朝鮮紀行

歴史

なぜ日韓併合は韓国の自己責任が大か(その4)

さて、前回。日本は漢城の王宮に乗り込んで閔妃派を追放し、開化派官僚を集めて近代化のための改革断行内閣を組織した(甲午改革)。そして95年初頭、国王高宗に対して「朝鮮の独立宣言」と「国政改革十四か条の誓約」を公の場で行うことを強いた。同4月に...
歴史

なぜ日韓併合は韓国の自己責任が大か(その3)

前回、1882年7月の「壬午軍乱」と、84年12月の「甲申事変」について触れた。前者は、旧軍兵士の抗議運動を巧みに利用した、失脚中の大院君派によるクーデターだ。一方、後者は、青年官僚らのグループによる国家革新のクーデターである。 二つの事件...