みなさん、こんにちわ。
ひさしのブリ。
蒸し暑い梅雨時ですね。
ところで、九州では集中豪雨が続き、熊本県の南部にある球磨川流域で堤防が切れて氾濫が起こり、多数の死傷者が出ています。
犠牲になられた皆様方には、この場を借りて心よりお悔やみを申し上げます。
すでにご存じの方も多いと思いますが、先日の東京都知事選で3位だった前熊本県副知事の小野泰輔(おの たいすけ)氏がこの災害の核心人物の一人だったんですね。
以下、ウィキペディア「小野泰輔」からの引用どす(*赤字はむろん私による)。
小野泰輔(おの たいすけ、1974年(昭和49年)4月20日 [一次資料 1] – )は、日本の政治活動家。元地方公務員。前熊本県副知事。元衆議院議員公設秘書。(略)
2008年、東大のゼミの恩師である蒲島が熊本県知事選挙へ出馬した際に選挙を手伝い、蒲島の当選後、同県政策調整参与に就任[3]。2012年6月、当時全国最年少かつ熊本県政史上最年少の38歳で同県に2人いる副知事の1人に起用された[1][3]。(略)
政策
2008年に県政策調整参与就任した後は川辺川ダム計画の白紙撤回など重要政策について蒲島知事に提言し、蒲島は同年、計画の白紙撤回を表明[12]。小野は副知事退任時の会見で、印象深い出来事に川辺川ダム問題を挙げ、「(表明当日まで)知事と2人でぎりぎりまで表明文を手直しした。非常に難しい判断だった」と述べた[13]。熊本県副知事就任後、同県のPRキャラクターである「くまモン」の著作権を県が買い取り、利用許諾を受けた場合は無償で使用できるようにした[3]。
世の中には因縁めいたことがリアルであるもんですね。
都知事選挙戦の終わり頃に、球磨川流域で大水害になりました。
元凶の一つが、球磨川支流の川辺川ダム計画の白紙撤回と言われています。
小野氏は選挙戦において、ずっと「副知事時代の経験実績」をアピールしていた。
彼にとって、「無駄な」川辺川ダム建設を撤回させたことが「実績」だった。
小野氏自身も、今回のタイミングに、さぞかし天の悪意かと思ったことでしょう。落選して、かえってホッとしたかも。当選していれば、しょっぱなからメディアから総ツッコミが入っていた可能性がある。もっとも、誰がやっても、今度の都知事職は最悪の貧乏クジになりますが・・・(理由はこれから東京を襲う災害です)。
もちろん、小野氏は最大の責任者ですが、責任は彼一人にあるのではない。主たる氾濫の原因はダム撤回にあるという前提に立つならば、同じように反対した人、賛同した人、反対側を正義であるかのように報じて煽ったメディア等も、一応は有責者です。
ところで、本日の読売新聞にこんな記事があったので、思わず写真に撮りました。
まずは、今回の球磨川流域の災害状況。
ご覧のように、中下流域のあちこちで、浸水しています。
そして、問題がこれ(↓)。
上が、人吉市・球磨村の災害範囲。10メートルくらい浸水している所もある。
下が、国交省の担当事務所が19年7月に作成した「球磨川ハザードマップ」。
見ての通り、瓜二つ。
1年前には、「川が氾濫したらこうなりますよ」という目に見える警告が出ていた。
そして、まさしく、その通りになってしまった。
水害を予防することを責務としてきた国交省の現場の人たちは、忸怩たるものがあるでしょう。そういえば、前年10月、関東地方を襲った巨大台風と豪雨の時も、利根川の主要支流にある八ッ場ダム(やんばダム)の存在が改めてクローズアップされた。
八ッ場ダムの建設計画は民主党政権時に危うく潰されかけた。
ただし、どこまで去年の水害の防止に役立ったかは、異論もあるし、専門外の私には結局真偽不明ですが、やはり少しは治水効果があったのではないでしょうか。
たしかに、ダム建設を巡っては、私も汚い話をいっぱい聞いている。あえて計画を引き延ばして、役人、地元有力者、地元住民が予算を食い物にしているとか、地元にいっぱい賄賂が投下されているとか、住民が二派に別れて争うようになったとか。
多額の予算が動く巨大プロジェクトになると、いつもこういう話が出てくる。
しかし、そういう「悪」や「腐敗」や「環境破壊」といったマイナス面も含めて、「長期的な視点」から「全体」を総括すれば、結局のところ国家国民にとってプラスなのかマイナスなのかという、そういう大局観が、判断する側に求められる問題でもあります。
一律にダムは無駄であるとか、逆にすべて必要だとか、そういうことではない。
司馬遷の「史記」では、伝説の五帝の頃から黄河の治水の話が登場します。京都や江戸でも為政者は治水に苦労しました。治水は古来より政治の最重要テーマでした。
今回、球磨川流域の氾濫で多数の死傷者を出してしまった事案は、トップに立つ政治家にこそ、そういう大局観が欠かせないことを、改めて訴えていると思います。
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