みなさん、こんにちは。
もしかして、昨今のニュースや識者解説の影響を受けて、
「どうやらトランプ政権になってから、アメリカは急に方向転換して、中国を倒すことに決めたらしい」などと納得している人はいませんか?
その考えは、全然、間違いだと思います。
私などがおこがましい言い方で恐縮ですが、やはり何事も「流れ」として把握するようにしないと、本当のことは分からない。
ただし、その場合、どうしても「影の政府」の存在を前提にせざるをえないんですね。でないと、とくに国際情勢に関しては、何事もキチンと説明できない。
もともと陰謀論は「新世界より」でやると決めていたのですが、というわけで、結局ここ「フリー座」でもどんどん出していくことにしました。
ただし、オカルト関係の話題は、完全に「新世界より」専門でいきますので。
ちなみに、私は「超常分野」の専門家だから、いわゆる「陰謀論」にも詳しいわけですが、国際問題の「表」の専門家の人たちは、「影の政府」のことも知らないで、いったいどうやって国際情勢の本質を理解しているのだろうと、少し不思議に思います。
再度、私ごときが偉そうで申し訳ないのですが、「影の政府」が過去にしてきたこと、そしてこれから実現しようとしているプランについて何らかの知識がないと、今起きている物事の「本質」も「流れ」も絶対に分からないと断言してもいいです。
というわけで、前後二回に分けて「打倒中国の流れ」を見ていきます。
冷戦終結とソ連の崩壊というパラダイムシフト
さて、本題に入りますが、どこから話せばいいものやら・・。
まずは、冷戦時代のキッシンジャー戦略から話したほうがいいでしょう。以下の二つの記事が参考になると思います。
近年の国際社会の動きは、非常に既視感があります。
80年代、アメリカはソ連に対して、原油安と軍拡競争を仕掛けました。
影の政府としては、後で日本から収奪する予定でしたので、アメリカとしても湯水のごとく軍拡に予算を注ぐことができたわけです。対して、ソ連経済は疲弊し、徐々に追い詰められていきました。1985年に書記長に就任したゴルバチョフは、軍縮交渉のテーブルに着きました。その最中、チェルノブイリ原発事故が起こり、体制の動揺に拍車がかかりました。ゴルバチョフは中距離核戦力全廃条約に調印しましたが、すでに体制を立て直すことはできず、1989年にはベルリンの壁の崩壊を迎えます。
冷戦末期はレーガン、サッチャー、ゴルバチョフといった「大政治家」がまだ健在でした。彼らに比べると、今の西側の政治家は本当に小粒ばかりですね。
1991年末、ソ連と共産主義陣営はついに崩壊しました。
中国が体制変革を先延ばしにできた理由
さて、ベルリンの壁崩壊と同じ年、中国では(第二次)天安門事件がありました。「影の政府」としては、おそらく「ソ連は近々終わりだし、中国も共産党独裁体制が終焉して、徐々に民主化していくだろう」くらいにしか考えていなかったと思います。
要は、中国を見くびっていたんですね。だから、詰めが甘かった。
やはり、彼らは東アジア人を同類視する偏見がありますから、「日韓台が民主化したのだから、同じ東アジアの中国もそうなるに決まっている」と思い込んでいたフシがある。アジア人なんてみんな同じ様なものだ、と。
しかし、当時、危機感を強めた中国共産党は、人民への思想・言論の統制を強化し、再度、体制の引き締めを図りました。そして、西側の誰も想像しなかったような政策をやり始めた。それが「日本悪魔化政策」です。
一国の政府が、公教育とメディアを駆使して日本と日本人への憎悪と偏見を煽り、人民の不満と怒りの矛先を反らせるという、異常な手法です。この「悪魔化」というのは誇張でも何でもなく、日本人を人間ではない怪物・獣として描き出し、極限まで人民の憎しみを掻き立てるという、おぞましいプロパガンダが国を挙げて実際に行われました。
あの、日本大使館や日系デパートを襲撃したゾンビの群れのような奇怪な中国人デモ集団は、このような愚民政策の賜物なわけです。
しかも、中国は、西側による経済包囲網を突破するため、一番弱いところをうまく突いた。それが日本です。中国は「天皇訪中」を工作し、日本からの経済制裁を解除した。それがきっかけとなって、他の西側諸国も次々と制裁を解除していった。こうして中国は共産党独裁体制を維持したまま、冷戦終結というピンチを乗り切ったわけです。
しかし、中国自身の狡猾な戦略以外にも、言ったように、西側としても中国を見くびっていた。実際、ソ連という最大の敵が倒れたので、彼らとしても欧米の再覇権に自信を持っていた。当時の中国は発展途上国過ぎて、脅威とすら思われていなかった。
本当はNWOの雛形だったアメリカ一極支配体制
当時、「影の政府」は冷戦終結後の大戦略に着手しました。それが「アメリカを頂点とするピラミッド型の国際社会」へと世界を作り変えることでした。その施策が1992年のペンタゴンの“the Defense Planning Guidance”だったんですね。
そして、その米一極支配体制の構造のまま「地球国家=NWO」へと移行させていく・・。そのために必要なのが「人類共通の敵」でした。それが「国際テロ組織」という「非国家の外敵」だったんですね。つまり、多国間にまたがる国際的な「脅威」を演出することで、人類が国家を超えて仲間として結束していくことと、自ら管理社会を受け入れていくことの二つが、主な狙いだったようです。「9・11」の目的の一つもコレ。
信じるか信じないかは別として、以上が「ポスト冷戦戦略」でした。
で、そのプロセスにあって、中国といえども、自然と西側の秩序に取り込んでいけるだろうと、彼らも漠然と信じていたようです。彼らも他の東アジア諸国同様、経済繁栄するにつれて民主化していくに違いないと。だから、むしろ中国の経済発展を支援して、その過程で西側の文化や価値観や国際ルールをどんどん入れていけばいいし、そうすれば自分たちも利権に預かれるじゃないか、という一挙両得の算段だったようです。
2005年から6年にかけて戦略の大転換があった
しかし、端的にいえば、彼らはロシアを追い込みすぎ、逆に中国に対しては追い込みが足りなかった。そのせいでロシアは民族主義的な大国として復活し、中国も期待したほど自由化しなかった。とりわけ、プーチンの誕生で目論見が狂い始めた。
この辺の経緯は、以下の記事などに記しました。
どうやら、世界支配層にとって、プーチン&旧KGB軍団というロシア保守本流からの迅速な反撃は、想定外だったようです。2003年末までには、プーチンは国内の新興財閥オリガルヒたちから国富を奪還し、ロシアの再自立を達成します。
他方で、当時のアメリカは中東政策で手一杯でした。とくに2003年から対イラク戦争を始めますが、数ヶ月でバクダッドを陥落させたものの、その後の占領統治が泥沼化。背景にはイランの存在がありました。米軍がアフガンとイラクを打倒し占領したところで、国の東西両側を押さえられたイランのイスラム革命防衛隊は、イラク領内のシーア派だけでなく、仇敵の旧バース党まで支援して、猛反撃に出ます。その結果、連日のテロで米兵の死者が続出し、米世論の風向きも変わります。当初の「中東とカスピ海の地下資源を掌握し、同時にこの地域一帯をNWOに取り込む」計画が頓挫しました。
そして、2005年、国際政治の場で決定的なことが起こりました。プーチンと胡錦濤が事実上の「対米同盟」を締結したのです。「新冷戦」の始まりでした。
かくして、影の政府は「ポスト冷戦プラン」の大幅な修正を余儀なくされました。その修正案を仮に「2006年テーゼ」と命名しましょう。最大の特徴は、中ロをまとめて、世界支配計画にとって障害となる仮想敵国と位置づけたことです。
「打倒中ロ路線」が未だに続いている
おそらく、これは「中ロを従えるためには世界大戦も辞さない」決定だと思われます。とくに対ロシアでその方向のようです。そして、その「戦後秩序」としてNWOを実現するという目論見です。むろん、そのためには欧米が戦勝国でなければなりません。
基本的に、この2006年に行われた軌道修正が今日でも続いているというのが私の見解です。2017年のトランプ政権誕生で、少し変えた可能性はあります。
「北朝鮮に核兵器を使わせることは十年前に決められていた」で触れましたが、対北政策の180度の転換も、この大方針の転換を受けたものでした。
恐ろしい話ですが、2006年の時点で、影の政府(欧米)は将来の核戦争も視野に入れたということです。はっきり言えば「核戦争だってやってやる!」ということです。だから米国は「使える核兵器」の開発を目指して、核の小型化・高性能化に猛烈と取り組み始めた。最新の戦術核搭載のバンカーバスターなどはその一つ。しかも、彼らは北朝鮮に先に核兵器を使用させることで、自分たちの新兵器の実験場にしたいらしい。
また、この「2006年テーゼ」以降、彼らは「中ロを打倒するためには、東西からの挟撃体制を維持することが望ましい。そのためには日本と韓国を事実上のNATO軍の一員にしていく必要がある」と考えました。
実は、その方針がここ十年間の日本の内政にも反映されています。ただし、スパイ防止法がないので、日本の内政は両陣営の代理戦争の舞台になっています。たとえば、一時期、民主党政権が誕生しましたが、あれは中ロ側の巻き返しが大です。とくに反安倍運動と沖縄独立運動の策源地の一つが駐日中国大使館です。むろん、操られている人ばかりではありませんが、そういう人がいるのも確か。実は、右も、左も、そういう状況なんですね。
(後半へつづく)
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