朝日新聞は独裁政権の御用メディアか?

オピニオン・提言系




前回、室井佑月氏の馬鹿げた話(屁意図スピーチ?)を取り上げた。

なんでも、安倍総理がナチスのゲーリングと同じ政治手法をとっており、日本社会が戦前のナチスドイツと同じ流れにあるとかいう、笑える妄想の話だった。

安倍の政治手法はゲーリングと同じと言う室井佑月氏の倒錯
お馬鹿タレントの室井佑月さんがまた『週刊朝日』(2017年10月13日号)で珍妙なことを書いていた。 仮に彼女が個人的なブログに書く程度なら相手にしなければ済む「謎論法」だが、朝日新聞社系の週刊誌に書いて、それがまた系列のメディアで取り上げ...

ま、「室井佑月氏とその仲間たち」は、金正恩や習近平よりも安倍総理のほうが独裁者に見える魔法の色眼鏡をかけていて、しかも隣国の軍靴の足音は聴こえないが日本からは聴こえてくるという、幻覚・幻聴を患った者たちだから、こういう錯視・妄想の類いは日常茶飯事なのかもしれない。しかも集団錯覚をやるから余計に奇妙だ。

ちょうど八幡和郎氏が、左派やリベラルとは本来何かということをキチッと解説されているが、そもそも独裁政権の側に立つ彼らは左派でもリベラルでも何でもない。

それにしても、個人の自由と選挙権を保障された民主国家にありながら、独裁政権のパシリとは、市民としてあるまじき、見下げ果てた連中ではないだろうか。



北朝鮮危機は安倍の“自作自演”と主張する半藤一利氏

ところで、室井氏の記事が載った「週刊朝日」の発売とほぼ時を同じくして、朝日新聞は本紙のほうでも、極めて異様な記事を載せていた。

「国難」、自作自演の危機に違和感 半藤一利さんに聞く

聞き手 編集委員・駒野剛 2017年9月29日09時10分

(前略)国難といって現在、最大の問題は北朝鮮情勢でしょうが、これはご自分がつくっていませんか、自作自演の危機ではないか、と申し上げたい。安倍さんは国連総会で、今は対話の時でなく圧力をかけるべき時だと述べてきましたが、それでは危機を高めるばかりです。

半藤氏はそう言って、なんと北朝鮮と対峙する安倍政権を、ナチスに追随した戦前の日本やヒトラー政権そのものになぞらえるのだった。

こうなると、もはや偶然とは思えない。朝日新聞は何か現政権をナチスと絡めたい強迫観念にでも取り付かれているのだろうか。

それはそうと、半藤氏の考えるように、果たして今日の北朝鮮情勢は安倍総理が“作った”ものなのだろうか。

北朝鮮の核・ミサイル開発は金日成の頃にスタートして、金正日の時代に大きく飛躍したものだ。金正恩はその事業を継承し、完成させようとしているに過ぎない。開発のゴールを米本土に届くICBMに定めたのは故・金正日の可能性が高い。

一方、安倍晋三氏が議員になったのは1993年(平成5年)である。

すると、半藤氏の論理では、安倍氏はまだ議員秘書だった時代から、北朝鮮の最高レベルの政治に影響を与えていたということになる。

ちなみに、安倍氏といえば拉致問題を頻繁に取り上げてきた人物だが、この方面に関しても半藤氏と類似の論理を振りかざす者が散見される。つまり「安倍が問題を作り出した、日朝国交正常化を妨害している」という、例の左派の主張である。彼らはもともと「日本人拉致などでっち上げだ」などと、拉致犯罪をフェイクニュース扱いしていた。

要するに、半藤氏やその同類によると、そういった“北朝鮮危機”は何もかも安倍の自作自演だ、というわけである。

すると、なぜ世界中が北朝鮮に対する制裁に賛成しているのだろうか。

半藤氏の論理だと、安倍総理の“自作自演”に習近平やプーチンまで協力しているということになる。米大統領を動かすだけでなく、あの中ロをも操る・・・もしかすると、安倍晋三氏はものすごい総理なのかもしれない。いや、議員になる前から“自作自演”に北朝鮮をつき合わせていたそうだから、もはや超越者の域かもしれない。

朝日新聞とその仲間たちが解放された朝鮮の市民から裁かれる日

この記事に関しては、古森義久氏がさっそく「朝日の歪んだ報道」として批判している。

真面目に言うと、北朝鮮が自国の都合で勝手にやっている暴挙まで安倍氏のせいにする異常な思考は、半藤一利氏だけではなく、日本のフェイク左派・フェイクリベラルに共通した倒錯といえる。これを社としてやっているのが朝日新聞だ。

つまり、この期に及んで、朝日新聞は独裁政権の御用メディアとの旗印を鮮明にしつつある。慰安婦に関するフェイクニュースも意図的だったのかもしれない。

室井佑月氏と半藤一利氏、その他の同類も、もう言い逃れはできない。

気を違えるのは勝手だが、責任だけは取ってほしい。

また、紛らわしいから、今さら旗を変えないでくれ。

ある意味、彼らの想像力の欠如は、気の毒ですらある。

近々、朝鮮人は圧政から解放されるだろう。国内ではそれまでの支配と被支配の関係が逆転する。解放された市民の怒りと裁きの矛先は、独裁政権の共犯をやっていた者たちに向かうことになる。上の者たちは、人道犯罪の共犯者との烙印を押される。

歴史は皮肉と逆説に満ちている。

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