旧日本軍と似た泥沼にはまり込みつつあるロシア

テロ・紛争・戦争・崩壊




みなさん、こんにちわ。

2022年の2月24日にロシアがウクライナに侵攻したまま、戦争が終結することなく、22年度が終わろうとしています。

現在のロシア軍の支配領域は以下。

ロシア軍に電力インフラ等を攻撃されて、真冬の中、暖房がない暮らしを強いられているウクライナの市民は、本当に悲惨で同情します。

ただ、ウクライナの国民感情を考慮することなく一外国人のエゴとして言わせていただくなら、現在の支配地域はもともとロシア系住民の比率のほうが高い地域なので、これをロシア領と認めて停戦することは、必ずしも不合理とは言えないと思います。

そろそろこの辺で辞めないと、ロシアのほうが核兵器を持ち出してくる可能性がある。

そうすればNATOのほうも何らかの形で報復する。

これにより、日本も世界も巻き添えを食う形になっていきます。やはり日本人としてのエゴに過ぎませんが、自分たちが巻き添えを食うのが一番イヤなんです。



旧日本軍の上海作戦と現代ロシアの特別軍事作戦

ところで、歴史は繰り返すと言いますが、今のロシアの軌跡は、戦前の日本軍が世界大戦へと向かっていた軌跡を想起させるものがあります。

教科書では「1937年の盧溝橋事件を機に日中戦争が始まり・・」などと習いますが、旧日本軍が当初取ったのは「長江流域の邦人を保護するために上海地域を平定する」作戦でした。

だから、松井岩根大将率いる(正確には第二次)上海派遣軍」を派遣したわけです。

目的は上海平定のみ。いわば「特別軍事作戦」だったわけです。

ウィキから引用します。

盧溝橋事件から飛び火し第二次上海事変が発生したため、上海の在留邦人保護のために1937年(昭和12年)8月15日に臨参命第73号にて上海派遣軍編組が下令された。その後、9月11日に臨参命第101号により上海派遣軍戦闘序列下令。当初は天皇直隷であったが、参謀本部の不拡大方針を押し切り、南京方面への進撃に伴い、11月7日新たに編成された中支那方面軍に編合、12月1日には大陸命第7号にて中支那方面軍戦闘序列が下令された。翌1938年(昭和13年)2月14日に廃止された。

なお、司令官は松井石根大将(1937年8月15日~1938年2月14日)だけでなく、途中から朝香宮鳩彦王中将(1937年12月2日~1938年2月14日)も加わっています。

これは「戦争」ではなく「支那事変」でした。

「日中戦争」と呼ぶのは戦後からであり、戦前はずっと「シナ事変」でした。

これは現在、ロシアがウクライナへの侵攻を「戦争」ではなく「特別軍事作戦」と呼んでいるのとよく似ています。

しかも、当初は「中国軍なんぞ弱いから、すぐに降伏する」と侮っていたわけです。

二週間くらいで作戦は完了するのではないか、という甘い見通しさえありました。

これはウクライナへ侵攻する時のロシア軍の希望的観測に似ています。

 

ところが、フタを開けてみたら、相手は蒋介石がドイツ軍事顧問団を招聘して訓練させた精鋭部隊でした。当然、武器もチェコなどのヨーロッパ製。

旧日本軍は予想外の苦戦に会いました。苦肉の策として「日軍百万上陸」のノボリを付けたアドバルーンまで打ち上げ、それを信じた中国軍が後退を始めました。

日本軍は大損害を出しながらも、なんとか上海を平定した。

しかし、日本軍と五分に戦えたという感触を得た蒋介石政府は、もはや中国に不利な条件の講和には応じません。そこで松井岩根大将は政府・参謀本部の決定を待たずに、勝手に「首都南京を落とせば有利な条件で講和できる」と考え、進軍しました。

上記ウィキの赤字のところにありますが、陸軍参謀本部はもともと上海を平定したら終わりの予定だったんです。

松井岩根大将の暴走から日中全面戦争、そして英米との開戦へ

もちろん、政府・参謀本部は「松井は何を勝手な事をやっているんだ!」と激怒しましたが、日本の従軍マスコミがその進軍を大々的に報じ、一般国民の間に熱狂の空気が生じたため、政府・参謀本部としても「じゃあ、とりあえず南京を落とすまではやるか」と追認に転じざるを得ませんでした。

戦前の日本も「空気」で動いていた面があったんです。

しかし、南京を陥落させても、蒋介石は、今度は重慶に首都を移して、徹底抗戦を掲げました。しかも、「日本軍の残虐行為」を世界に向かって宣伝し、うまく英米の世論を動かしました。また、英米も日本の拡大を阻止したい思惑がありました。

こうして、中国は英米から武器の支援を受けて戦争を継続することが可能になります。アメリカはまた日本への経済制裁も発動していきます。

日本としては、当初、「特別軍事作戦」のつもりだったのに、中国との全面戦争へと発展していき、さらには間接的に英米まで敵に回すことになりました。

 

ここまでを見ると、松井大将の暴走などを除けば、現在のロシアとウクライナの戦争に似ています

ゼレンスキー政権も、当時の蒋介石政府とよく似たことをしています。

欧米に対してロシアの残虐性を宣伝し、NATOから大量の武器援助を貰うことに成功しました。それでロシア軍を撃退し、益々自信をつけ、停戦を見送って反抗中です。

 

さて、当時の日本帝国はこの「援蒋ルート」に散々悩まされました。

なにしろ、いくら中国軍を叩いても、英米がどんどん武器を援助してくる。日本は軍部も世論も「英米が敵だ、我々は英米と戦いつつある」と思うようになります。

そして、援助ルートを断つために、東南アジアの欧米植民地への侵攻を始めます。

しかも、当時のナチスの快進撃に乗じる形で、仏領インドシナに手を出した(南部仏印進駐)ために、欧米との対立は避けられないものになりました。

 

現在、ロシアとしても、ポーランドあたりから来る西側の支援ルートを、戦争における最大の障害と見なし始め、プーチン大統領とその側近は「我々は西側と戦っている」と言い始めています。何よりも大半のロシア国民自身がそう思い始めています。

だから、日本軍が「援蒋ルート」を攻撃し、次に「英米」それ自体を攻撃したように、いずれロシア軍も「援ゼレンスキー・ルート」と「英米(NATO)」を攻撃するでしょう。

そうなると第三次世界大戦です。

 

しかし・・・。

どうやら、ここからは、戦前の日本とは、はっきりと違う展開になるはずです。

結論から言えば、日本軍は英米に敗北しましたが、ロシアは勝つ可能性があるということです。この見方は、日本の軍事専門家やメディアにはまったく無い。

長くなったので次回に述べます。

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