みなさん、おはようございます。
朝、選挙結果を見たら、れいわ新選組は比例で2議席とっていた。
そして、あえて名簿3位に後退した山本太郎は落選。
私は昨日の選挙当日の夜にこう書いていました。
今回「特定枠」利用で、障がい者二名を比例の優先にしたことにより、れいわ新選組は結果的に2議席か、3議席の党勢を確保したことになる。(略)
彼が自己を犠牲にして障がい者を当選させたというふうに受け取る人も多いだろうから、山本太郎と政党の人気はますますヒートアップする。
そして今回、政党要件をクリアしたなら、もう本物の政党である。(略)
れいわ新選組は、今年4月初旬の結成で、一挙にここまで来たのである。
衆院選挙後は、衆参に議員をもつ、いっぱしの政党としての存在感になろう。
山本太郎は次の衆院選で当確同然なので、
今回の選挙結果は「実質3議席」ですね。
だから彼は引き続き「れいわ」の代表に留まり続ければいい。
山本太郎の落選に対して、支持者の中には落胆したり、アンチの中には喜んだりする者がいるようだが、違う違う、この結果こそが彼と参謀の望み通りなんでしょう。
これで「れいわ」は、諸派から、衆参両院に勢力を構える真野党への道が開けた。
ただ、こういうのは、しょせんテクニカル。
たしかに今回、選挙戦術には妙に長けていたが、政策はてんで駄目であり、その点で多くの有権者の心を掴む機会を逸したのは、反省点ではないだろうか。
ま、本人たちにその自覚があるかどうかだが・・。
今回は戦術的な計算がうまくいったが、長期的には、やはり雌雄をわけるのは、「彼らに社会を任せられるかどうか」という有権者の思いに真摯に応えられるかどうか。
当事者には、自分たちを客観的に評価することは難しい。
だから、私のような第三者の意見に対して、反発ばかりしているのではなく、率直に改善の糧とできるなら、「れいわ」はもっと伸びるでしょう。
れいわ新選組の3つの長所
本人たちは気づいていないかもしれませんが、山本太郎とれいわ新選組には、実は大きな長所があります。私の見るところ、主に三つ。
最大のものは、実は「まじめさ」。
真剣さと呼び変えてもいい。
今回立てた候補者を見てみると、地味だが、それぞれの立場で特定の深刻な社会問題とかかわり、向き合ってきた人ばかり。
当初、ウーマン村本が出るという話もありましたが、仮に社会問題に精通していない専門性のないタレント候補を出す真似をしていたら、完全に「まじめさに欠ける票コジキ」と見抜かれ、政治意識の高い有権者から見限られていたでしょう。
同じタレントでも、山本太郎とウーマン村本とでは格が違う。
山本はもともと本業でプロの域に達していた。その上で原発問題などで自ら立ち上がった経緯がある。対して、村本は、漫才をテレビで見ましたが、実につまらない。“本業”であの水準の上、社会問題に対する発言でも、中身・真摯さの両方に欠ける。
今回、「れいわ」の、この「まじめさ」は、多くの人々の心を掴んだと思います。
ふなご氏以下の候補者は「地味で暗い」とすら思えるほどでしたが、
しかし、そこがまた平和や人権を守るといった当たり前のお題目ばかり唱えて原点を忘れた既成左派との差別化に繋がった気がします。
「普通の市民」が自分たちと同じ市民と見なせる集団かどうか
二つ目の長所は、まったくの「市民」であるということ。
しかも、いわゆる「市民運動家」のようなプロ筋ではなく、本当の市民(という表現が妥当か否かはともかく)であるということ。
たとえ、山本太郎の周りに隠れているのが革新系の運動筋であろうとも。
そういう意味で、運動筋の人間を表に出さなかったのは、うまい作戦?だったなと。
市民運動家のような政治のプロは、たしかに一定の支持票・組織票を持っているが、一般大衆からは心理的に拒絶されるため、大勢の支持を得ることは逆に難しい。
その点、今回、「れいわ」が用意した候補者は、一般大衆が、自分たちの仲間とか、自分たちの代表と見なしやすい域に留まっている人がほとんどです。
蓮池氏や安富氏のように、すでに一定の知名度を獲得していた人もいますが、それでもタレントとか、市民運動家とは、大衆からは見なされていない人たちだ。
ま、個人的には、安富氏は今回限りにしたほうがいいように思いますが。
こういう、私たち普通の市民が、同じ市民と見なせるような人物ばかりを登用したのは、単に偶然そうなったのかもしれませんが、大きなアピールポイントでした。
三つ目は、山本太郎のパーソナリティ。
つまり、党首個人の魅力です。彼個人にも、まじめさ・真摯さが備わっている。情熱が感じられる。しかも、キャラが明るく、清新なイメージがまだ持続している。
だから人々は「彼なら何か新しいことをやってくれそうだ」と期待します。
ま、これについては、私などが改めて指摘するまでもないでしょう。
当事者にはあまり自覚がないかもしれませんが、この3つの要素は、自分たちの強みとして、自覚的に大事にしたほうがいいと思います。
れいわ新選組の最悪の弱点――政策のプロフェッショナルになることができるか?
で、逆に駄目なのが政策。
はっきり言って、「ブレーン」と「練った」わりには、詰めが甘い。
政党が立ち上がったばかりで、急造したものだからかもしれないが・・。
だが、次の衆院選からはそんな言い訳は通用しない。
「8つの対策」という公約の一部について、私は1ヶ月前に批判しました。
興味深いのは、ナントカの一つ覚えのように「緊縮ガー」とわめく者たち。
それで「失われた30年」という「経済敗戦」の「戦犯」のレッテルを貼っているわけですね。そうやって相手を悪魔化するというアンフェアな政治手法です。
あとは、財務省に操られているとか、洗脳されているなどの「財務省陰謀論」か。
「今の社会がこんなふうになったのはコイツのせいだ」と、まるで最悪の責任者であるかのように印象操作して、指弾する自分が相対的に正義と思い込める神経が羨ましい。
昭和の初め頃にそういう連中が出てきて、また令和にも出てきたというわけです。
「奨学金チャラ」と「時給一挙1500円」公約はナンセンス
ところで、「テレビと新聞が伝えない山本太郎公約のホントの話」では、奨学金借金は触れなかったテーマですが、当然、何らかの救済措置があってほしいと私も思っている。
しかし、「奨学金チャラ」などと簡単に公約に掲げてよいのか。
それは要するに、奨学金を借りていない人たちに負担しろというのと同じ。
義務教育ならそれでよいが、大学教育は本人の自由意志による選択のはずだ。
だいたい、ちゃんと自力で返済したその他大勢の人たちとの公平性の問題はどうなるのか。その「公正」と「救済」のバランスを見極め、解決策を考えるのが政治のプロ。
そういうシビアさを放棄して「一挙徳政令」を唱えるのは、政策でも何でもない。むしろ問題解決の放棄。一番楽な方法だが、そういう姿勢はただの無責任でしかない。
同じことは「時給一挙1500円」公約にも見て取ることができます。
おそらく、全国何十万という中小企業が、かえって大量解雇せざるをえなくなる。
労働者救済どころか、クビを斬られ、仕事を失う人が続出する。
また、企業として出せる範囲の人件費で必要不可欠な人材を雇いきれなくなる会社も続出するため、結果として人手不足倒産も相次ぐでしょう。
だいたい、近年、韓国における先例が出ているではないか。
対して、立憲民主党のほうは「5年かけて1300円」という公約を掲げた。
こちらのほうが優れているし、私も賛成。
どんな「ブレーン」がいるのかしれんが、要するに政策が全然プロフェッショナルじゃない。安易な素人の思いつきで、見る人が見れば一発で無責任だと見抜かれる。
だいたい、「企業敵視」みたいなやり方は古く、有害でしかない。
この点で山本太郎は勘違いしている。大事なことは、雇用と賃金を守るために、企業と協調しながらやっていくこと。それができてこそ本物の政治家なんだ。
時給の件に関しては、もし山本太郎が「今にして思えば間違っていた、立憲民主党案のほうが妥当に思えるから、こちらよりに転換したい」と、率直に有権者に謝罪すれば、私はむしろ「れいわ」の株が上がると思うのだが、どうだろうか?
いずれにしても、3つの長所を維持しつつ、この致命的な弱点さえ克服していけば、もっと大勢の人が「これなら政権運営を任せられる」と思うようになるでしょう。
逆に短所を放置し、誰かを常にスケープゴートにし、自らのアピールポイントをわざわざ捨て去るような真似をしたなら、結局は大衆から見放されていく。
おそらく、今回当選したふなご氏は、もっとも注目される新人の一人となり、メディアが勝手に党の宣伝をしてくれる格好になるでしょう。
また、山本太郎自身もテレビの場に復帰して、今まで以上に暴れまわる(笑)ことでしょう。従来の左派・リベラル派の中にはこの「勢い」に乗ろうとする者も相次ぐ。
結果として、れいわ新選組は、政策のプロフェッショナルにさえなれば(また有権者からそう思われれば)、次の衆院選で大飛躍を遂げることも不可能ではないでしょう。
つまり、山本太郎をはじめとして、十人、二十人といった規模で当選を果たす。
そして、野党再編・政界再編の主役へとなっていくというわけです。
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