村上春樹バブルが崩壊した

オピニオン・提言系
2009年、エルサレム賞授賞式にてエルサレム市長ニール・バルカット(左)と




警告(Warning)! あらかじめ断っておきたい。村上春樹ファンは精神衛生上よくないので、この記事は読まないでほしい。

先ごろ、こんなニュースが報じられた(傍線太字筆者)。

期待外れの村上春樹『騎士団長殺し』――「大量返本」の可能性が浮上(選択出版) 6/5(月) 9:30配信

http://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170605-00010000-sentaku-soci

村上春樹氏の7年ぶりとなる本格長編『騎士団長殺し』が2月に新潮社から刊行されたが、売れ行きが当初の目論見から外れ、「過去の作品と比べると、明らかに動きが鈍い」(大手取次幹部)という。(略)

初版は上下巻合計で異例の100万部を刷り、しかも発売直前に増刷をかけて過去最高の130万部を用意した。ニュース番組でも報じられた発売日とその直後にはかなりの売れ行きを見せ「初動で50万部くらいまでは一気に売れたが、そこで急激にブレーキがかかった」(大手出版社関係者)という。

現に、一般書店では今もうずたかく積まれた状態が続いており、最近では50万部以上が返本される可能性が取り沙汰されている」(出版業界関係者)。全量は保管できないため、多くが裁断処理されることになるが、新潮社には「返本10万部あたり1億数千万円」(同)ともいわれる負担が重くのしかかる。(略)

とうとう来たか、である。

それにしてもこれだけの返本となると、ほとんど“環境破壊”ではないだろうか。流通にかかった人手やエネルギーだけでも、たいへんな無駄である。



私が読んだ村上作品はどれもつまらなかった

私は常々、この人の作品は、その質と売上部数がひどくインバランスだと不審に思っていた。おそらく、人々が虚名に踊らされている面が多々というのが真相ではないか。

私が最初に読んだ村上作品は『羊をめぐる冒険』である。

我慢して最後まで読んだが、結局何が言いたいのか分からない。

次に読んだのが、文庫版の『ねじまき鳥クロニクル』。

ただし、第1部を読んだだけで投げた。やはり意味不明というほかない。

で、最後は大ベストセラーになった『ノルウェイの森』。

「これだけ売れたのだから、さぞかし凄い作品なのだろう」と期待したが、退屈で退屈で、読んでいて苦痛ですらある。仕方なく上巻だけで諦めた。

結論から言うと、私が読んだ村上作品はこの三つだけ。

で、読後に何が残ったか。何も残らない。ナッシング。

当時読んだ内容も、今ではほとんど覚えていない。私は元々記憶力が悪いが、人の心に訴えかけるものがない作品だったという“記憶”ならしっかり残っている。

これらは一応、彼の「代表作」であるから、小説家としての顔でありキャリアであり実力であり、そして彼の内面であると言ってもいい。だから、この三つを読めば十分だし、村上春樹論を述べるくらいの真似は許されるだろう。

文を羅列するだけのタイピングマシーンか

ズバリ言えば、村上作品はどれも退屈で「無内容」の一言に尽きる。時間の無駄だと分かったので、以後、彼の小説は読まないことにしている。

これ以上読めというなら、逆に金をほしいくらいだ。

彼は「作家」かというと、もちろんそうである。数多くのアメリカ文学の翻訳を手がけたり、地下鉄サリン事件の被害者やオウム真理教信者へのインタビューをまとめたノンフィクションを出したりもしている。作家としての活動は多岐に渡るし、小説作品を酷評するあまりそういった業績まで無視するとしたらフェアではない。

また、いかなる意味でも彼の「人格」を攻撃するつもりはない。

しかし、「小説家」つまり「物語作家」としては、はっきり言えば三流ではないかと思うのである。というのも、大半の小説家は彼よりもはるかに優れた作品を書いているからだ。彼らの作品が面白いから、村上作品がつまらなく感じるのだとも言える。

公平に見て、彼よりも売れていない大半の小説家は、内外の区別を問わず、もっと素晴らしい、意味のある、人生を豊かにしてくれる作品を発表している。「ライトノベル」と言われるものでさえ、エンターテイメント性に満ちた、愉快な作品が多い。

総じて職業小説家たちは、私たちに感動やハラハラドキドキするような読書体験を与えてくれる。むろん、そのために、彼らは影で必死の努力をしているのだ。常に斬新なアイデアやストーリーを練り、人類にとって普遍的なテーマを考察し、関連する専門知識を一生懸命に吸収して・・と、見えないところで苦労を重ねている。

それに比べて、村上作品にはいったい何があると言うのか。

真にプロの作品と呼べるものと比べると、彼は明らかに適当にものを書いているだけのように感じられる。作家本人が人の心に訴えかける物語や最高に人を楽しませる物語を創造する意志や情熱に欠け、主人公がその場の時間を潰していくだけの愚にもつかぬお話を、己の狭い想像力に頼って、半分気まぐれに書いているとしか思えない。

だから、あんな無内容な文章の羅列になるのではないか。

彼はもはや「公人」なので、言いたいことを言わせてもらったけど。

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