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先に戦争を始めたのは? もちろんアメリカ!

今日、歴史では、現地時間1941年12月7日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃したことをもって正式に英米と開戦したことになっている。

しかし、本来「戦争」は「戦闘」よりも広い概念である。

現代中国では「超限戦」といって数十種類もの手段を戦争の範疇に入れているが、そこまで幅を取る必要がないにしても、一国を破滅させるに足る行為ならば、仮に戦闘形態を取らなくとも十分に「戦争」行為と言えるのではないだろうか。

その意味において、日米戦はどちらが始めたのかというと、答えはアメリカである。



■「対中では経済支援、対日では経済封鎖」の“中立国”

1937年7月、日中は全面戦争へと突入した。私は日本の愚かな侵略だったと思うし、又中国共産党がどう暗躍したのか、満州併合や華北分離工作はどう位置づけるべきなのか、複雑な面はあるが、ともあれ日中の「国家間戦争」である事実は間違いない。

当時、アメリカは、中国の同盟国でも何でもなかったのに「戦時中立」を放棄して中国側の支援に回った。仮にも国民党中国は300万の軍隊を持つ全体主義国家である。

これは中立国として、当時の戦時国際法の「違反」に当たる。

当時のアメリカの対中支援は徹底していた。まずは香港ルートで支援していたが、日本軍によって遮断。それで東南アジアの仏領インドシナルートで援助する。1940年、日本が仏印進駐によってまたそれを遮断すると、今度はビルマルートを使った。

1941年3月には、アメリカは武器貸与法を成立。これは単純にいえば、大統領の一存で大量の資金や武器を援助できるというもので、英国と並び中国が援助対象になった。

同年7月に日本軍が南部仏領インドシナへ進駐すると、アメリカはさらに重大な違反を犯した。それが「在米日本資産の凍結」および「石油の全面禁輸」である。

現代でもそうだが、軍事車両・軍艦・航空機は石油で動く。近代国家及び軍隊の維持に必要不可欠な戦略物資の禁輸は、単なる経済制裁の域を超え、一国を干上がらせる「経済封鎖」に値する。しかも日本が「アジアを侵略した」からではなく「フランス領土(植民地)を侵略した」から発動したのだから、ますます異様である。

■フライング・タイガースの派遣

また、アメリカは「義勇軍」に名を借りて、開戦の2年以上も前から、明白な攻撃意志を持って、対日直接攻撃の準備を着々と進めていた。

それが通称「フライング・タイガース」である。

当時の中国は、戦闘機パイロットの元米軍人クレア・シェンノートを空軍顧問兼教官として雇っていた。このシェンノートの発案が元になり、表向き「義勇軍」の米戦闘機部隊の対日戦投入が、米中両国の間で承認された。早くも1940年には、この計画は明確にスタートしており、ルーズベルト大統領の意欲の下、最終的に100機の米戦闘機と優秀なアメリカ人パイロットが選抜され、中国に派遣された。

この実質米軍は、諸事情から戦線投入が遅れ、実戦参加は日本軍による真珠湾攻撃後になってしまったが、当時の常識あるいは現代の自衛権の概念からいっても、日本が座してフライング・タイガースによる攻撃を待たねばならない理由はないわけで、要はこの対日攻撃予定の部隊の存在自体が、日本の対米攻撃の正当事由になってもおかしくはない。

以上、仮にも日本と中国の国家間戦争に関して、第三国たるアメリカが「戦時中立」を放棄し、一当事国を執拗に経済軍事支援し、逆にその対手国を戦争遂行に不可欠な戦略物資面で経済封鎖し、自軍を偽装派遣して軍事攻撃まで算段していたとあっては、もはや「事実上の参戦」と見なされても仕方がないのではないか。

■ハル・ノートの異常性

アメリカ人目線でいえば、仮にサダムフセインのイラクと戦争している時に、シリアやイランが同様の行為をやればどう思うか、という話である。1980年代の冷戦最終期、東芝のココム違反事件があったが、その程度で発狂するアメリカであれば、十分に宣戦布告と見なして、シリアやイランを叩くことをためらわなかったはずである。

しかしながら当時の日本は耐えて、外交交渉に望みをかけた。天皇も英米とだけは絶対に戦いたくなかった。東条英機も好戦的市民から罵倒されながら天皇の意に沿った。そこへルーズベルト政権が突き付けてきたのが、いわゆるハル・ノートである。

この策定に関して共産勢力がどう暗躍したかは横に置いておいて、うち「日本のすべての軍と警察力は中国とインドシナから撤退すべし」との項目は異常という他ない。

分かり易く例えると、日本が日清日露戦争で獲得した権益まで放棄せよというのは、アメリカに対して「米西戦争や米墨戦争時に獲得した権益を放棄せよ」と迫るに等しい。カリフォルニアやテキサスから撤退しろなどと言い始めたら、そんなものは“外交”と言えるだろうか。それは国家間の相対的優位を傘にきた「強要」である。

要するに、日本が絶対に飲めない条件をわざわざ付きつけたということだ。

■なぜ英米は日本の中国侵略を全力阻止しようとしたのか

さて、以上をもって、日本は対米開戦を決意するわけだが、この戦争を語る時にいつも忘れ去られがちなのが、「なぜ英米はこうも中立性をかなぐり捨ててまで必死で中国を支え続けたのか?」という「なぜ?」の部分である。実は、これが大東亜戦争又はアジア太平洋戦争を語る上での、もっとも大局的な視点へと繋がっている。

どうやら、英米支配層の目には、仮に日本が中国を征服してしまったら、モンゴル帝国の再来になりかねないと映っていたらしいのである。もはや日本がコントロール不能になるだけでなく、自分たち英米、もとい、白人の優位性そのものが覆される。

戦後「日本はナチスドイツと並んで民族優越思想に基づいて世界征服を企んだ」などと吹聴されたが、実はこれが偏見であろうと何であろうと、彼らのだいたいの日本観だった。日本人からするとトンデモなくとも、あくまで彼らの目には、中国を侵略し併呑しようとする日本帝国が、最終的には世界征服を企んでいると映ったのだった。

米英はそれを全力阻止しようとしたのだ。だから、彼らは蒋介石政権に対して「われわれが全力で支援するから絶対に日本に降伏するな」とねじ込んだ。また、蒋介石のほうも英米の強力な後ろ盾を得て自信を深め、最後まで徹底抗戦する決意を固めた。

この英米支配層の思考をよく理解していれば、ますますもって中国本土を侵略する行為が無謀であることが分かったはずだ。いや、石原莞爾や昭和天皇は理解していたので、満州領有で“打ち止め”するつもりだった。ところが日本は暴走していった。

しかも、英米支配層は、日本が当然そのような戦略目的をもって全中国の征服に乗り出したのだと信じ込んだが、実際にはそれは陸軍内にある一つの考えであって、政府としての統一的意志ではなかった。なにしろ上海派遣軍が、松井大将の独断でそのまま南京攻略に向かい、それを政府が追認するという、行き当たりばったりぶりだった。

中国を侵略するなら侵略するで、きっちり戦略も詰められなかった日本が最終的に敗北したのは当然といえよう。また、戦略上の劣位という自覚が足りず、アメリカに弱点を付け込まれることになったのも、結局は同じ思考上の欠陥に拠るものかもしれない。

いずれにしても、日本は二度とこんな過ちは繰り返してはならない。

ところで、信じられないことに、日本の敗戦を完璧に予言していた人がいました。そしてそれがゆえに(ほかにもいろいろな理由あり)国家権力から大弾圧を受けた。

その人物の名こそ出口王仁三郎!

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