北朝鮮の独裁体制を延命させた張本人(後半)

外交・安全保障




さて、2001年の「9・11」から2009年までの流れを一挙に見てきた。

北朝鮮の独裁体制を延命させた張本人(前半)
先日、レックス・ティラーソン米国務長官は「北朝鮮を非核化しようとする20年間の努力は失敗に終わった」と述べ、対北朝鮮政策の大転換を示唆した。 しかし、日本にも同じように対北政策における「15年間の失敗」がある。 アメリカの対北朝鮮攻撃に「待...
北朝鮮の独裁体制を延命させた張本人(中半)
前半のつづき。 こうして、2002年9月17日、小泉総理の「電撃訪朝」により日朝首脳会談が実現した。金正日は日本人を拉致した事実を認め、「日朝平壌宣言」なるものが採択された。 今にして思えば、噴飯物の首脳宣言だった。明文化されているのは北朝...

当初、米国は明らかに北朝鮮にトドメを刺すつもりであった。だが、どうやら2005年の末頃から2006年にかけて、対北戦略を180度ひっくり返した。

まさに、その割を食ったのが、小泉氏の後継者である安倍晋三総理であった。



「日米ねじれ」の悲劇と、別の所にあった拉致問題解決のチャンス

2006年9月、第一次安倍政権が誕生する。周知の通り、安倍氏は対北強硬派の中でも最右翼だった。平たく言えば、米国に対して「北朝鮮を殺ってくれ」と頼む人だった。ところが、ブッシュ政権の戦略人材はすでにごっそりと入れ替わっていた。

つまり、米国が対北強硬姿勢だった時には、日本はそれに歯止めをかけ、逆に米国が対北宥和姿勢に転じると、今度は「殺ってくれ」と頼んだわけである。

米国にしてみれば、「今まで日本は散々ストップをかけておきながら何を今さら身勝手な」という気持ちではなかったか。その結果がブッシュ政権の「裏切り」だった。

そして、こと拉致問題の解決に関しては、日米同盟がほとんど役に立たないことが明確になった瞬間でもあった。米国の対北政策を一貫して解決のアテにし続けていた人々にしてみれば、己の甘さを思い知らされるショッキングな現実だったに違いない。

あの時の「保守派の惨めさ」といったらなかった。

その中には、安倍総理自身も含まれていた。結果として、意図せずちぐはぐな行動を取ってしまった安倍氏は、当時のブッシュ政権と反りが合わなかった。

そして、今からすると意外なことだが、逆にブッシュ政権から「米中二強時代」を一蹴されてひどく面子を潰された胡錦濤政権は、協日に転換した。

2006年4月、米国から「国賓」待遇を拒否され、行く先々でデモに会い、演説中に法輪功女性の罵倒を浴びた訪米中の胡錦濤国家主席

だから、安倍氏も拉致問題の解決について、中国に協力を乞うようになった。

これは正しい方向性であった。当時、この「潮の変化」を見極めることのできた人がどれほどいただろうか。そういった慧眼の持ち主はいつの時代にも少ない。

当時、仮にこの時代の変化を読み、「三点セット一括解決方式」や「六者協議」といった無意味な手法やシステムに見切りをつけ、政権二期目に向けて権力闘争中の胡錦濤氏に対して思い切った見返りを与えれば、拉致問題は驚くほど進展していただろう。

そこで当時の私は、莫大な「見返り」をぶら下げて、中国がそれを進展させれば与え、進展させなければ与えなくてすむという画期的な解決策を考えた。

拉致問題は十年前に「山田案」で解決していたと思っている
みなさん、こんにちは。 この解決策の文書は、私が2007年10月に作成し、当時、北朝鮮による拉致問題を担当する関係各機関や各要人に配布したものです。 全体は新書一冊分にも相当する文章量です。日本向け1部・2部と、中国向け1部・2部があります...

しかし、安倍政権が一年で倒れてしまい、私は次の福田康夫内閣に託したが、返事はなかった。周知の通り、彼は「私の手で拉致問題を解決する」と明言しておきながら何もしなかった。しょせん口先だけのサラリーマン政治家でしかなかった。

安倍“一年”政権の不運と異常なバッシングの背景

それはともかく、世界情勢に恵まれなかった第一次の安倍氏は実に不運だった。しかも、米国の対北戦略の転換と六者協議の集団無責任は、韓国のノ・ムヒョン政権が北朝鮮の体制を支え続けるための絶好の機会を提供した。北朝鮮を「篭城する誘拐犯」に例えれば、この男(左)はせっせと差し入れしている身内のようなものだった。

出典:ロイター 当時2006年に開催されたAPECの席上

しかも、安倍氏の不運は、米韓から袖にされただけではなかった。

自身の延命のためにうまく日本(の小泉政権)を利用した北朝鮮は、ハナから国交正常化する意志のない安部政権を総攻撃した。

当時の安倍政権バッシングの異様な激しさを記憶している人も多いだろう。

2007年9月12日、辞任の記者会見

今から予言めいたことを言うと、北朝鮮の独裁体制崩壊後、政界やメディア界等にまたがる日本人対北協力者の名簿が大量に出てくるだろう。そして当時、北朝鮮本国と朝鮮総連から、安倍総理を引き摺り下ろすためにどのような指令が発せられ、誰がその工作に協力したのか、近いうちに真相が明らかになるだろう。

その後、北朝鮮の息のかかった日本人には、刑法第81条(外患誘致罪)か、もしくは刑法第82条(外患援助罪)が科せられるだろう。

米国が対北攻撃を決意した以上、それは避けられないことだ。

その3年間が日本と北朝鮮の命運を分けた!

さて、現在へと戻り、これまで述べてきたことを総括したい。

北朝鮮はこれまで二度、核開発の放棄を国際社会に対して約束した。だが、そうやって援助を貰いながら、約束を破った。二回も騙された国際社会は、もはや北朝鮮が再び同種の公約をしたところで信じないし、米国も二度と交渉する気はないようだ。

しかも、米国にしてみれば、北朝鮮が米本土に必中するICBMを開発する事態だけはなんとしても阻止したい。だから、米軍の攻撃は行われる可能性が高い。

たしかに、米国にとっては今が対北攻撃の「機」だろう。しかし、私たち日本にとっては必ずしもそうではない。仮にキューバが対米核ミサイルを完成させていたら、米国は同盟国がキューバと戦争するのを認めるのか、という話である。

では、私たちにとっての「機」とはいつだったのだろうか。

これまで見たきた「流れ」からすると、論を待たないだろう。それはイラク戦争の終了から米国が世界戦略を変更するまでの「約3年間」だ。

おそらく、小泉総理が「待った」をかけなければ、米国は2003年の後半には北朝鮮への攻撃を本格的に検討していただろう。

よって、仮に当時の総理が安倍氏だったら、それを千載一遇の好機と考え、「よし、やりましょう! わが国も全力で手伝います!」と賛同していた可能性が高い。

そして、日本が全面支持するなら、米国としても迷わず行動できたに違いない。

ところが、小泉・田中コンビの「官邸主導外交」が米国とのねじれを生んだ。二人は打倒する代わりに北朝鮮に延命の時間を与えた。その結果、攻撃の好機から約3年後の06年10月には、北朝鮮は初の核実験を成功させ、事実上の核保有国となった。

つまり、まさに小泉総理が与えたその猶予期間に彼らは核兵器を完成させたのだ。

そして3年が過ぎてみると、当の米国が世界戦略そのものを変更してしまった。かくして私たちは歴史的な好機を逃す格好になった。

結局ただ北朝鮮の独裁体制の延命に手を貸しただけの小泉元総理

今にして思えば、当初のブッシュの対北攻撃の予定は、まさに「核兵器完成直前」という絶好のタイミングだった。それを阻止したのが小泉・田中コンビだった。

独裁体制延命の最大の功労者となった二人

彼らは、本来攻撃が行われていたと推測される時期から、だいたい3年くらい、独裁体制延命に手を貸した。そしてこの3年間が「決定打」になった。

その期間が日本にとって二度とない好機なら、北朝鮮にとってもまた同様だった。だが、「機」を生かしたのは、急ピッチで核開発を成功させた北のほうだった。

結果として見てみれば、小泉元総理は、北朝鮮の時間稼ぎに協力したことになる。いや、これは結果論というより、もしかすると「確信犯」だったのかもしれない。つまり、最初から北朝鮮を米国からかばうことが目的だった、というわけである。

まさかそんなことがあるわけがない、と当の私ですら思う。だが、見てきたように、わざと核開発できる隙を与えたとしか思えないのもまた事実である。

どちらにせよ、利用されたのは日本のほうであることは確かだ。また、これが戦後史上、最悪と言っていい外交的失敗であることも確かだ。

しかも、ツケを被ったのは日本人だけではない。これから再開される朝鮮戦争において、断末魔の独裁者は核弾頭を装備したスカッドミサイルを韓国に向けて発射するだろう。その結果、何万、何十万という市民が死ぬだろう。それはどれほど韓国が嫌いな者であっても、同じ人間として耐えられない光景に違いない。

しかも、散々言っているように、それは私たちにとっても他人事ではない。私は日本が核攻撃を受ける可能性も五分五分あると、何度も警告している。

戦後、私たちは否応なしに「なんでこんな悲惨な結果になってしまったのか?」という議論に取り組むことを余儀なくされる。

当然、「こんな異常で危険な独裁政権は、もっとも前にぶち殺すべきだった」という主張が大勢を占める。そして人々はブッシュ政権当初の「好機」を思い出し、「こんなやつらはあの時にぶち殺すべきだったのだ」と考えるだろう。

この記事の目的は、まさに「その時」に備えた議論を手助けすることにある。

だから、ここに「戦後論議」の先陣を切った次第である。

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