この世の真実――本当は“情報世界”であり“仮想現実”であり”神の夢”である。

科学技術




最新の物理学では、物質の本質に関して「超弦理論」という有力な仮説が提唱されている。

大雑把にいえば、われわれが素粒子(物質の最小単位)と思い込んでいるモノは、実は「紐状のエネルギーの振動」にすぎず、また素粒子の「違い」と思い込んでいるのは、単にこの振動数の違いでしかないという説だ。

しかも、とうてい凡人の想像が及ぶところではないが、この「紐」は数学的には「10次元」に存在するのだという。

この説に従えば、素粒子とは単に振動のパターン、つまり「記号」に過ぎないと言い換えることもできる。

ちょうど、「ア・イ・ウ・エ・オ」が空気中の波の種類でしかないのと似ている。

そして、あらゆる物質の元たる素粒子がそうならば、それから成る原子も、又それから成る分子も、又それから成る化合物も、およそ物質なるモノは、どこまで行っても「情報」でしかなく、実体そのものは無い、ということになる。

従来、原子核と電子の大きさや距離の比率から、原子自体が極端にスカスカの空間であることは分かっていたが、実際には本当に「ナッシング」であり、ただの「記号の組み合わせ」にすぎなかったというのが、事実らしい。



この世は振動でできている情報世界

つまり、単純な音の組み合わせが「意味」を表し、それらの無限の組み合わせが「言語」となるように、どうやら、この世はバイブレーションが複雑に織り成して作られた「情報世界」のようだ。

これは換言すれば「バーチャル・リアリティ」と表現することもできる。

従来、真空中から電子が生まれたり、また電子が真空中に溶け込んで消失したりする現象が観測されてきた。

この客観的な観測結果から“真空”は、実際には何らのエネルギーで満たされた空間だと考えられるようになった。

だから最近のビッグバン理論では、「宇宙から無から生まれた」と堂々主張する学者まで現れている。

たしかに、仮にこの世がエネルギーの振動で出来ているとすると、これらの現象や理論も何ら不思議ではないことになる。

しかも、「Newton」の「パラレル宇宙論」(14年5月号)によると、この「超弦理論」の興味深い点は、それまで絶対と見なされてきた物理定数(自然法則とその数値)そのものを一つの可能性におとしめ、実際には無数の宇宙が並存している可能性を示唆したことだ。

つまり、われわれの世界とは微妙に異なる無数無限ともいえるパラレル宇宙が存在しているとする「多世界解釈」である。

その数は10の500乗ともいう。

実際、物質がそもそも振動でしかないとしたら、ある固有の振動で構成される宇宙は、ちょうどラジオの特定のチャンネルと同じで、たくさんある中の一つに過ぎないという見方もできる。

われわれの物質的身体は、われわれの属する宇宙の持つ自然法則というフレームの中に閉じ込められているが、ラジオのダイヤルを回せば周波数帯が変わり、まったく別の声(情報)を聴くことができるように、仮に物質の振動数を調整できる技術があれば、次元の壁を突破して並存する世界を次々と行き来できる可能性もあるわけだ。

そこまで考えを進めなくとも、どうやら「シミュレーション仮説」(*この世界は仮想のシミュレーションであるという考え方)や「ホログラム仮説」(*この世界は真の世界又別の次元の投影にすぎないという考え方)などが有力なのは確かなようだ。

しかも、興味深いことに、これは仏教やヒンドゥ教の世界観に非常に近い。

ブッダが「弟子のシャーリーよ、この世は空(*シューニャ又はシューニャター)なのだ」と繰り返し説いているのが「般若心経」である(*ところで同経の真偽については諸説あるようです)。

ブッダがどういう真意でこの世を「空=シューニャ」と呼んだかは、実はやや細かな背景があると、私は考えている。おそらく、ブッダはすべてを「空」と説いたわけではなく、あくまで「現象世界」(現象三界)を指して言ったのだろう、と私は思う。

ただ、「幻」だとしても、それは誰かによって作られない以上は存在しえない。

それに答えているのがヒンドゥ教だ。

この世界は「神の夢」だというのが同教の見解である。

*ウィキペディア「空 (仏教)」から

原語はサンスクリットの形容詞 シューニャ(śūnya)、名詞形はシューニャター(Śūnyatā) で、後者は「空なること」を意味するため、しばしば空性と漢訳される[3][2]。śūnya は舜若(しゅんにゃ)と音写し、 śūnyatā は舜若多(しゅんにゃた)と音写する[2]

シューニャ(サンスクリット語शून्यśūnya)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という意味である。

また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、初期の仏典にもその意味で登場することがある。

シューニャはインドの数学における 0 (ゼロ)の名称でもある。

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