しいのになあ」と不思議に思う。

クルマのほうは今時、ミッション車はほとんどないですが、単車は今でも基本的にそうです。左足を使って、一速から六速までを調節する。

藤本氏も語っていますが、単車で風を切って走るのは、独特の気持ちよさです。

春か秋に、人がいない安全なところで、ノーヘルで走ると、単車の真価が分かります。

乗馬と似た楽しさがあるんですね。将軍サマがオートバイ好きなのも分かります。

(以下、同書P173~176から引用 赤字は筆者)

喜ばせ組の実態

(略)日本では「喜び組」と呼ばれているが、それは間違いである。正確には「喜ばせ組」であり、なぜならば、彼女たちは金正日を「喜ばせる」ために存在するからである。

金正日が抱える「喜ばせ組」といわれる舞踏集団は六組に分かれている。身長により、五、六人が一組となっている。(略)

平壌での宴会では「喜ばせ組」がすべて出演するが、各招待所での宴会の時には、金正日お気に入りの柿組(カムジョ)、つつじ組(チンダレジョ)の一六〇センチの二組が呼ばれていた。(略)

元山招待所では、毎日のようにバスケット観戦があった。

ところが、ある日の夕食時、

「きょうは喜ばせ組の『柿組』と『つつじ組』のバスケットの試合がみたい」

と金正日が言い出した。(略)

両チームの選手は開始後五分くらいまでは、きちんとルールを守って、ドリブルしながら前進していた。しかし、五分を過ぎると、ドリブルせずにボールを持ったまま走り出してシュートするようになった。

全員が笑いの渦の中で、だんだんプレーがエスカレートし始めた。ホールディングするわ、一つのボールを両チーム四、五人が奪い合う姿はもうほとんどレスリング並みだった。

ゲーム観戦していた者たちは、腹を抱えての大爆笑だ。(略)

金正日がお気に入りの踊りは、まず、ディスコダンスで、その次がインド舞踊だったはずである。インド舞踊というのが不思議かもしれないが、北朝鮮ではけっこう人気があるのだ。なぜならば、北朝鮮の一般家庭のテレビ放送で観られる外国映画はロシア、キューバ、そしてインドであるからだ。

(以上引用終わり)

ちょっと古いですが、ユーチューブにありました。

音楽や振り付けなどのセンスは、やはり西側とは雲泥の差ですね。

おっさんの私でさえ、ドン引きするほど。

ただ、今は西側の文化に詳しい金正恩の時代。

よく知りませんが、今ではK-POOP調の、やや現代的なものに変わっているらしい。

(以下、同書P204から引用 赤字は筆者)

虹鱒を食べに立ち寄る永興招待所

永興招待所には北朝鮮屈指の虹鱒の養殖場がある。一九九四年頃、鰻の養殖も始めたと聞いている。

私はここでは最高三日間泊まったことがあるが、湖がとても大きくて景色がよいところだった。招待所すべてのものが金正日のものであった。

この国で澄んだ空気に満ちて、素晴らしい景色をもつ場所は、すべて金正日専用なのである。一般国民は絶対に立ち入ることは許されない。

(以上引用終わり)

金正日は虹鱒が好物で、「よっしゃ、食うぞ」と思った時は、ここを訪れるという。

そして、景色を楽しみながら、最高の虹鱒料理を堪能していく。

自分専用の養殖場まで持っているとなると、もはや王侯貴族の世界でしょう。

以上、射撃、ジェットスキー、乗馬、オートバイ、舞踊、グルメ、等などを見てきましたが、とにかく金正日は趣味が多彩で、遊びが上手。

なにしろ、「これをやりたい」「これがほしい」と思ったら、ほとんどのことが即実現するわけです。北朝鮮に無くとも、例の万景峰号が運んできてくれる。

日本だと、かなりの金持ちでも、「海釣りがしたいからクルーザーがほしい」と思いついても、即座にポンと買う人はそういないでしょう。やはり、金持ちであっても、係留場所や維持費について頭を悩ませるし、遊び仲間もそうそう簡単に集まらない。

しかし、将軍サマは、そんな心配は一切いらずに「買ってこい」の一言ですむ。飽きれば誰かにやるか、捨てるだけ。自分の遊びに誰でも付き合わせることができる。

まことに羨ましい限りです。私は、故・金正日という人物は、現代世界において、稀に見る「遊び人」だったと評してよいのではないかと思います。

(以下は藤本健二氏の著作の中で、もっともきわどい内容です)

核と女を愛した将軍様―金正日の料理人「最後の極秘メモ」

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